太平洋戦争終盤の1944年10月、米軍はフィリピン・レイテ島に上陸。敗色濃厚となっていた日本の連合艦隊は、レイテ沖で起死回生の戦いに挑んだ。この戦いで、世界最大の46センチ砲を搭載し、”不沈艦”と呼ばれた巨大戦艦「武蔵」が出撃する。
太平洋戦争においては、海戦の主役は戦艦から航空母艦・航空機へと移っていた。レイテ沖海戦の前に、航空機による攻撃に対抗する為に武蔵に改修工事が行われた。甲板上には対空戦闘用の機銃が数多く取り付けられた。
日本軍は、僅かに残った航空兵力がおとりとなり、その隙に戦艦武蔵を含む第一遊撃部隊がレイテ湾に突入し米海軍を叩くという奇策に出る。それは、米軍に完全に制空権を掌握されている中で、目的地まで見つからずに到達しなければ成功しない作戦だった。
米軍のレイテ上陸から2日後の10月22日、武蔵はブルネイを出港しレイテ沖を目指した。が、出港から2日後、米軍の偵察機に発見され、朝から数次にわたる米軍艦載機による猛攻を受ける。
増設された機銃は(工業力の限界から)隠れるシールドがない為に兵士を守れず、更に機銃の威力も貧弱で米軍機を撃ち落とす事が出来ず、機銃掃射や爆弾の攻撃に晒され、大きな被害を受けた。
やがて、”不沈艦”と呼ばれた武蔵は魚雷20発、爆弾・至近弾合わせて35発を浴びせられ、艦前方から大きく浸水し、午後7時半沈没。退去命令が出たのは沈没の直前だった。
乗組員2400人の半数近くが犠牲になり、辛うじて生き延びた乗組員たちの多くも帰還の輸送船が撃沈されたり、マニラ防衛戦などの地上戦に投入されたりして命を落とした(「血の海になった甲板」より)。
帝国海軍の愚行
”不沈”艦の筈が沈没すべきして沈没した悲惨な結末となったが、”大艦巨砲主義”という時代遅れの愚策が犯した大失態とも言える。
結論から言えば、日本海軍が命運を賭けて(国民の力を結集してまでも)創り上げた武蔵も(大和も信濃も)航空機の前では全て無力だった。
これは、”頑強な戦艦といえど航空機の攻撃の前に屈する”事は、皮肉にも日本海軍が真珠湾攻撃によるアメリカの戦艦アリゾナ、オクラホマ、ネヴァダ、ウェストバージニアと、2日後のマレー沖海戦でイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを沈めた事から始まったもので、この武蔵の沈没で明確に証明された形となる。
長い時間と莫大な予算と資材、あらゆる叡知と労力を結集させ建造されるも、その存在は公にされる事はなかった。その上、完成の事実も伏せられ、戦場の脚光を浴びる事も戦勝の栄光に預かる事もなく、更に帝国海軍の象徴として君臨する事もないまま、米軍機の袋叩きに遭い、呆気なく沈んでいく。
事実はそれだけで人の心を打つが、捉え方はその人次第である。
(私も含め)過去を批評する事は誰でも出来る。が、その時代に生きていないと分からない事もある。今考えれば、無謀や愚策や奇行とも思える帝国海軍の威信を賭けた大作戦だったが、あの頃の日本島民は本気でアメリカに勝てると思い込んでいたのだろうか?
悲しいかな、その奇策のまま突き進んだ結果、呆気なく沈没した戦艦武蔵。
「核燃料サイクル」と同じで、”一度突き進んだら引き返せない”日本人のムラ社会の気質がそうさせたのであろうか。
もしそうだとしたら、これほど愚かで悲しい事もない。
NHKBSスペシャルでは「戦艦武蔵の最期」が放送されていた。
日本の最高機密として極秘に建造された戦艦”武蔵”。壮絶な最期を遂げたとされるが、真相は謎に包まれたままだった・・・驚くべき内部構造や凄まじい攻撃力に、定説を覆す“意外な姿”とは?戦艦武蔵の謎に迫る・・・
とのナレーションで始まったが、私が知りたいのは(武蔵の謎と言うより)無策なまま大艦巨砲主義を貫いた帝国海軍司令部の愚行である。
最後に
今更、沈没の原因などどうでもいいではないか。いくら頑丈に出来てても、空から海から、上から横から殆ど無防備のままフルボコにされたら、いつかは沈んでしまう。
電子溶接ではなく(時代遅れの)リベット構造が原因だとの声もあるが、電子溶接でも浸水してたであろう。最後には弾薬庫に引火した事が致命傷となったが、時すでに遅しである。
「ノモンハン事変(1939)」でも、航空戦に持ち込んでたら日本が勝ってたという声もある。仮に、日本がノモンハンで勝利していたなら、その後の展開は大きく異なり、日中戦争はおろか真珠湾攻撃も太平洋戦争もなかったかもしれない。
そういう事が薄々と解っていながら、敢えて大艦巨砲主義を貫いた帝国海軍司令部。
今更タラレバを言っても遅すぎるが、同じ日本人として情けなくなる。
勿論、戦艦武蔵が”日本の最高技術を結集し建造された”事は感動にも値する。しかし、農耕民族の感動とムラ社会特有の人情だけでは戦争には勝てない。まして相手は世界の大国アメリカだ。
”世界一の巨大戦艦を見たら、アメリカはビビるだろう”と思ったのなら、それこそが武蔵を沈没させた一番の原因ではないだろうか。
戦術的には、
時代遅れの戦艦運用方法ミスと思います。
米軍が行った地上への艦砲射撃の様に、
上陸・揚陸作戦の補助役として使うべきでした。
またご指摘の通り護衛飛行機が必須。
それなしではノーガードに等しいと思います。
現代のレーダー、ホーミング技術があれば話は別ですが。
対米戦プランがお粗末だった為、
「大和型戦艦」は、その犠牲・生贄の象徴になった。
そう思います。
ご承知の通り、日本はかつて世界の造船チャンプとなった時代がありました。
その栄光は、大和型をはじめ、
旧海軍期の経験が活きたから。
そう思いたいですね。
では、また。
アメリカも真珠湾の教訓から航空戦力を中心とした空母の建造に傾倒します。
日本の航空戦力もかなり充実してただけに惜しい気もしますが、武蔵沈没の教訓が大和にも生かされなかったのは当然でもあるし、悲しくもありますね。
敵艦捜索能力も大きな差がありましたし、戦艦同士の一騎打ちでも勝ち目は薄かったでしょうか。
ただ、どっち転んでも、兵站の点でも劣勢は免れなかったし、帝国海軍の戦力を自ら過大評価してたのも、墓穴を掘った一因ですよね。
大艦巨砲主義とは日本人が抱いた儚い妄想に過ぎなかったし、小局的に見ても大局的に見ても勝ち目がなかったのは明白した。
ただ、引き下がる勇気があればと思うと残念でなりません。
コメントとても参考になりました。