孤独のグルメ風に言えば、
”時間や社会に囚われず、幸福に購買欲を満たす時、人は自分勝手になり自由になる。
誰にも邪魔されず、気を遣わず、モノ買うという孤高の行為。
この行為こそが、現代人に平等に与えられた、最高の<癒し>と言えるのである”となる。
いや、奥田英朗さん風に語れば、
”モノに縋るのは決して弱さじゃない。モノを買う行為とは、挫けそうな気持ちを奮い立たせる個人の<抗い>である”となる。
沢木耕太郎さん的なルポ風で言えば、
”与えられた制約の中でモノを買うのは嫌いじゃない。しかしそれは、一時の<快楽>でしかない”或いは、”モノを買うのは自分を持する重要な<支え>となるが、多分それは<慰め>に過ぎない”となる。
更に、ポール・オースター風に言えば、
”モノを買う事に意味はなく、モノ自体は真理ではない。それは我々が存在するその<あり方>である。買い物というお遊びは、単に心の動きを調べ、心が見た世界の一部を映し出すに過ぎない。つまり、無限に錯綜する<欲望の総体>に過ぎない”と。
なぜ、人はモノを買う?
以上をまとめると、モノを買う行為とは孤独を癒す個人の抗いであり支えでもある。が、それは一時の快楽と慰めに過ぎない。
もっと言えば、我々の心のあり方であり、それを映し出す鏡である。
確かに、買ったモノで自分の心を読み取る事は可能である。
そういう私は殆どモノを買わない。
というのはウソであり、現代人にしてはモノを殆ど買わない人種だと胸を張って言える。
事実、昨年は12件の買い物のうち(但し食料品と薬を除く)7件が数学の書籍(計12冊)である。他の5件は無線イヤホン2つと卓上スピーカに、中古のヨーグルトメーカーと同じく中古のスクワットマジック。
2000年に至っては、もっと少なく僅か5件で、うち数学の書籍が3件(計10冊)と掃除機と電気毛布だけであった。
因みに、1999年はたったの3件で、車用LEDランプと書籍(1冊)とウィキへ寄付だけ。
ここ数年はずっとこんな具合で、如何にモノに無縁な人種であるかが、ご理解頂けたかと思う。
しかし、今年は不思議とモノを買う自分がいる。3月にキッチンスケールを買い、4月には中古スマホと数学の書籍4冊に、電動バリカンで、既に5件である。
勿論私だって生身の人間だから、モノを欲しがる時はある。
中古スマホに限ってはWi-Fiが繋がらず、ドコモを糞呼ばわりしたが、ROM焼きに失敗したお陰で(初期状態に戻ったのか)、偶然にもWi-Fiが繫がるようになった。
自宅にある中古PCもメモリを掃除したら、2年ぶりに復活した。WinMeという石器時代の代物だから(殆ど使い途はないが)、DLしたドラマやPDFなどは大きな画面で見る事はできる。
しかし、そういうドケチな人種ほど新しいモノに惹かれる。
”女は買うのにモノは買わんとはどういうこっだ”と不思議がられそうだが、人間がいや脳がそう出来てるので仕方がない。
そこで今日は、モノを買うという動機を脳の視点から眺めたいと。
脳がモノを買う
”あなたの脳が買うモノの意思決定をしている”と語るのは、「ブランティング講座」のナカムラさんの言葉です。
脳こそが買うモノの意思決定をしている。つまり、買う動機は無意識に脳内で創られていく。
何かを”欲しい”と思い、その欲望が高まった時、”欲しい”に”必要”が加わる。この”ウォンツ&ニーズ”は、宣伝や雑誌などにより、私達の脳内で意図的に作り出される。
故に、欲しいだけでは買わないが、必要が加わり、衝動買いが起きる。この衝動は脳波を分析すれば明らかで、”ウォンツ&ニーズ”が一番高まってる時こそが、買いの衝動期である。
通常の買い物は、大脳皮質(論理的な思考を掌る領野)で判断を行う。しかし、高額商品や衝動買いを行う時は(大脳皮質でなく)大脳辺緑系(感情・意欲を司る領野)が自動的に判断。この大脳辺緑系は(大脳皮質に比べ)素早い処理を行い、衝動買いに大きく貢献すると。
衝動買いを引き起こすメカニズムには、(快楽ホルモンと呼ばれる)ドーパミンが関係する。つまり、ドーパミンが人を衝動買いに向かわせるのだ。
衝動買いが止まらない人は、ストレスを感じ易く、それでいて日常的に刺激を欲しがる傾向にある。故に、(ストレスに対抗して)ドーパミンが放出され、衝動買いに刺激を求め、ストレスを発散する。
一方で、最近のアプリやゲームも脳科学的な視点で作られ、脳を刺激し、ドーパミンが出る様に設計され、最後には課金させる。
つまり、沢木耕太郎さんが言う様に、衝動買いは<快楽>という一時的な慰めに過ぎないのだろう。
確かに、衝動買いは酒や女遊びに似て、酔いや悦楽に浸れるのはその時だけ。万札だけが逃げていき、残るのは無機質な物体と虚しい余韻いう<真理無き>ものである。
それでも、それが解ってても、人はいや脳がモノを買う。
同じ様に、戦争もまた(闘争欲に冒された)狂った独裁者の脳が引き起こすものだろうか。
前半飛ばしすぎて、6回は掴まりそうになりました。
1つ間違えてたらヤバかったかもです。
スプリットの投げ過ぎですが
佐々木も大谷も田中将大とは違い、やや抜け気味なので肘の負担がないとも言えませんが
ドーパミンという名の暴走列車。
これは、脳が暴走したプーチンにも当てはまりますね。
暴走列車って感じですよね。
ドコモの中古スマホは繋がったとか・・・
PCが古いとロム焼きは受け付けませんもの
でも文鎮にならず、逆に良かったじゃないですか。
さてと本題ですが
大谷は完璧の投球でした。
6者連続、6回1死まで自身最多12奪三振。佐々木朗希を意識していたのは明らかでしたね。
でも三振はスプリットばかりで
佐々木にもその傾向はあるんですが、肘への負担とかないんですかね
そこんとこ、どー思います?