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悲運の生涯を閉じた3人の天才たちの偉業(更新)〜エヴァリスト・ガロアを巡る旅、その7

2021年01月27日 04時17分48秒 | エヴァリスト・ガロア

 前回”その6”では、方程式の解法に巡る古くも長い歴史について述べました。
 2次方程式までは殆ど人がスンナリと理解できると思いますが、3次方程式となると一気に難しくなります。複素数解のωが登場し、それに比例するかのようにガロア理論もより複雑になっていきます。
 前回でも紹介したイタリアのニコロ・フォンタナ(1500-1557、イラスト)は3次方程式の解法を発見しますが、カルダノの策謀に引っかかり、フォンタナの世紀の偉業はカルダノにまんまと奪われます。
 しかしカルダノのお陰で、3次方程式や4次方程式の解法が多くの数学者の目に触れ、方程式の”解の公式”の研究を大きく促します。
 但し、これにはアナザストーリーがあったんですね。以下、寄せられたコメントから補足です。


タルタリア”の屈辱

 フォンタナのあだ名は”タルタリア”(吃り)でした。実は彼の顎と口蓋は戦争で切り落とされてたんです。貧困の過程で育ち、アルファベットのKまでしか知らないフォンタナは独学で数学を会得し、400年以上も未解決な3次方程式の解を発見しますが、同時期にボローニャ大のデル・フェッロも3次方程式の解を発見してました。
 フォンタナはax³+bx²+c=0で、フェッロはax³+bx+c=0。フェッロは弟子のフィオールを送り、数学の決闘を申し込みます(1535年)。当時は、論文発表の場や学術誌というのはなかったので、決闘という形で優先権をきめてました。しかしフィオールは敗れ去り、フォンタナはめでたく2つの3次方程式の解法の発見者となります。
 しかし、フェッロのもう一人の弟子ルドヴィゴ・フェラリ(1522-1565)が黙っちゃいない。カルダノとフェラリはフェッロの未発表論文を探し出し、フォンタナよりも前に3次方程式の解を発見してた事を知る。
 そこでカルダノはフォンタナとの約束を破棄し、「アルスマグナ」には”3次方程式の解法の最初の発見者はフェッロ”と紹介しました。勿論、フォンタナの名もありましたが、これに激怒したフォンタナがフェラリに決闘を申し込み、敗れ去ったんですが、無効試合との説もあります。
 ただ、フェッロがなぜ弟子のフィオールを送ったのか?そのフィオールがその後行方不明になったというのも不思議な気がします。
 以上補足しました。

 そこで今日は、フォンタナの偉業と5次方程式の解法へ向かう歴史を紹介したいと思います。これも前回同様に「天才ガロアの発想力」を参考にします。


フォンタナの悲劇と奇抜な解法

 フォンタナは、3次方程式のx³+ax+b=0を解く為に、敢えてx=y+zを方程式に代入しました。未知数を増やし、なぜわざわざ複雑にするのか?って、素人は思うんですが。
 x³+ax+b=(y+z)³+a(y+z)+b
=y³+3y²z+3yz²+z³+a(y+z)+b
=y³+z³+3yz(y+z)+a(y+z)+b
=(y³+z³+b)+(3yz+a)(y+z)=0と変形します。
 ここで、左辺が2つとも0になる様なy,zを発見できれば、元の3次方程式の解が見つかる。
 故に、y³+z³+b=3yz+a=0がつまり、y³+z³=−bー①とyz=−a/3ー②が成立てばいい。
 ②を3乗すれば、y³z³=−a³/27ー③と答えが見えてきます。①と③より、y³=α、z³=βとすれば、α+β=−b、αβ=−a³/27となってますね。
 これは2次方程式の解αとβを成し、t²+bt−a³/27=0を満たします。2次方程式の解の公式を用い、α=y³=−b/2+√D、β=z³=−b/2−√D。但し、D=b²/4+a³/27です。
 ここで、yとzを求めますが。
 1の3乗根(x³=1の解はx=1,ω,ω²)を求める要領で、y/³√(−b/2+√D)=1,ω,ω²となるので、u=³√(−b/2+√D)とおけば、y=u,ωu,ω²uとなり、同様にzは、v=³√(−b/2−√D)とおけば、z=v,ωv,ω²vとなる。
 故に、x=y+zから、x³+ax+b=0の”3次方程式の解の公式”が得られますね。

 つまり、フォンタナは未知数を敢えて2つに増やし、1個の方程式を2式の連立方程式に変え、2次方程式に帰着し、3次方程式を解きました。このフォンタナの発想は神憑りですね。

 前に話を戻しますが、カルダノの裏切りに憤慨したフォンタナはカルダノに数学の決闘を申し込みますが、カルダノは逃げ回り、代りに彼の弟子であるフェラリを送り込みます。
 上述した様に、フォンタナはフェラリに敗れ去ります。というのも、フェラリは3次方程式のの解法を会得してるだけでなく、何と後に4次方程式の解の公式を発見した優れた数学者だったからです。
 フェラリは師カルダノの「アルスマグナ」の執筆を手伝いながら、数学を勉強しました。
 そこで4次方程式を解く途中で、3次方程式を解く必要がありました。故に、フォンタナがやった様な解法の延長上で4次方程式を解いたのです。

 結局、カルダノの「アルスマグナ」の中では、3次方程式の第一発見者はフェッロという事になりました。しかし、怒りと失意に塗れたフォンタナは1557年に亡くなります。
 ここら辺は、ガロアの不運の生涯と非常によく似てますね。


5次方程式の解法と対称性

 フォンタナの3次方程式の解法を紹介しましたが、”なぜ解けたか?”のカラクリが見えてきません。このカラクリが解らないと、高次の方程式で同じアプローチを取る事は不可能です。
 4次方程式ではフェラリが同様な方法で偶然に発見したんですが、5次方程式では以後300年間、誰も見つけられなかった。
 故に、5次以上の方程式について調べるには、フォンタナの方法から離れ、3次方程式が解けるカラクリを別の方向から理解する必要があります。

 でもその前に、5次方程式の解法へ向かう歴史を少し述べます。舞台はフランスへと移動します。
 5次方程式の解法へ向かう一刺しとなったのが、”代数学の父”と呼ばれたフランソワ・ヴィエト(仏、1540-1603)でした。
 彼は”方程式の解と対称性の繋り”に初めて気づいた16世紀の偉大な数学者でした。
 例えば、2次方程式x²+bx+c=(x−α)(x−β)=0から、α+β=−a、αβ=bが得られますが。同様に3次方程式x³+ax²+bx+c=(x−α)(x−β)(x−γ)=0から、α+β+γ=−a、αβ+βγ+γα=b、αβγ=−cが得られる。
 ヴェエトはこれらと同じ(解と係数の)公式が、高次の方程式でも成り立つ事を突き止めたんです。
 勿論、解と係数の公式を解いても、元の方程式に戻るだけで、解を得る筈もないんですが、この公式は”解に関するある種の対称性”を示唆してますね。
 つまり、方程式の解法には何らかの対称性が関わってる。対称的な計算をする限り、結果は難解な無理数とはならず、係数に符号を付けたような簡単な数になると予想したんです。

 お陰で、方程式の解法の要になったのが、「群論」「体論」という全く新しい代数理論でした。
 これは後でも詳しく述べますが、2次方程式までは体の理論でカバーできるんですが、それ以上となると群にまで拡張する必要があったんですね。それでガロアは、解のカラクリを見つける為に、体と群を行ったり来たりした。
 故に、このガロアの群と体の発見こそが、300年の長く分厚い壁を砕いたんです。

 話を元に戻し、この”対称性”の観点をもう一歩進めて洞察したのが、18世紀後半の同じフランスのテオフィル・ヴァンデルモンド(1735-1796)でした。
 彼は、2次方程式と3次方程式の解の公式が”解を入れ替える”という操作(解の置換)に関し、ある種の普遍性を持つ事を見抜いた。
 これこそが体の自己同型(全単射)という考えの先駆けとなる発見でした。
 同じ頃、ジョセフ・ルイ・ラグランジュ(仏、1736-1813)がこの考えを更に深めます。
 ラグランジュは2次方程式、3次方程式、4次方程式が解けるカラクリの本質に肉薄し、そのカラクリが5次方程式に当てはめると上手く行かない事までをも突き止めました。
 つまり、群論と体論の方法論のすぐ近くまで来てたんです。
 しかし、オイラーと並ぶ18世に最大の数学者のラグランジュを持ってしても、決定的証拠を見抜く事は出来ませんでした。


悲運の2人の大天才

 古代エジプトや古代バビロシアを出発した旅は、インドとイタリアそしてフランスを経由し、いよいよ最終地点に向かいます。
 5次方程式の解の公式が解決したのは、19世紀初めの事でした。それもほぼ同じ時期に、1人は22歳、もう1人は19歳で、この超難題を仕留めました。
 結論は、”5次以上の方程式には解の公式は存在しない”というものでした。

 まずはノルウエーの若き超天才ヘンリク・ニルス・アーベル(1802-1829)ですが、僅か18歳の時に”5次以上の方程式には解の公式は存在しない”を(不完全ながらも)証明し、4年後の22歳の時、この証明を論文にして自費出版します。
 しかし、僅か6ページに纏めた証明は理解の大きな妨げとなり、かのガウスにすら無視されました。その後ベルリン留学の際、クレレという数学プロモータに出会い、幾つもの論文を学術誌に発表しますが、無一文になりノルウエーに帰国します。
 悲しいかな、この若き超新星がベルリン大に迎え入れられる2日前に、僅か27年の悲運の生涯を閉じます。

 アーベルの証明を厳密に言えば、”全ての5次方程式を共通の方法で解く様な一般的手続きは存在しない”です。この証明はラグランジュやヴァンデルモンドの着眼を発展させたものでした。
 しかし、一般的手続きはなくとも、個々の5次方程式なら、四則演算とn乗根をとる操作を繰り返す事で解ける可能性がある。
 つまり、アーベルは(個々の方程式が)”四則演算とべき乗で解けるか解けないか”の判断基準を与えてませんでした。

 そして、それを成し遂げたのがもう一人の超天才、フランスの新鋭エヴァリスト・ガロア(1811-1832)でした。
 ガロアの不運でドラマチックな生涯の詳細に関しては、多くのサイトで紹介されてるから省略しますが。彼の論文もアーベルと同じで、飛躍が大きすぎるせいか、殆どの数学者に拒絶されます。
 特に、”フランスのガウス”と称されたるオギュスタン・ルイ・コーシーは、この2人の超天才の論文を紛失するという大失態をしでかしました。
 お陰で、ガロアは遺書を残す時、”最悪でもパリの学士院には見せるな。ドイツのガウスとヤコビに見せる”ように言い残したと言います。

 そのガロアですが、アーベルとは異なり、”方程式が四則とべき根で解ける条件”を完全に特定します。お陰で、2次3次4次の方程式の解法のカラクリも完全に解明されました。
 ガロアはこの結果を得る為に、前代未聞の数学構造である「群論」と「体論」を生み出します。つまり、前述したように、この群と体の間を行き来する事で方程式の解の素性を明らかにします。
 これは、19世紀以降の現代数学の中心的方法論として大きく発展しました。

 以上、少し長くなったので今日はここまでです。
 方程式の解の公式の解読という苦難と苦闘の歴史の最後に、2人の超新星が待ち構えてたというのも皮肉ですが、2人とも短命であったというのももっと皮肉ですね。

 大げさですが、新型コロナを収束させるよりも数百倍も難しい問題を、2人は僅か22歳と19歳で解きました。
 300年の難題を1人は”今死ぬ訳にはいかない”と叫び、もう1人は”私には時間がない”と言いながら証明しました。
 彼等の超人的な思考の0.001%でも今の日本の政治家や議員にあったなら、どれだけの理想国家が作れたでしょうか。
 そう思わせる2つの超新星ですね。

 次回”その8”では、2次方程式のガロア理論から紹介したいと思います。



4 コメント

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タルタリアの激怒 (腹打て)
2021-01-27 05:38:24
フォンタナのあだ名は”タルタリア”(吃り)で、彼の顎と口蓋は戦争で切り落とされてた。
アルファベットのKまでしか知らないタルタリアは独学で3次方程式の解を発見したんだが、同時期にボローニャ大のデル・フェッロも3次方程式の解を発見してたそうだ。
タルタリアはax³+bx²+c=0で、フェッロはax³+bx+c=0。そこで、フェッロは弟子のフィオールを送り、闘を申し込んだ(1535年)。しかし、フィオールは敗れ去り、タルタリアはめでたく2つの3次方程式の解法の発見者となった訳だ。

しかし、フェッロのもう一人の弟子フェラリが黙っちゃいない。カルダノとフェラリはフェッロの未発表論文を探し出し、タルタリアよりも前に3次方程式の解を発見してた事を知る。

後は話は簡単だが、カルダノはタルタリアとの約束を破棄し、「アルスマグナ」には3次方程式の解法の最初の発見者はフェッロとし、”デルフェッロの解”と紹介したんだ。勿論タルタリアの名もあったんだけどね。
これに激怒したタルタリアがフェラリに決闘を申し込み敗れ去ったという事だが、無効試合との説もあるんだ。

これだけを見ても、凄い複雑な歴史なんだよな。
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Unknown (kaminaribiko2、)
2021-01-27 09:26:23
昨日は詳しい説明をありがとうございました。
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腹打てサン (象が転んだ)
2021-01-27 09:54:32
おおお、お詳しい。
そういう事情があったんですね。
てっきりカルダノを悪者にしてました。
フェラリとフォンタナではなくて、フェッロだったんですね。早速修正&追記します。
数学での決闘というのも、プライドの高い中世ヨーロッパの騎士みたいで、興奮を覚えます。貴重なコメントどうもです。
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ビコさんへ (象が転んだ)
2021-01-27 09:58:11
べき乗の概念はいつ見ても混乱しますね。
そういう私もガロア群は途中で行き詰まり、2年近く放ったらかしでした。
「天才ガロアの発想力」が出版され、何とか理解できそうな気がしますが、どうなることやらです。
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