米ペンシルベニア大学のカタリン・カリコ氏と同大学のドリュー・ワイスマン氏が2023年のノーベル生理学・医学賞を獲得した。
メッセンジャーRNA(mRNA)技術を開発し、”開発には少なくとも数年かかる”といわれた新型コロナワクチンを短期間で実用化に導き、結果として多くの命を救った業績が評価された。
mRNAとは、たんぱく質の遺伝情報である設計図(メッセージ)だ。つまり、mRNAを設計し、ワクチンとして使う。投与すると体内で沢山のたんぱく質が作られ、体内の免疫がこのメッセージを記憶する事で、ウイルス感染時の発症や重症化を防ぐ。
但し、従来のmRNAは体内で異物と認識され炎症が起きていたが、カリコ氏らは、”mRNAの一部を組み換える事で異物と認識されなくなる”として、2005年に論文を発表。更に、組み換えにより抗体を作る働きが大幅に増進する事も発見する。
この技術が確立され、新型コロナワクチンの迅速な開発や大量供給を可能となった。
全て、手放しで評価できるのか?
今回のノーベル賞は歴史の中でも異例のスピード授賞である。この背景には何があるのか?
今回のカリコ氏らの業績も、2005年の論文に遡る。が、その論文の成果が新型コロナワクチン開発に繋がったのは20年末。世界中で接種が進んだのは21年で、22年には変異株に対するワクチンも使われる様になった。但し、(前年も含め)この数年で、”人類への貢献が示された”との点ではノーベルの遺言に沿う。
とはいえ、選考プロセスを考えると、異例のスピードである。ノーベル賞候補の推薦は1月31日に締め切られ、候補となってすぐに受賞する事はまれである。有力な候補者は何年も続けて推薦され、慎重な評価が重ねられていくのが通常だが・・・
事実、受賞会見ではmRNAワクチンの安全性についての質問も出された。
これに対し、選考委員会は”mRNAワクチンの接種は始まったばかりだが、既にのべ130億人が接種を受けている。副反応も限定的で大きな懸念とは考えていない。殆どの場合は軽度で、特に長期的な影響なく解消するとされるし、コロナに感染する方が長期的な健康への影響がある”と述べた。
また、ワクチンに反対する動きに科学界や医療界はどう対応し、どう説明すべきかとの問いに対しては、”このワクチンがどの様に機能するのか?引き続き仕組みを説明していく必要がある。新型コロナの場合、mRNAワクチンの開発が大きなニーズを受け、加速したのは事実だ。が、臨床試験が短い期間で行われたからとて、安全性の確認が省略された訳ではない。数十年に及んだ研究を伝えていくべきだと思う。ノーベル賞受賞により、こうした事実に光が当たる事を願う”と説明した。
聞いてて何か釈然としない(苦し紛れにも聞こえる)説明だが、アメリカの医療学会の圧力が掛かってる様にも思えなくもない。
特に、”副反応も限定的”とか”殆どの場合は軽度で長期的な影響なく解消する”とか、まるでジャニーズ事務所の偽善臭い言い訳を聞いてるみたいだ。
まさに、(陰謀論者が大騒ぎしそうな)ワクチン疑惑に塗れたノーベル賞だが、そういう私も、直感的に今回の受賞には裏がありそうな気がする。
べた褒めと偽善
某ワイドショーでは、(カリコ氏がハンガリー移民の苦労人だとか、ボート競技の北京五輪の金メダリストだとか)専門以外でも高く評価され、医療関係者らのワザとらしいベタ褒めのコメントが目立った。お陰で、聞いてる側としては非常に後味が悪い。
そのカリコ氏も、受賞の喜びを”子どもの模範になる事が重要で、自分に何が出来るのかを探すのにエネルギーや時間を費やすべき”と表現し、女性科学者を鼓舞する。
私は、こういうコメントを聞く度に、以下の様な穿った考えを催す。だからノーベルの理念は歪曲し、その財団は腐ってしまうのか。
同じ様な理由からでもないだろうが、今回の受賞に首を傾げる声が多いのも事実である。勿論、私もその1人である。
今回の受賞理由は”大勢の命を救った新型コロナワクチン開発への貢献を評価した”との事だが、これが現時点での医学界の支配的な評価である。ただ、ノーベル賞は”最も権威ある評価”とはいえ、所詮は人間が行う相対的で主観的な評価に過ぎず、覆される事のない絶対的で客観的な”真理”とは異なる。
事実、過去にノーベル賞の業績に対する評価が覆った例もあるし、ノーベル平和賞受賞者には戦争犯罪者もしばし含まれ、文学賞にはペテンが実在するのも少なくない。
新型コロナワクチンは接種開始から僅か2年程度。今回の評価は、有害や被害事象のモニタリングや検証を十分に尽くしたものだったのか。
数多くの命を救った画期的?技術かもだが、無視できない数のワクチンの犠牲者も出た。例え、その数が(救った数に対して)少数であったとしても、犠牲者の存在や訴えを無きものとするのは如何なものだろうか。
更に言えば、”2人の研究”というより、数多くの医療現場スタッフや保健所職員らの必死の奮闘や対応も、数多くのコロナ患者の命を救った。そういう点では、ノーベルの理念と賞に値するだろう。
”mRNAワクチンの正当性が科学的に証明された。異論を唱える者は非科学的だ”と決めつけるとの医学界の論評は、ワクチンで亡くなった方への冒涜である。
今回は、あくまでmRNAの研究に対する賞であり、コロナワクチンは人によっては重篤な副反応が出てる事は紛れもない事実だ。
そういう意味でも、ノーベル賞に値するとは思えないのだが。
それに、新型コロナワクチンの開発者が受賞したかの様な報道が目立つが、あくまでmRNA型ワクチンを実用化した事に対する評価である。つまり、ワクチンの開発とmRNAの実用化は、独立して考えるべきである。
更に言えば、新型コロナワクチンに関する被害や犠牲も独立して検証すべきである。
最後に
以上、少しキツい言い方をしたが、これはワクチン陰謀論派の視点から述べたものではない。
つまり、無視できない数の”ワクチン死”というの負の事実をノーベル賞受賞により曖昧にしようとする科学界や医学界の支配的で腐った態度に反発する立場である。
科学や医学が絶対であるとか、そういう事はゲーデルの「不完全性定理」(1931)で否定された。例えば、1万人の命を救ったんだから、(その1%に当たる)100人の”犠牲者は無視していい”という傲慢で曖昧な態度なら、悲しい限りである。
そんな医学界の立ち位置だから、新型コロナワクチンが軍事目的の”殺戮ワクチン”などと、アホな陰謀論派から揶揄されるのだろうか。
私から言えば、科学や医学や薬学は、数学よりもずっと不完全である。それに今回の評価は遺伝子組み換えによるmRNAの改良であり、画期的との評価に値するものだろうか?
勿論、短い期間で新型コロナワクチンを実用化した事で数多くの命を救ったのも事実で、そういう面では高く評価は出来るが、だからこそ注意深い詳細な検証が必要ではなかったか?
つまり、そんなに慌てて結論を出す必要がどこにあろう?もっと時間を掛けて考察する必要があったのではないか。
全く、日本政府の(IAEAのお墨付きである)処理水の”海洋放出”と同じで、後にワクチンの副作用や後遺症で色んな問題や矛盾が噴出しても、ノーベル賞のお墨付きという盾に逃げ隠れするのだろうか。
”人類に最大の利益を与えた者や最も価値ある人に賞を贈る”というアルフレッド・ノーベルの理念が今や腐りつつある。
1901年に始まったノーベル賞だが、今年で123年が経つ。時代が変わるように、”価値ある人”の評価も賞の価値も変わる。
少なくとも、今回のような付け焼き刃的な基準と判断で、最も価値あるとされるノーベル賞を与えるべきではない思うのだか・・・
後々になって揉めるんですよね。
でも、薬害訴訟になったりするケースではノーベル賞受賞ということで、裁判でも優位に進むんでしょうか。
特に、ビオンテック社のワクチンはファイザー社に有効性においても押されてた感じもしますし、際どい所でもあります。
ま、ノーベル賞と政治は考えたらキリがありませんね。
どうしてもメーカー間の特許や利害が働くから、純粋な研究者に与えるかしないと
特にmRNAワクチン開発は、コロナ渦を受けて世界が実用化を後押しした。パンデミックがなければ日の目を浴びなかったし、研究も進まなかった筈。
ワクチン開発から1年弱で実用化し、約3年での受賞だが、有効率90%という実績をどう捉えたらいいのか。
平ペッたく言えば、とりあえず打ってみて後は運次第って所だろうが、そんな研究にどれだけの信用があるのか。
mRNAワクチンの基盤研究は20年以上とされるが、今回の受賞理由は大手薬品メーカーの政治力が絡んだ<後付け>のような気がする。
現代医学は自然科学に負う所が大きいですから、生理・医学賞と言っても数学ほどに明確な領域でもない。
それに、数学ではノーベル賞に相当する賞が幾つもありますが、医学の分野はどうなんでしょうか。
自然科学が急速に繁栄し、かつては永華を誇った西洋医学は取り残されてるようにも思えます。
今回の受賞も付け焼き刃的な気がするんですが、後々様々な問題を残しそうですね。
話は変わりますが
この時期はハルキストが大騒ぎする村上春樹ですが、今回もダメでした。
カリコ氏に獲らせるくらいなら、村上氏の方が・・とも思いますが、流石に力不足なんでしょうか。
では・・・
偉そうなことばかり吹きやがってさ
どんなコトでも諦めずにって
だったらRiemannの仮説くらい
解いてみたらどーなの
医学って数学以下の学問なんだから
嫉妬したノーベルは賞を与えなかったのよ
クソ婆もツル禿爺もノーベル財団も
すべてにおいて怪しいのよ
特に今度のノーベル賞はねぇ
まさにその事が言いたかったんですよ。
出来レースもいいとこで、”狂ってる”という声も理解できます。
最前線で働く医療現場の方々はコロナ渦に真摯に向き合ってたんですが、ワクチン開発者らは少し”上から目線”というか、そういう感じがします。
今回の受賞者2人も、あまりいい感じはしない人種に見えました。
日本には反ワクチン派も多く、事実ワクチン接種後に死亡し、国の予防接種被害救済制度に基づき死亡一時金の給付が認められた事例もある。
普通は、候補者ありきの受賞者なんだけど、今回は受賞者ありきの候補者なんだよな。
特に、ワクチンは人の命に直接関わる問題だから、もう少し慎重に検討する必要があったと思う。
医学界以外は首を傾げてると思います。
勿論、新型コロナワクチンのお陰で多くの重症患者が助かったのは事実で、その一方で未だにワクチンに対する懐疑論が一部では賑わってます。
ただ、多くの命を救ったという点ではワクチンよりも医療現場の方々の奮闘の方が大きいと思う。
それに、懐疑論で言えば、ウィルスやワクチンよりも今回の受賞の方が勘ぐる所はありますね。
カリコ氏のコメントもどうも浮かれすぎみたいで、とても気持ち悪く感じましたら・・
コメントどうもです。では・・・
流石に、今回のノーベル賞はあんまりだと思いました。
これと言った該当者がいなかったら、無理に選出する必要はないと思うんですね。
ノーベル化学賞も平和賞と同様に、腐っていくような気がしてます。
では・・・
平和賞なら理解できるんですが、ノーベル賞の中でも最も権威ある科学賞ですがいろんな指摘がなされてます。
毎年毎年候補者を探し出し、受賞者を選び出すという行為はとても大変なことだとは思いますが
査察するのが面倒くさいから、コイツらに与えておけって感じでしょうが。
言われる通り、大手製剤メーカーなどの圧力もあったんでしょうかね。薬害のことを考えるとノーベル賞のお墨付きは大きいですもん。