”団塊シニア”さんのブログに、”本当の自分とは何か”というテーマがあった。実に深みのある、考えさせるテーマです。
長く生き抜いた人にしか、口に出せないテーマでもあります。若いのがこういう事言っても、何の説得力も重みもないだろう。
■あなたは今の生活、今の人生に満足していますか? ■あなたは今の自分が本当の自分だと思いますか? ■あなたは今の自分の生活が本当の幸福であり、本当の生活だと思っていますか?
何だか、怪しい宗教の勧誘みたいだが。
この3つの問いは、心に響く人生の大きな難題でもある。誰もが心の闇に抱える、未解決な”人生のリーマン予想”なのです。
毎日夜遅くまで夫の帰宅を待ち、家事と育児とに疲れ、惰性という名の結婚生活を考えた時、どんな妻だってこう考えるだろう。
”これが私の本当の生活?こんな人生を送る私が本当の私?”
これは、妻だけでなく、惰性という名の単調で怠惰な仕事を延々と続ける夫にも、全く当て嵌まる。夫の方も毎晩通勤電車に揺られながら、こう考えるだろう。
”これが俺の本当にやりたい事か?こんな仕事を一生続けるのが、本当の俺の人生か?”
人生が惰性に思える時、人はその惰性から脱却しようとする。まるで、スペースシャトルが重力に逆らい、大気圏外に脱却する様に。
安定した仕事を捨て、家族を犠牲にし、自分探しの旅の果てに、ようやく見つけた理想郷。しかし、この惰性の外にある夢の世界は、天国か地獄か。多分、地獄だと思う。
安定した人生は、こういった怠惰で単調な惰性いや犠牲が大きな基盤になるのか。
”臆病と模倣のグロテスクな化合物”。この惰性に塗れた”生き物”こそが、家庭を支え、家族を養い、一家の主として、尊敬されるのだが。
会社側からすれば、単なる役立たずで、経費潰しの歯車に過ぎないのか。ひたすら”貪食と忘却の沼”に沈んでいく歯車に過ぎないのか。
会社もまた、怠惰な自転車操業を繰り返す事で、何とか社員のその家族の面倒を見てるのだ。人件費という高く付きすぎる必要経費。”社長、あんたこそ真の不必要経費なのよ”って声が聞こえそうだ。
”怠惰はいつしか人生の基盤となり、現実の中で延々と演じられるドラマ”なのか。
安定した人生に、安定した仕事の中に、人生の基本があるのか。安定とは、惰性という名の危険なエンジンを積んだ、暴走列車かも知れない。
いつしか、そのエンジンが故障し、ブレーキが効かなくなり、産廃性企業と共に、闇に中に葬られる運命なのか。
国家という機械から外された部品、システムを妨害するだけの不適応な”地金”に成り下がるのか。
かつて、飽食に明け暮れた経済大国日本が、アメリカの世界の歯車から外れ、崩壊するのを惰性を持って証明してるのだ。つまり、今の日本は惰性という過去の腐った産物を貪り、生き延びてるのか。
”自分で自分を楽しませるかが人生の基本”と、映画評論家の小森和子氏は語る。この言葉こそが自分への最高のご褒美はないか。
人は金は愛は仕事は幸せは、いつかは去っていく。だから自分を楽しませる心の持ち方次第で、人生の景色が変わると、”団塊シニア”さんは締め括る。これ程の模範解答が何処にあろう。
この人生の景色の”変化”こそが、人生の基本であり、惰性という名の衰洛を防ぐ唯一の鍵となろうか。
”現実とは上下に揺れ動くヨーヨーであり、変化こそが唯一の定数(希望)なのだ”(ヘラクレイトス)。言い換えれば、惰性こそが堕落の衰退の大海なのだ。
つまり、本当の生き方とは、本当の人生とは、本当の幸せとは、”自分を喜ばせる”多彩な生き方であり、多様な人生であり、多感な幸せであろうか。心の変化こそが人類に希望を照らし出すのか。
物質世界の充実が幸福の原点だとすれば、人類は共食いをするしか、生き延びる方法はない。逆に、精神世界の充足が人生の目標だと考えれば、人類は贅沢より協調を優先し、強欲より心の安定を求めるだろうか。
しかし、政治が人類が、大金を追い求める限りは、本当の生き方なんて、できる筈もない。戦争をし、共食いしてた方が、ずっとお似合いだろうに。
リーマンも、精神世界と物質世界の埋め難い隔たりに、大きく失望してました。彼は、39歳という若さで死にました。あと10年でも生きてたら、現代数学は、現代社会は大きく変わってたでしょう。
体が弱くても、金がなくても、誰でも心豊かに暮らせる世界。リーマンが追い求めた”絶対数学”とは、そういう精神世界なんです。
幸せとはなんぞやということを考えさせる問題ですね。
私など早くあちらの世界に行くのが幸せへの近道のような気がしています。
健康にも能力にも恵まれている人は長生きしてもいいでしょうが、そうでない人間は長生きしても希望がありません。
健康に恵まれなくても、せめてお金を稼ぐ才覚があれば長生きもいいかもしれませんが・・・。
オウムで処刑された英才たちに命を譲ってあげたかったです。
ビコさんにしては、弱気は発言ですね。
オウム死刑囚の処刑が、未だに堪えてるみたいで。
”英才”という言葉が出て来ましたが。自分がブログで紹介してる、リーマンの才知からすれば、彼らの知能なんて、全くの微々たるもんです。殆どゼロと言っていい。
リーマンは、身体も弱く、お金を稼ぐ才能もありませんでした。しかし、彼が提起した”リーマン予想”は、人類の歴史を存在を、遥かに凌駕するものです。もし、神の存在を超越するものがあるとすれば、それはリーマンの叡智でしょうか。
そのリーマンも、精神世界と物質世界の大きな隔たりに、失望してました。彼は、志半ばの39歳という若さで死にました。あと10年でも生きてたら、現代数学は、現代社会は大きく変わってたでしょう。体が弱くても、金がなくても、心豊かに暮らせる世界。リーマンが追い求めた”絶対数学”とは、そういう世界なんです。
数学と人生と数学を結び付けるとは、転んださんも好きですね。理屈を超えてますかな。
”臆病と模倣のグロテスクな化合物”という言葉には、流石にグサッと来ましたよ。変化こそが唯一の希望とはよく言ったものです。水だって流れが止まれば腐ってしまいますから。
人生とは生き方とは人それぞれで、考え方も価値観も様々で、こういうテーマは,キリがないですね。
毎日毎日、暑いですね。
hitmanさん言う通り、哲学がテーマとなると、延々と続きますね。そこで、絶対数学を使い、一纏めにしようと、安易に考えたんですが。上手く纏まらないですね。
でも、ピタゴラスが”万物は数である”と語った様に、哲学は密接な関係があります。ヘラクレイトスの言葉より、コッチの方が好きですが。
ま、人それぞれですね。何事も決め付けはよろしくないようで。