”10代の自殺について(脳科学的に)本気で考えてみた”というkatsu1110さんのブログを紹介します。まだ若いのに、これだけの知見には只々驚くばかりです。
ふと”自殺と脳”で検索したら、上記のサイトにぶつかった。多少アレンジし主観を少し加えますが、悪しからずです。
日本の自殺数は2017年は21140人で、ピーク時の2003年の34427人からは1万人以上減リ、年々減少してはいるが。10万人当たりの自殺者数は16.7で、アメリカの13.4、ドイツの12.6などと比べ、先進国の中ではまだまだ高い。
心配なのは、10代の自殺者数が増えてる(先進7ヶ国の中ではトップ)事。特にイジメを苦に自殺というケースは、メディアを騒がせ、学校側、加害者側、教育委員会側が責任をなすりつけあうまま、次の犠牲者が別の所で出るという悪循環が繰り返される。
思春期のリスクを求める行動と
脳科学的にどうしたら日本の10代の自殺者数を減らせるのか?なぜ思春期は特別な時期なのか?若き脳科学の学生は考える。
10代、特に思春期は、ただの子供と大人の間の時期ではない。ゲーテが疾風怒涛の時期と呼んだように、思春期は脳にとって特別な時期なのだ。
心理学で見る思春期の主な特徴は、”リスクを敢えて求める行動”と”同世代の仲間への高い感受性”の2つ。
まず1番目のリスクを求める行動だが。
思春期でも良識ある学生は、バットで校舎のガラスを割ったり、覚せい剤をやったりはしないが。陰でタバコを吸い、少しお酒を飲んだり、校則を破って髪を染めたり、スカート丈を短くしたり、援助交際したり、多少の喧嘩くらいはするかもだ。
そうでなくても、”テストの為の勉強ってのは判るけど、それが人生にとって大事なの?勉強が出来なくとも成功してる人は沢山いるじゃん”という、思春期の声が聞こえそうだ。
大人からすると、”何やってんだコイツラ”と思える様な、自らの人生を敢えて捨てるかの様な”暴走”を、思春期の若者はしばしば見せる。
特に、ドラッグや性交渉などは実際の人生において相当のリスクがある為、学校でも道徳の時間が用意されてる。
故に、”思春期はリスク評価を上手くできない時期”、いや”思春期は頭がおかしくなる時期”と、特徴づける大人も多い。
しかし、思春期の若者はリスクを評価できないのではなく、その行動にリスクがあるのを承知した上でやってるのだ。
それに最近の研究では、”思春期の若者はリスクに関連する情報に、大人と比べそれ程興味がない”事もわかってる。
あらゆる行動には不確実性が付きまとう。故に我々大人は情報を集め、リスクが大きく情報が集まらず、不確実性が高ければその行動を選択しない、という事を日常的に行う。
ところが思春期の若者は、情報が足りず不確実性が高くても、その行動を選択する傾向がある。つまり、”とにかくやってみよう”なのだ。
大江健三郎著の「見る前に跳べ」を思い出しますね、少し古いか(笑)。
思春期にリスクを求める行動が伴うのは、思春期の若者がバカだからではなく、”生物学的にリスク以上のメリットがある”事もわかってる。
子供の頃は親と深い繋がりを持ち、世の中の規範や行動の良し悪しとその結果を学習する。しかし世の中の広大さに比べ、周りの大人が与えてくれる情報はごく一部で、往々にして矛盾を含む。故に思春期の若者は、敢えて暴走しちゃうんですな。
では思春期の脳とは?
ここで脳の話に戻るが、神経細胞が詰まっている灰白質の体積は、思春期の初期(女性は約11歳、男性は約13歳)にピークを迎え、その後、”シナプスの刈り込み”というプロセスを経て、灰白質の体積は減少していく。
つまり、子供の時にできるだけ沢山シナプスを作り、思春期になったら大切なものだけを残し、より自分の人生に適応した脳を設計する、”脳の最適化”を行うのです。
何時までも頭でっかちじゃダメだって事、”バカほど出世する”とはこの事で(笑)。
つまり、この思春期の暴走は”脳を最適化”するの学習手段の1つ。これを学ぶには、親や大人が与える情報だけでは不十分で、それを補う為に多少リスクがあっても、”とりあえずやってみる”のが一番の近道なんですな。
故に、思春期の若者は大人よりもずっと現実的で賢い。確かに、ソープ通いする親父や高級クラブで穀潰しするクソ爺よか、援助交際で稼ぐ不良娘の方がずっとマシかな。いやそうでもないか。
思春期と強い仲間意識と
次に、”同世代の仲間への高い感受性”だが。これもリスクを求める行動と関係が深い。
思春期は、周りの同世代に非常に影響を受け易い時期で、思春期の暴走は同世代の仲間がいるとより強化される。
虐めがエスカレートし殺人になり、軽い気持ちで覚せい剤に手を出すといった例はよくある事。例えば、ネズミもアルコールを飲めるが、思春期のネズミは周りに同世代のネズミがいると、よりアルコールを飲むらしい。
ネズミも新歓コンパの学生も、たいして変わらないのです。
また思春期の若者は大人と比べ、仲間から疎外された時より強くストレスを感じる事がわかってる。
これは思春期では、人間関係など高度な認知機能をコントロールする”前頭葉”の発達が十分ではない為で、実際、思春期の若者は他者の表情を読み取る時、感情を司る”扁桃体”に大きく頼る傾向にある。
この扁桃体の過剰反応は、感情の変動幅を大きくし、鬱など発症にも繋ると。私めのサイコパスブログも参照です。
この様に思春期の脳の特徴としては、”シナプスの刈り込み”に加え、理性を司る前頭葉が未発達だが、本能や情動を司る報酬系(扁桃体)は既に発達してる、というアンバランスな脳の状態がある。
この脳の状態とは思春期にては、湧き上がる欲望や感情を自分自身で制御する事が非常に難しいという事。故に、思春期の若者の行動や価値判断が、前頭葉ではなく報酬系(扁桃体)に依存しがちになる。
例えば、子供や大人に比べ、思春期の若者は生物学的な報酬である糖分や経済的な報酬である金銭に対し、脳の報酬系(扁桃体)がより高い活動を示す。特に、社会的報酬(同世代の仲間から認められる事)は、人生のどの時期よりも大切なものに感じられるのだ。
逆に、仲間から外されるといった”負の社会的刺激”に最も弱いのが、思春期の時期だという事。虐められてる子は、大人には計り知れない程に傷ついてるのです。
イジメがなくならない3つの理由
ではなぜ思春期の若者は、社会的刺激に異常なまでに敏感なのか?
思春期は性成熟の時期でもある。思春期における脳の大幅な変化は、身体の大幅な変化を伴う。そして人間も生物である以上、自己保存の欲求がある。つまり魅力的な異性と性行為をし、自分の遺伝子を後世に残したい。思春期はこの為の準備が具体的に始まる時期なんですね。
周りに魅力的な異性がいなかったら?そういう愚問はヤメましょう(笑)。
これはサルと同じで、社会の中における自分のランクが人生の最重要課題になるのは必然で、サル山も上の方に行く程、魅力的な異性との生殖機会が増える。”スクールカースト(校内序列)”は、つまり思春期のサル山なんです。
校内に魅力的な異性がいなかったら?そういう愚問もヤメましょう。
このサル山を上るには、当然激しい競争が待ち構え、イジメが起こる土壌が出来上がる。以下イジメが無くならない3つの理由とは。
①ランクの高い者同士がグループを作り、ランクの低い者を痛めつける事で、ランクが高い者同士の軋轢や緊張関係を緩和できる。
②虐めにより自分の力を誇示し、ライバルとの余計な争いを避ける。
③虐める事が自身の健康に繫がる。
①は、いわゆる共通の敵効果。無駄な競争を重ね、サル山を上っていくのは非常に効率が悪い。そこで結託し、自分より弱い者にストレスをぶつける事で憂さを晴らす。
②は、なぜイジメが常に無慈悲で残酷なのかの答えです。イジメが無慈悲で残酷である程、ライバルは恐れをなし、戦う気を失う。結果、いじめっ子がサル山を温々と上がっていく可能性が上がる。
③実はこれこそが衝撃的事実なんですが。当然イジメを受けると一生に渡り、その傷は癒えず、精神的にも肉体的にも悪影響を及ぼす。
一方、虐めた側には健康上のデメリットはない。むしろ、虐めた側のストレスのレベルは、大人になっても低いままという衝撃の論文が発表されてる。つまり、イジメをすると健康に長生きできる可能性が上がる事が証明されてるのだ。
故に、これだけイジメの”メリット”があれば、”イジメは悪い事なのでやめましょう”と先生がいくら口酸っぱく怒鳴った所で、イジメがなくなる筈がない。
つまり、いじめられっ子はサル山が生み出した”スケープゴート”なのだ。いじめっ子はこのメリットによりイジメを止めない。その他不特定多数のいじめられていない子も、自分の身の安全が、いじめられっ子が犠牲になる事で担保されてるから、いじめを止める事はない。エエ格好シイで正義を披露しても、逆にイジメに遭うだけ。
つまりイジメは、サルと共通の祖先を持つ人間が、特に思春期の若者が同じ場所に集まると必ず起きてしまう、生物学的で不可避な現象なのだ。
実際、食べ物が十分にあって互いに争う必要がない環境でも、サルはイジメをする。
傷つき易い思春期の脳
思春期のメンタルヘルス、いや脳のケアがなぜ大事なのか?
代表的な精神疾患は、統合失調症とうつ病の2つだが、これらを含め精神疾患の多くは10代の思春期に始まる。思春期に発症した精神疾患は発見され難く、適切な治療がなされないまま放置され、重症化しやすい。
また精神疾患は現在、完治する事はないとされる。それに人生の様々なタイミングで再発し、その人の人生を一生苦しめる。
精神疾患に苦しむ患者を減らし、思春期の自殺を減らす事が、若き健全な労働人口を確保し、ひいては日本社会の経済発展に繋がる。
その為には、精神疾患が発症する思春期のある時点で、思春期の若者が精神疾患を発症しない様な仕組みが必要になる。仮に発症してしまっても、早期に発見&治療できる体制が必要だ。
しかし現状の日本の学校は、スクールカーストというサル山でしかない。多くの思春期の若者にとって危険極まりない場所に過ぎない。
では、思春期のメンタルヘルスを改善し、脳を保護する為に必要な事は何か?
こうした現在の状況を変える為には、そもそも思春期の若者が大半の時間を過ごす学校環境を、思春期の脳のあり方に沿ってデザインする事が必要になる。しかし現在の学校の在り方は、科学的知見がこれだけ発達した現代においても、戦時中から何も変わってない。
思春期は周りとの関わりを通じ、前頭葉を自分の人生に合う様に発達させていく大切な時期。この時期のシナプスの刈り込みや前頭葉と報酬系(扁桃系)の接続を、学校環境が余計なストレスをかける事で邪魔してはいけない。
思春期のこのあるべき脳の発達の阻害は、その人の一生を狂わせる。これこそが日本の自殺率の高さの原因の1つではないか。
誰だって生まれ持った才能を磨き上げ、自分らしく生きたい筈。そうできないケースが多いのは、思春期を取り巻く環境が適切ではなく、あるべき姿に脳が発達できていないからだ。
つまり、環境と脳と自殺は密接に結びついてんる。”サイコパスインサイド”と同じですね。
思春期の自殺をなくす為に
具体的にはまず、教育に関わる人がこの様な思春期の脳の仕組みを知っておく事。私めの”サイコパス”ブログもぜひ読んで欲しいですな。
”あれだけ口酸っぱく言ってるのに、イジメは起きてしまうんだ”みたいな、不毛な悩みを持つ教師を減らし、イジメは生物学的に虐めた側にメリットがある事を認識した上で、虐めた側に相応のデメリットを課す必要がある。
虐めるメリットは、大人が思う以上に大きいので、それを越えるデメリットがないと、絶対にイジメはなくならない。退学でも少年院送りでもいいと思うと。
私個人としては、終身刑すら考えるべきだと思う。そうでないと、イジメや自殺は絶対になくならない。退学や少年院送りでは全然甘い。
日本の伝統の部活動を問題視する声も多いが、生徒が学校のクラス以外のコミュニティに属する自由度は必要だ。人間がサルより優れている点は、サルは1つのサル山にしか所属できないが、人間は複数のグループに所属する事ができるという点。
あるグループではぱっとしないが、別のグループだと中心人物なんて事はよくある事。思春期における同世代との繋がりの大切さを踏まえると、学校以外で別の仲間とリアルに繋がる機会こそが、思春期の脳の発育に必要だと。
思春期の若者の暴走は、彼らの脳が自身を最適化する為の情報を求めてるのに、それが周りにない事で生まれる。つまり、刺激を求める思春期の脳が退屈し、報酬系(扁桃系)からドーパミンを分泌させるが為に、そういった茶番を行うのだ。
勉強でもスポーツでも、多様なジャンルの中から自分の情熱を思春期のうちから見つけられる、そういった多種多様で柔軟な環境が必要なのだ。たかが受験で思春期の脳を潰すなんて殺人と同じだろうか。同じ様な事を「サイコパスインサイド」の著者Jファロンも言ってますな。
最後に
以上、主観やオチを混ぜて説明したつもりですが、どうしても長くなりますね。イジメが思春期時の生物学的な本能である事を先ずは認識し、それからイジメに対する罰則を厳しく規定する必要がある。
未成年だから、まだ子供だからとか、彼らには明日があるから、情状酌量だというのは絶対にダメだ。どんな理由があれイジメは一発でアウトだという、厳しい姿勢で大人が挑まないと。イジメは温々と、思春期という生温い温床を餌にして無限に繁殖するであろう。
その結果、思春期の若者全てが絶滅するかもしれない。
イジメは核戦争や地球温暖化と共に、”今そこにある最悪の危機”だと考えた方がいい。
それを考えれば、子育てというのは、虐められないような子を育てることが最重要かもしれません。
私達人間はまだまだ知らない事が沢山あります。でも自然科学の進化により、いろんな事が解ってきてますが、自殺やイジメに対する具体策は講じてないのが現状です。
そういう私も、イジメられたりイジメたりしてきました。学校では道徳の時間が設けられてます。是非、脳と自殺とイジメについて真剣に討論してほしいですね。
罰則を極端にきつくするという極端な対策が必要となるね。穴触っただけで、ギロチンみたいな(冗)。
人の脳はアドバンテージがある方向に自然と向かう。それが生存戦略という自然の本能だから。
言われる通り、圧倒的優位性があるんですよね。
代々と続く上下関係の基盤を形作ってきたイジメと虐待、わいせつも性的虐待ですが、そういう事に結論付けられますかね。
故に最初からなくなる訳がないという観点で法律や対処法を作ったほうがいいかもです。