”たかがブログ”をシリーズ化したいのでのサブタイトルとカテゴリを”ブログ考”に変更です。悪しからずです。
レヴューとブログの違いをふと考えた事がある。考えながら運転してはならないのだが、通勤時間が長いので、色んな事を考える。私のブログやレヴューは、そういうものが基本になってる。レイクロック曰く、どんなアホでも考える事は出来ると。
自分の事や周りの事を主観的に感傷的に綴るブログよりも、人の作品や行為を客観的に捉え、論理的に書き出すレヴューの方が、自分には合ってると思ってた。勿論、今もそう思う。
因みに、バルザックに言わせると、詩人は自らを主観的に観察し、自分の内に真理を見出す。一方、小説家は他人を客観的に洞察し、隠された真理を見抜く。ブログとレビューの違いは、詩と小説の違いでもあるようだ。
レビューは読書紹介文と言えばそれまでだし、解説をそのまま書き写せばって。でも、自分の言葉で感性で、紹介したいっていう頑固な所もある。ブログが単なる日記でないのと同じだろう。
ある大手販売サイトのレヴューに拘ってきたのは、編集部がきちんと評価してくれてるからだった。気が利いた事を書けば、当然編集部の目に止まる。その編集部が興味を持って、評価してくれるから、自分もそれに見合ったものを書こうと躍起になる。
そして、編集部との駆け引きが始まる。誰が見てくれるかではなく、相手は編集部だ。しかし、それが楽しくて楽しくて。
お陰で、結構な量のレヴューを書いた。友人からは、アフリエイトでもやればって。確かに、今でもそのサイトから、商品が無料になるメールが、結構な量が届く。レビューにサクラは必須だが、うんざりもする。
レヴューの順位が、そのサイトで購入した人が優先される様になった。ある意味、当然な事だが。レヴューもブログもコラムも、所詮見てもらってナンボ。自分の場合、これといってアクセスもコメントもなかったが、編集部が見てくれ、評価してくれた。それが唯一の励みだった。しかし、今では買わないと評価してくれない。それで、レヴューを辞めた。
今、ブログを初めて、やっと面白いと思えるようになった。それは、レヴューとは異なり、大きな広がりを持つからではないだろうか。勿論、不特定多数が対象となり、危険性もそれだけ増すが。
でも、多少の誤解も皮肉も危険性もある。それだけ興味を持ってもらい、読んでくれてるという事に感謝。一番悲しいのは、誰も読んでくれない事、評価してくれない事。一人でも二人でも確実に読んでくれて、的確なコメントを返してくれる人がいれば、それこそが理想のブログかも知れない。
面白い逸話がある。モーパッサンの『ベラミ』の主人公があまりにも破天荒なので、友人から厳しいクレームがついた。"あれはあんまりだろう、酷すぎる" "嗚呼、あれは俺が全くの想像で描いた人物なんだ。でも、結構、面白いだろ"
結局、その作品は飛ぶように売れ、後々彼の代表作となった。
モーパッサンが言う様に、ブログなんて小説と同じで、自分が面白ければって。それが理想なのかも知れない。
だと思います。
変な色気を出さないで、自分が面白く思うものを書く。これに尽きると私は思います。読者数は後からついてくるものなので、それを目指して書くと臭みが出てくるかも。
その理想に近付けるのは、極々一部の人間かもしれませんね。誰もがモーパッサンみたいになれる訳でもないし。
ま、深く考えんと気楽に行きましょ。