象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

たかがブログ、されどブログ、その1〜理想のブログとレヴューの違いと〜

2018年02月04日 05時54分30秒 | ブログ考

 

 ”たかがブログ”をシリーズ化したいのでのサブタイトルとカテゴリを”ブログ考”に変更です。悪しからずです。

 レヴューとブログの違いをふと考えた事がある。考えながら運転してはならないのだが、通勤時間が長いので、色んな事を考える。私のブログやレヴューは、そういうものが基本になってる。レイクロック曰く、どんなアホでも考える事は出来ると。

 自分の事や周りの事を主観的に感傷的に綴るブログよりも、人の作品や行為を客観的に捉え、論理的に書き出すレヴューの方が、自分には合ってると思ってた。勿論、今もそう思う。

 因みに、バルザックに言わせると、詩人は自らを主観的に観察し、自分の内に真理を見出す。一方、小説家は他人を客観的に洞察し、隠された真理を見抜く。ブログとレビューの違いは、詩と小説の違いでもあるようだ。


 レビューは読書紹介文と言えばそれまでだし、解説をそのまま書き写せばって。でも、自分の言葉で感性で、紹介したいっていう頑固な所もある。ブログが単なる日記でないのと同じだろう。

 ある大手販売サイトのレヴューに拘ってきたのは、編集部がきちんと評価してくれてるからだった。気が利いた事を書けば、当然編集部の目に止まる。その編集部が興味を持って、評価してくれるから、自分もそれに見合ったものを書こうと躍起になる。
 そして、編集部との駆け引きが始まる。誰が見てくれるかではなく、相手は編集部だ。しかし、それが楽しくて楽しくて。
 
 お陰で、結構な量のレヴューを書いた。友人からは、アフリエイトでもやればって。確かに、今でもそのサイトから、商品が無料になるメールが、結構な量が届く。レビューにサクラは必須だが、うんざりもする。

 レヴューの順位が、そのサイトで購入した人が優先される様になった。ある意味、当然な事だが。レヴューもブログもコラムも、所詮見てもらってナンボ。自分の場合、これといってアクセスもコメントもなかったが、編集部が見てくれ、評価してくれた。それが唯一の励みだった。しかし、今では買わないと評価してくれない。それで、レヴューを辞めた。

 今、ブログを初めて、やっと面白いと思えるようになった。それは、レヴューとは異なり、大きな広がりを持つからではないだろうか。勿論、不特定多数が対象となり、危険性もそれだけ増すが。

 でも、多少の誤解も皮肉も危険性もある。それだけ興味を持ってもらい、読んでくれてるという事に感謝。一番悲しいのは、誰も読んでくれない事、評価してくれない事。一人でも二人でも確実に読んでくれて、的確なコメントを返してくれる人がいれば、それこそが理想のブログかも知れない。

 面白い逸話がある。モーパッサンの『ベラミ』の主人公があまりにも破天荒なので、友人から厳しいクレームがついた。"あれはあんまりだろう、酷すぎる" "嗚呼、あれは俺が全くの想像で描いた人物なんだ。でも、結構、面白いだろ"
 結局、その作品は飛ぶように売れ、後々彼の代表作となった。
  
 モーパッサンが言う様に、ブログなんて小説と同じで、自分が面白ければって。それが理想なのかも知れない。



2 コメント

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同感です (biko)
2018-02-04 14:37:36
>ブログなんて小説と同じで、自分が面白ければって。それが理想なのかも知れない。

だと思います。

変な色気を出さないで、自分が面白く思うものを書く。これに尽きると私は思います。読者数は後からついてくるものなので、それを目指して書くと臭みが出てくるかも。
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Re:同感です (lemonwater2017)
2018-02-04 15:37:24
 ただ、理想は理想に過ぎないし。理想が実現出来たら理想でなくなる。

 その理想に近付けるのは、極々一部の人間かもしれませんね。誰もがモーパッサンみたいになれる訳でもないし。
 ま、深く考えんと気楽に行きましょ。
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