”私人逮捕”とは、一般人が逮捕状なしに容疑者を現行犯で取り押さえる事で、例えば、痴漢やひったくり現場に遭遇した場合に、警察でなくても容疑者を逮捕、又は強制的に拘束する事ができるというものだ。
但し、気をつけるべきは相手を追い詰めすぎて”暴行罪”で逮捕されたり、又は逃げた場面を撮影した動画を投稿する事で”名誉毀損”になる可能性がある。
つまり、私人逮捕した本人自身が罪に問われ、逮捕されるという矛盾が起きる。
確かに、(正義をかざし)助けに入る”世直し系”ユーチューバーにも勇気がいる行為だが、逆に冤罪を生み出したら、折角の正義は犯罪と化す。つまり、そうした行為を動画で拡散する所に大きな問題がある。
一方で、”過激な世直し系動画が数多く投稿され、再生回数を稼いでる現状が”との声もある。大衆の心理として正義との建前があるので、過激で攻撃的な内容でもスンナリと受け入れ易い。そうでなくとも過激な動画にはアクセスが集中する。お陰で、”結局はカネのため?”との懐疑的な声も多い。
しかし、動画投稿などを取り締まる明確な法律は日本にはない。動画投稿に関する法整備が必要になるが、動画投稿自体は自由なので規制するのは難しいし、たとえ規制しても再生数を稼ぐイタチごっこになるとの法律家の指摘もある。
度が過ぎた”世直し系”ユーチューバー
総再生回数1億回以上の”ガッツch”を運営してた男らが逮捕された。ネット掲示板を利用して覚醒剤を持ってくるよう唆したとして、覚醒剤取締法違反の疑いがもたれている。
逮捕者 キャップを被った男が男性に”痴漢をした”と詰め寄り、押し問答になり、男性は階段から転倒した。 犯罪の撲滅運動と称し、300本以上の動画を投稿していた“私人逮捕系Youtuber”の男2人が逮捕・起訴されたが、その後釈放された。
元埼玉県警の佐々木氏は”一般人がこの様な<おとり捜査>は認められておらず、違法になる場合も多い。状況によっては覚醒剤の共同所持になる可能性もゼロではなかったし、ありえない行為だ”と語る(news23=TBS)。
私はネット上の動画はあまり見ない。
というのも、動画よりも(ネット上の)活字の方が明らかに説得力があり、理解も早いし、サイト上でのスクロールも軽快だからだ。
一方で、YouTubeを含めた動画は質の低い派手な広告がしつこく、気分がすぐに悪くなる。それに、動画そのものが信憑性に乏しいと感じる時が多々あるからだ。
勿論、優秀な動画も存在する。
しかし、”世直し系”ユーチューバーとは聞こえはいいが、犯罪すれすれの動画配信な事は確かなのに、今になってようやく逮捕者が出た。
我ら大衆も随分とナメられたものだが、”世直し系”もここまで蔓延ると手がつけられなくなる。先日紹介した「モンスタークレイマー」と同様に、正義も説教も度が過ぎると、大きな迷惑な存在であり、巧妙な犯罪にも発展する。
一方で、こうした迷惑系ユーチューバーによる一方的な被害のケースは今に始まった事ではない。例えば、”無料で日本を縦断する”という触れ込みで、日本人の親切心につけ込み、現金をねだるなどの悪質な行為もあったという。
悪質ユーチューバー駆除の為に
でもなぜ、こんな悪質な動画やユーチューバーを駆除できないのか?
YouTubeでは、独自のアルゴリズムでポリシー違反のコンテンツを巡回し、違反動画の広告収入を剥奪したり、アカウントの凍結を自動的に行う。しかし、過激なヌードや暴力描写などの明確なポリシー違反動画であれば、 不適切なコンテンツとしてAIが自動判定するのは容易い。が、”無賃乗車”や”無銭飲食”や”虚偽を用いての金品詐取”などは、その正確な違法性の判定をAIではなくヒトが直接行う必要がある。
故に、多くの視聴者からの迷惑報告がYouTube運営元を動かし、停止や凍結の近道となる。
しかし、チャンネル登録者数が多いと凍結には多くの迷惑報告が必要になり、またチャンネルに対する”いいネ”が多いと、少数の報告でも凍結されやすい、という傾向があるという。
結局、大衆や個人の力では悪質なユーチューバーは凍結できないという事だろう。
そもそも、単なる動画再生回数に応じて収益が出るという事自体に初歩的な矛盾がある。こんな矛盾したシステムには不可思議なユーチューバーしか寄り付かない。
つまり、YouTubeの収益化を厳しくし、若者らの間で流行りの”インフルエンサー”自体を無くし、SNSで収益見込めない様にすべきである。
”公理系集合論”みたいに、矛盾や問題が起きそうなユーチューバーに対しては、規制を次々と設け、片っ端から徹底的に排除&凍結する。つまり、法律や大衆や(AIを含む)運営側で太刀打ち出来ないのなら、こうした荒行事を行うしかない。
少なくとも、矛盾を抱えた”世直し系”が蔓延るよりかはよりかはずっとマシだろう。
最後に
結局、世の中を良くするのは、ヒトでもAIでもなく、時代そのものなのかもしれない。つまり、時代はそれだけ正直であるという事だろう。
時代は(我らが思うほどに)ネットや動画を必要とはしていない。同じ様に我ら大衆も(思われてるほどに)”世直し系”を必要とはしていない。
ユーチューバーやインフルエンサーというネット社会が生み出した言葉も、時代にとっては悪害や弊害に過ぎず、最初から排除&駆除される運命にあったのかもしれない。
そう考えると、”時の流れに身をまかせる”生き方も、思う以上に優雅で贅沢なのかもしれない。
でもないか・・・
私みたいな過疎ブロガーからすれば
何万人ものフォロワーに恵まれ、全国に大きな影響力を持つインフルエンサーは正直羨ましい限りですが、一方で企業の宣伝に成り下がる危険性も孕んでます。
フォロワーからすれば
インフルエンサーが企業の広告塔に成り下がったと判った途端、死滅しちゃうんでしょうね。
セミの様に、幼虫から木によじ登り成虫になった途端に死んでしまう。
これもまた
悲しくも儚い運命の一つなんでしょうか。
インフルエンサーと
もてはやされただけ
季節性インフルエンザと同じく
毎年のように感染爆発しては収束し
やがては消滅する運命なのだろう
言葉だけが独り歩きし
大衆は彼ら彼女らを持ち上げる
やがて頭に乗った連中は
自死してる事にすら気づかない
結局は悲しい生き物なんだろう
どうもです。
マルコムグラッドウェルでした。
確かに、そう言えば納得できますね。
どうも私はインフルエンサーという言葉に抵抗があり、排除したい程に思うんですが
口コミと見れば、スンナリと受け入れられそうです。
細菌の感染力の3要素を”細菌を運ぶ人”と”病原菌そのもの”と”病原菌が作用する環境”を、口コミ感染の3要素である”少数者の法則”と”粘りの要素”と”背景の力”に置き換えれば、理解が早いですね。
これら3要素が掛け合わさり感染爆発が起きる。
一方で、感染爆発の後の収束(消滅)が待ち構えている。今のインフルエンサーはそんな状態ですかね。
グラッドウエルは、”人の性格は時と場合と背景で変わる”とも言ってますが、これも実にユニークです。早速彼の本を読んでみたくなりました。
色々と教えてくださってありがとうです。
影響という点では、有名人や著名人も含まれるので、一括りにはできないのですが、マイケル・ブラッドウエルの著書にある様にインフルエンザ(感染)を語源とするから、良い意味で使われてるとは思えないですよね。
今では、インフルエンサー=詐欺というイメージが強いんですが、企業マーケティングの世界では未だに無視できない存在で、広告より”口コミ”の方が顧客を多く獲得出来るという認識が産業界に広まった事が起点とされます。
勿論インフルエンサーは個人ですから、企業にとって大きな損害になる事もあります。一方でインフルエンサーが稼ぐには広告を表示する必要がありますが、やりすぎるとフォロワーは去っていきます。
この様にインフルエンサーと企業との関係は諸刃の件でもあり、金銭の授受が進むと、その影響力は一気に萎んでいくようにも思えます。
ブラッドウエルはインフルエンサーのメカニズムを複雑系とネットワーク理論で説き明かしますが、爆発的感染の3つの要素(少数・粘り・背景)のどれ1つ欠けても、インフルエンサーマーケティングは成立しません。
つまり、全ては単純じゃないんですよね。
ある意味、ユーチューバーもインフルエンサーも同類みたいなもんですかね。
両者とも、世直しのつもりが大きな迷惑になり、最悪は犯罪となる。
ネット社会が生み出すものは、時代に大きな影響を及ぼすものもあれば、多くは時代により淘汰されていく。
たた、欠点の多くは改善されるんですが、欠陥は改善されずに社会の片隅に沈殿する。
でも、時代という大きな波は、良いものも悪いものも分別する事なく纏めて洗い流す。
そう思うと時代とは残酷で気まぐれなもんですかね。
返答になってなくてスミマセン。
欠点を放置すれば欠陥に変わる。
欠点なら修復可能ですが、欠陥となると排除するしかない。
欠陥ユーチューバーを我ら人類で排除できないのなら、時代の波で淘汰してもらう他ない。
こうした欠陥はインフルエンサーにも蔓延るけど、世直し系というのはいろんな所に蔓延るから恐ろしい。
事実、平和とか世直しとかを主張し、時代が良くなった試しはない。
時代を良くするのは人類ではなく時代だけののかもしれません。