東京を舞台にした悲哀と迫力の入り交じる新感覚のCGアクション映画とあるが。
展開としては、悲哀な中年サラリーマンと悲運の高校生が、ある日突然、万能無敵のサイボーグとなり、無差別殺戮を繰り返す高校生に中年親父が立ち向かうという、笑えそうで笑えない典型のコミックネタだ。
見てるうちに、異常なまでの悲愁と感傷に包まれた。私めこういう映画にはとても弱いんです。コミカルな程に郷愁に浸るんですな。
「国家の品格(藤原正彦著)」で、昔の日本人は虫の鳴き声を聞くだけで涙したとあるが。私はこういった安直に見えるコミカルなCGを見ると涙が出てしまう。”ハリウッドゴジラ”でも涙が出た程だ。
でも、”タイタニック”よかは、100倍出来が良かったな。佐藤健の方がディカプリオより、100倍カッコよかった。斉藤由貴は可愛いお母さんて感じで、ケイトウィンスレットより1000倍美しかった。これ本音ですよ。
因みに、同じく借りた「ジュラシック•ワールド/炎の王国(2018)」はクズだった。日本では80億円突破を果たし、昨年度洋画No.1の座に躍り出たという触れ込みにまんまと騙された。このジュラシックパークシリーズの凋落についてはブログ立てるかもです。
話を元に戻すが。この「いぬやしき」を見終わった後の、一種独特の奇怪な郷愁を感じるのは一体何故だろうか?こういった感慨を感じるのは私だけか?
木梨憲武が演じるのは、外見の冴えない、家庭からも会社からも阻害された初老(58才)のサラリーマン役(犬屋敷壱郎)だが、何処かコミカルに映った。
一方、離婚し貧しくも独りになった母親(斉藤由貴)と、貧相なアパートに同居する一人息子で目立たぬ高校生役(獅子神皓)の佐藤健だが、イメージがジャニーズ過ぎて、ミスマッチに思えなくもなかった。
でも不思議と見入ってしまった。しかし、実に出来の良いCGと迫力ある格闘シーンが余計に思える程に悲しくなった。
それは何故か?
木梨演じる犬屋敷の場合、共働きで新築のローンも残ってるという典型の中流家庭である。一方、佐藤演じる獅子神は、母子家庭と貧困とその上、母親は末期がんという最悪で最下層の家庭という設定だ。
普段は目立たなく大人しい獅子神は、万能な機械の身体を連続殺戮に使ってしまう。捨犬に異常なまでの愛着を感じる犬屋敷は同じ機械の身体を救済に使う。前者はサイボーグの肉体に神を見て、後者は機械の身体に幻滅を見る。
アンダードッグが悪になり、アンダーミドルが正義を下す。何処にでもあるような光景だ。スパイダーマンだって、同じ様な展開だったが、正義を下すのは恵まれない若者で、悪を行使するのは博士のボンボン息子だった。
しかしこの映画は、最下層の闇に佇む若者が悪を行使するという、典型の悲しいテロリストの物語でもある。貧しさが鬱屈を生み、そしてあるきっかけで怒りに変り、無差別殺人を引き起こす。
明日を担う筈の若者が世界を敵に回し、家庭でも会社でも疎まれるダメ親父が世界を守る。これまた何処にでも見られる現代のギミック。
先の見えないこの慢性化した鬱屈は、若者だけではなく、犬屋敷の様なダメ親父でも強く感じてるものであろう。いや誰でもが感じてる日常でもあろうか。
つまり、極端な二極化が怠惰と鬱屈と心の歪みを生む。現代社会が生んだ歪で悲しいサイボーグとはこういうもんだろうか。だから涙が出たのか?いやそうでもないか。
ただ、この映画を”カタルシス”と一言で片付けていいものか。悲劇が観客の心に怖れと憐れみの感情を呼び起こし、”精神を浄化”するという意味ではあるが。この映画を見て心が浄化される筈もない。悲劇が恐れと憐れみを奇妙に混ざり合い、何だか奇怪で感傷的な気分に堕ちた感じだ。
日本人特有の弱者に対する憐れみが生んだ作品とも言えなくはないが。迫力ある出来の良いCGが、この憐れみを一層増幅させたのだろうか。いやそういう事にしよう。
でも日本映画のCGも結構ダイナミックになり、ハリウッドと遜色ないレベルになったね。CGはお金というより技術だから日本もいい線いってる。
木梨の演技にはいつも頭下がるんですが。彼は俳優としてのほうがいいのかな。カタルシスと二極化でこの映画を表現するあたり、やっぱりかなりの映画通なんですよ。
韓国映画もよく見ますが。国がバックアップしてるだけに凄い作品も多いですが、日本も負けてはいない。
この「いぬやしき」は中堅クラスの映画ですが、非常に良く出来てると思いました。情緒と品悪を全面に押し出した映画をもっと沢山作ってほしいかな。