象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

慢性化した自粛の中で見た中途なエロい夢〜真夜中の訪問者”その77”

2021年08月04日 04時16分37秒 | 真夜中の訪問者

 連日のメダルフィーバーが一段落するも、どのTV局も五輪アスリートの感動をテーマにした番組を流し、各スポンサーもここぞとばかりに五輪CMを流してきた。
 連日の様に苦悩する医療現場から見れば、ブチ切れそうな展開だが、これも医療崩壊の犠牲の上に成り立つ”感動の押し売り”ってやつで、最近は感動する気すら起こらなくなってきた。
 それに、厚労省は”重症者以外の感染者は自宅待機だ”とアホ臭な事を言い放つ。
 ヒトラーのユダヤ人大虐殺も歴史上まれに見る残酷物語だったが、この自宅待機宣言も残酷という点では負けてはいない。

 ”入院したくても入院できない”
 医療先進国な筈の日本では、我ら国民は慢性化した安っぽい五輪の感動に浮かれ、アスリート達は勝った負けたで、ネジ式の壊れた機械の様に泣き喚く。
 まさしくこれこそが、今の日本島民の奇怪で哀れな現実である。
 結局、変異株の感染拡大は専門家の予想以上の爆発感染を引き起こし、日本は再びパンデミックの入り口に引き戻された。
 五輪が感染爆発の引き金となり、自粛もワクチンも何もかもが特効薬になり得ないとしたら?と思うと、流石にウツになる。

 そういう私は、家に籠もる事に抵抗は殆どない。元々非社交的性格なので、周りからは変人に見られそうだが、外食はしないし、会食や旅行は一切断っている。
 しかし、ストレスはどんな人種にも溜まるものだ。私だってストレスには極端に弱い。
 だから、ウツに近い状況の時は奇怪な夢を見る。


バスローブの女

 夢の舞台は、とあるクラブみたいな所だった。決して怪しげな店ではなく、ごく普通のどこにでもあるスナックの様に思えた。
 店内は明るく、水着姿のホステスたちが和気あいあいと客を相手にしていた。
 私は一通り店内を見渡し、水着の上にバスロープを羽織り、恥ずかしそうにしてる女性をしばらくは眺めていた。
 店内や料金システムを紹介する店員はいないし、どこに座ろうが客の勝手のように思えた。
 結構人気のあるクラブで、殆どのホステスに客がついていた。私がバスローブを羽織った女に近づこうとすると、別の客がその女の横に座った。

 私は座る所がなくなり、独りポツンとカウンターに座るしかなかった。
 時間がいくら経っても、ホステスに空きが出そうな雰囲気はない。皆が皆それぞれに盛り上がっている。
 私はこの店を出ようと思い、カウンターを発った。その時、バスローブの女がやって来て、私の耳元で囁く。
 ”じっとしてても獲物の方から向かってくる事はないわ。自分から掴み取るものよ”

 私は、女の横にいた客を店外へ放り投げた(笑)。
 女の横に座り、バスローブを脱がすと、エロい茶色のビキニに包まれた魅惑の肢体が顕になる。流石に、バスローブを羽織ってただけの事はある。
 私は一気に一線を越えようとしたが、女のガードは硬かった。私は次第に苛立ち、その女を獲物にするのは諦めた。

 女から離れ、再び店内を見渡した。
 奥の方でグラマラス風の女が私を誘ってるではないか。
 私はその女の方に向かって歩いた。近くで見ると、その女は分厚い化粧を施した金髪の化け物に過ぎなかった。

 私は店を出ようと思った。
 先程のバスローブの女は、私が追い出した客とは違う男とイチャツイていた。
 ”何故、俺にだけは身体を許さないのか?”
 私はその客をも外へ投げ飛ばした(笑笑)。
 私がソファーに女を強引に抑え込むと、女は何の抵抗もなく自慢の肢体を私に預けた。
 私は女の肉という肉全てを貪るが如く、狂った様に思う存分に味わい尽くした。

 事が済んだ後、女は囁いた。
 ”外へ出て、もっと愉しい事しましょ”
 私は既に十分過ぎる程に愉しんだから、どうでもよかったが、今度は女が引き下がらない。
 私達は店の外へ出た。


人魚姫伝説

 その時、夢の舞台が変わった。
 眩すぎる真夏の日差の中で、川の土手を2人で歩いていた。
 女はいきなりバスローブを脱ぎ去り、ビキニ姿のまま河に飛び込んだ。一見華奢だが、よく見れば見るほどに優雅で豊穣な肉体をしていた。
 私もパンツ一つになり、川へ飛び込んだ。ひんやりとした質感が身体全体を支配したが、すぐに熱い興奮へと変わった。
 川の中での情事は、意外にも爽やかで心地よかった。
 川で泳ぐというのは、いつ以来だろうか?そうこう思ってるうちに、夢から覚めた。

 「スプラッシュ」(1984)という映画を思い出した。青年と人魚姫の恋を描くファンタジーものだが、確かにバスローブの女は人魚のようにも思えた。
 映画の女ほどには若くも美人でもなかったが、優雅さでは負けてはいなかった。

 エロい夢という程には、そこまで過激でもなかったが、自粛中に見る夢としては満更悪くもないような気もした。
 これも神様が与えてくれた中途な涼しい贈り物だと思うことにしよう。

 真の意味での感動は、人工的に作られるではなく、無限に散らばる錯綜した知識の中で、無意識に作られる夢の中にこそ存在する。
 コロナ渦に囲まれ、五輪アスリートが与える感動に苛立つ中、こういう事もないとやってられない・・・



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