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第21回ノーベル物理学賞 アインシュタイン「光電効果の法則の発見」

2010年02月25日 | ノーベル賞

 受賞理由「光電効果」の理由

 第21回ノーベル物理学賞はアルベルト・アインシュタインである。数々の業績を残し、平和活動などにも熱心だった。特異な風貌とユーモアあふれる言動によって、専門分野を超え、世界中に広く愛されている科学者であり、しばしば天才の例としてもひきあいに出される。

 彼の業績で有名なのは特殊相対性理論と一般相対性理論であるが、ノーベル賞の受賞理由は「光電効果の法則の発見等」。1905年はアインシュタイン「奇跡の年」といわれている。「特殊相対性理論」をはじめ「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関連する5つの重要な論文を立て続けに発表した。

 このうち「光量子仮説」がノーベル賞で注目を浴びることになった。この理由はなぜなのだろう?

 実はそこに、ユダヤ人としての人種差別の壁があったという。ノーベル賞の受賞は1922年、日本へ向かう最中、11月9日にアインシュタインは前年度に保留されていた1921年度のノーベル物理学賞受賞の知らせを受けている。受賞理由は「光電効果の法則の発見」によるものであった。

 人種差別の時代

 当時、アインシュタインが構築した相対性理論について「人類に大きな利益をもたらす様な研究と言えるのかと言えば疑問」との声、更には「ユダヤ的」であるとするフィリップ・レーナルト或は、ヨハネス・シュタルクなどノーベル物理学賞受賞者らの批判があった。ノーベル賞委員会は、これらの批判を避けるために、光電効果を受賞理由に挙げたと言われている。

 同じノーベル物理学賞受賞者で、同じドイツ出身の物理学者達から、人種差別的批判を受けたのは残念なことだ。かつてのノーベル賞は「人格」がノーベル賞選出の基準になってなかったのだ。その後、ドイツは20世紀最大の天才科学者を失うことになる。

 1894年15歳の時、ドイツの軍国主義的な教育を嫌い、一家とともにイタリアへ移住する。その後スイスで学び、1913年にはベルリンに戻ることになるが、1932年アメリカへ3度目の訪問をすべくドイツを発つ。翌年にはドイツでヒトラー率いるナチスが政権を獲得。以後ユダヤ人への迫害が日増しに激しくなっていったため、アインシュタインがドイツに戻ることはなかった。1933年、ナチスはアインシュタインを国家反逆者とした。

 アルベルト・アインシュタインとは?
 アルベルト・アインシュタイン(1879年~1955年)は、ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者。1921年ノーベル物理学賞受賞、受賞理由「光電効果の法則の発見等」

 彼の業績は多岐にわたる。特殊相対性理論及び一般相対性理論、相対性宇宙論、ブラウン運動の起源を説明する揺動散逸定理、光子仮説による光の粒子と波動の二重性、アインシュタインの固体比熱理論、零点エネルギー、半古典型のシュレディンガー方程式、ボーズ=アインシュタイン凝縮などを提唱した。

 特殊相対性理論
 1905年に特殊相対性理論を発表。20世紀に於ける物理学史上の2大革命として量子力学及び相対性理論が挙げられるが、以前から論理的に展開されていた相対性原理(アンリ・ポアンカレ、ジョゼフ・ラーモア、ヘンドリック・ローレンツなど)をもとに、ニュートン力学とマクスウェルの方程式を基礎とする物理学の体系を根本から再構成した。特殊相対性理論では、質量、長さ、同時性といった概念は、観測者のいる慣性系によって異なる相対的なものであり、唯一不変なものは光速度cのみであるとした。

 一般相対性理論
 特殊相対性理論は重力場のない状態での慣性系を取り扱った理論であるが、1915年-1916年には、加速度運動と重力を取り込んだ一般相対性理論を発表した。一般相対性理論では重力場による時空の歪みをリーマン幾何学を用いて記述している。

 さらに後半生の30年近くを重力と電磁気力を統合する統一場理論を構築しようと心血を注いだが、死により未完に終わっている。

 光電効果とは?
 光電効果(Photoelectric effect)は物質中の電子が、光子1個を吸収し、そのエネルギーを自身の運動エネルギーとして物質から飛び出す(もしくは半導体等の伝導帯へ励起される)現象として説明される。

 アルベルト・アインシュタインがマックス・プランクの黒体放射の量子仮説を基にして、電磁波の粒子的な側面を説明するために導入した光の量子である。アインシュタイン自身は光量子 (light quantum) の名前で提唱していた。

 光子1個の持つエネルギー Eは、プランク定数 h、振動数 ν、光速度 c、波長 λ を用いて次のように表した。

  E = hν =h c/λ
 
 1887年、ドイツの物理学者ヘルツ (H.R. Hertz)は、陰極に紫外線を照射することにより、電極間の放電現象が起こって電圧が下がる現象として、光電効果を見出した。

 翌1888年、金属に短波長の(振動数の大きな)光を照射すると、電子が表面から飛び出す現象がドイツの物理学者ハルヴァックス(W.L.F.Hallwacks)によって発見された。

 この現象は、19世紀の物理学では説明することのできない難題であったが、1905年、物理学者のアルベルト・アインシュタインの導入した光量子仮説によって、説明付けられた。

 励起された電子は光電子と呼ばれる。光電子が物質の表面から放出される外部光電効果(external photoelectric effect)と、光照射によって物質内部の伝導電子(これも光電子と呼ぶ)が増加する内部光電効果(internal photoelectric effect)に分けられる。単に光電効果という場合は外部光電効果を指す場合が多い。

今日、光電効果は光センサ、フォトダイオード、太陽電池などに広く利用されている。

 

参考HP Wikipedia「光電効果」「アルベルト・アインシュタイン」「特殊相対性理論」「一般相対性理論」 

アインシュタイン150の言葉

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