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第22回ノーベル物理学賞 ボーアの原子構造とコペンハーゲン解釈

2010年04月06日 | 科学全般
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 「神はダイスをころがさない」
「神はダイスをころがさない」という有名な言葉を残したのは誰だろう?

 テレビ・ドラマのタイトルにまでなったこの言葉が、あのアインシュタインによるものだということは有名である。しかし、この言葉がいつ何のために、誰に向かって語られたものかを知る人は多くない。

 正確には、アインシュタインはこう言った。「あなたは本当に、神がサイコロ遊びのようなことをすると思うのですか?」それに対して、相手はこう言って切り返した。

 「あなたは、物の性質をいわゆる神の問題に帰するときには、注意が必要だと思いませんか?」こう言って、アインシュタインをやりこめた人物、彼こそ20世紀の科学を代表するもうひとりの天才物理学者ニールス・ボーアである。

 しかし、アインシュタインがノーベル物理学賞を受賞した翌年(1922年)に同賞を受賞したこの物理学者の名前を知る人は少ない。アインシュタインとボーア、この2人の天才は何について議論したのだろうか?

 コペンハーゲン解釈
 実はボーアの主張した「コペンハーゲン解釈」について、アインシュタインが疑問をぶつけたのだ。時は1927年、場所はベルギーのブリュッセルで行われた、第5回ソルベー会議で2人は、面白いことに会議の席上ではなくロビーや食堂で議論したという。

 「コペンハーゲン解釈」とは量子力学の基本的な考え方のこと。それまで原子を構成する物質は、どれも粒子すなわち小さな粒々と考えられていた。ところが、量子力学では原子の周りを回る電子は、実在する粒子ではなく、ある確率で存在する幽霊のような存在とされている。幽霊とはどんなことをいうのだろう?

 量子力学では、粒子が空間的に一点に存在することを示している。同時に、空間的に広がりを持つことも示している。そして、いつどのようにして広がりを失ったかについては分からない。何故なら、比較対象として観測前の状態を得ることが原理的に不可能だからである。そこで、観測前に波動関数に従った空間的広がりがあったことと、観測時点では一点に収束していること、収束の確率が確率解釈に依存することの3つの実験事実を合意事項として採用する解釈として「コペンハーゲン解釈」が生まれた。

 つまり、電子は見えないとき、粒子ではなく雲のように広がった波であり、それを観察しようとした瞬間に粒として姿を現すというのだ。アインシュタインは、そんなあやふやな量子という存在を、神がつくるはずがないと考え、このことを「神はダイスをころがさない」といった。ところがボーアは「コペンハーゲン解釈こそが神のつくった法則だ」といったのである。

 現在では電子だけでなく、陽子、中性子、原子、分子なども粒の性質と同時に波の性質を持つ「量子」であることがわかっている。面白いのはアインシュタインが光子については、粒と波の両方の性質を持つ「量子」であることを認めながら(光量子仮説)、電子については、粒であることに固執したところである。しかし、2人のこの議論によって量子論は飛躍的に発展することになる。

 ニールス・ボーアの原子模型
 ニールス・ボーア(Niels Bohr 1885年10月7日~1962年11月18日)は、デンマークの理論物理学者。量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。

 しかし、彼がノーベル物理学賞を受賞したのは1922年、受賞理由は「原子構造とその放射に関する研究」である。彼が考えた原子構造はどんなものだったのであろうか?

 1900年代前半、原子モデルはJ・J・トムソンのプラム・プディング・モデルが主流であり、長岡半太郎の、正電荷をもった原子核の周りを電子が回る土星型の原子モデルを支持する人はあまりいなかった。1909年アーネスト・ラザフォードらがα線の金箔での散乱(ラザフォード散乱)を観察した。その結果から1911年に原子の中心に原子核が存在すると結論付けた。

 しかし、古典力学では原子核の周りを回転運動する電子は電磁波を放射して運動エネルギーを失い、やがて原子核に落下してしまう。また、原子の発光が線スペクトルであるという観察事実を説明することができなかった。

 この問題を解決するため1913年にニールス・ボーアはマックス・プランクの量子仮説を原子内の電子に適用し、電子は原子核の周りを円運動しているが、角運動量がプランク定数の整数倍を2πで割ったものとなる軌道だけが許されるという量子条件仮説を提唱した。

 そしてこの許される軌道間を電子が移るときには、そのエネルギー差にあたる光子を放出し、その振動数はアルベルト・アインシュタインの光量子仮説に従うとした。このボーアの原子模型により水素原子の発する線スペクトルの波長を理論的に説明することができた。

 ボーアと東洋哲学
 ボーアは、量子論の解き明かした粒子と波の二面性、位置と速度の不確定性などの世界像を「相補性」と名付け、後半生には量子物理学と東洋哲学に類似性があるとして東洋哲学を研究していた。

 これについて、次のようにも言っている。 「原子物理学論との類似性を認識するためには、われわれはブッダや老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題にたち帰り、大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある我々の位置を調和あるものとするように努めねばならない。」

 その傾倒ぶりは、偉大な功績により、デンマーク最高の勲章を受けた時、「紋章」に選んだのが、陰と陽、光と闇の互いが互いを生み出す、東洋の図面、太極図であったことからもうかがえる。 その紋章は、デンマークのフレデリック城に、世界の王室・元首の紋章とともに飾られている。

 

参考HP Wikipedia「ニールス・ボーア」「ボーアの原子モデル」「コペンハーゲン解釈」・20世紀の偉人伝「量子力学の立役者 

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