お盆ですね。ご先祖様に会いに帰省されている方も多いのではないでしょうか?
今日は、このお盆と言う行事のルーツをさぐってみました。
お盆は「盂蘭盆会」がその語源ですが、その盂蘭盆(うらぼん)は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語で、「ウド、ランブ」(ud-lamb)の義であるといわれ、これが倒懸(さかさにかかる)と言う意になります。
もともとは、逆さ吊りにされて苦しんでいる祖先を供養するためのものです。
「盂蘭盆会」を、「盆会」「お盆」「精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとよんで、今日も広く行なわれているわけです。
この行事は、本来インドのものではなく、仏教が中国に伝播する間に起こってきたものではないかと言われています。
この「盂蘭盆会」の根拠とされる仏教の経典『盂蘭盆経 』は、『父母恩重経』や『善悪因果経』などと共に、中国で成立した偽経であると考えられているそうです。
本来的は、仏教で僧侶が雨期に一所に集まって合同終業をする『安居』の終った日に、人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて、祖先の霊を供養→餓鬼に施す行法(施餓鬼)→苦しんでいる亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加されたとも言われています。
この盂蘭盆会の中国での起源は梁の武帝の大同4年(538年)に帝自ら同泰寺で盂蘭盆斎を設けたと伝えられています。
宗懍が撰した『荊楚歳時記』には、7月15日の条に、僧侶および俗人たちが「盆」を営んで法要を行なうことを記し、『盂蘭盆経』の経文を引用していることから、すでに梁の時代には、疑経の『盂蘭盆経』が既に成立し、仏寺内では盂蘭盆会が行なわれていたようです。
この行事が一般に広がるきっかけのひとつとして、仏教者以外の人々が『中元』である7月15日 (旧暦)を、先祖に供物を供え、灯籠に点火して祖先を祭る風習からではないかとも思われます。
日本では、西暦600年代以降(推古天皇・斎明天皇の時代)に盂蘭盆会を設けたと記されています。
インドでは集まった『僧侶』のために行われていた祭典が、日本に来るまでに『祖先』に置き換わっているところが、何とも興味深い。
ところで、YOGAが瞑想で自分の内側に意識を向けることのひとつの解釈として、連綿と続く祖先の意思がインプットされている自分自身が持つDNAの記憶を呼び戻す行為であるのかも知れません。
お墓や仏壇に手を合わせるのも大切ですが、この機会に、自分の中のご先祖様に意識を向けてみるのも供養のひとつかも知れませんよ。
今日は、このお盆と言う行事のルーツをさぐってみました。
お盆は「盂蘭盆会」がその語源ですが、その盂蘭盆(うらぼん)は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語で、「ウド、ランブ」(ud-lamb)の義であるといわれ、これが倒懸(さかさにかかる)と言う意になります。
もともとは、逆さ吊りにされて苦しんでいる祖先を供養するためのものです。
「盂蘭盆会」を、「盆会」「お盆」「精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとよんで、今日も広く行なわれているわけです。
この行事は、本来インドのものではなく、仏教が中国に伝播する間に起こってきたものではないかと言われています。
この「盂蘭盆会」の根拠とされる仏教の経典『盂蘭盆経 』は、『父母恩重経』や『善悪因果経』などと共に、中国で成立した偽経であると考えられているそうです。
本来的は、仏教で僧侶が雨期に一所に集まって合同終業をする『安居』の終った日に、人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて、祖先の霊を供養→餓鬼に施す行法(施餓鬼)→苦しんでいる亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加されたとも言われています。
この盂蘭盆会の中国での起源は梁の武帝の大同4年(538年)に帝自ら同泰寺で盂蘭盆斎を設けたと伝えられています。
宗懍が撰した『荊楚歳時記』には、7月15日の条に、僧侶および俗人たちが「盆」を営んで法要を行なうことを記し、『盂蘭盆経』の経文を引用していることから、すでに梁の時代には、疑経の『盂蘭盆経』が既に成立し、仏寺内では盂蘭盆会が行なわれていたようです。
この行事が一般に広がるきっかけのひとつとして、仏教者以外の人々が『中元』である7月15日 (旧暦)を、先祖に供物を供え、灯籠に点火して祖先を祭る風習からではないかとも思われます。
日本では、西暦600年代以降(推古天皇・斎明天皇の時代)に盂蘭盆会を設けたと記されています。
インドでは集まった『僧侶』のために行われていた祭典が、日本に来るまでに『祖先』に置き換わっているところが、何とも興味深い。
ところで、YOGAが瞑想で自分の内側に意識を向けることのひとつの解釈として、連綿と続く祖先の意思がインプットされている自分自身が持つDNAの記憶を呼び戻す行為であるのかも知れません。
お墓や仏壇に手を合わせるのも大切ですが、この機会に、自分の中のご先祖様に意識を向けてみるのも供養のひとつかも知れませんよ。