Yoga Sutoras of PatanJali Chapter1-17
VITARKA VICHARANANDASMITANUGAMAT SAMPRAJNATAH.
【直訳】ヴィタルカ:推察 ヴィチャーラ:熟慮 アーナンダ:至福 アスミタ:自分の本質 サムプラジュニャータ:サムプラジュニャータ
【訳】推察、熟慮、アーナンダ、アスミタの順に体験されるのが、サムプラジュニャータである。
【解説】
『有想三昧』と訳されることの多い一節。
しかし『SAMADHI』ではなく『SAMPRAJNATAH』と表現されていることに注目。
アスミターは、asumi(私は○○である)+taa(本質)と訳した。『我想』と訳される解説もある。
ヴィタルカとヴィチャーラは、同じように『思慮』と訳すことも出来るが、ビヤーサの解説では、粗大なヴィタルカより微細なヴィチャーラへ、より微細な意識へと移行することで、サムプラジュニャータを体験出来ると言っているので、推察と熟慮としてみた。
なぜ、サマディー(三昧)とサムプラジュニャータを敢えて違う言葉で表現したのか?パタンジャリが生きていたら聞いたみたいことの一つである。
多分、皆さんが持っているテキストや解説本とは違った訳になっていると思う。
なぜそのようなことが起きるのかは、真剣に学びたい人と、ちゃんと顔を向き合わせて議論したい。
来月から、スートラの連続講座、新たに始めようと計画中。
shudhananda@MAYURA