うぇるなび

yoga ayurveda インド哲学 心を豊かにする生活

随意呼吸・情動呼吸・代謝性呼吸と呼吸法の関係性

2023-03-13 | Yoga

Yogaの哲学が、思考と脳へのアプローチだとすれば、呼吸は、脳と内分泌系へ影響を与えるというお話です。

少し難しいかも知れませんが、わかる人だけわかればよいと思ってまとめてみました。

 

まず、ヒトの呼吸と機能がどのように進化していったかを考察してみましょう。

海の中で生きていた時代のエラ呼吸からはじまり→ポリプテルス(エラ+肺呼吸)→肺呼吸→二足歩行→気道延伸→言葉の確保 
呼吸の進化と共に、肉体と脳も発達していったことが分かります。

 次に呼吸の種類を脳との関係で分類してみます。
①意識的な呼吸、随意呼吸=大脳皮質
②感情により変化する情動呼吸(emotional breezing)=扁桃体
③意識して行わない代謝性呼吸=脳幹

 呼吸のリズムは、血液中の酸素と二酸化炭素の量によりPH調整(ヒトのPH 7.35~7.45 7.4前後)されますが、それが僅かであっても、高すぎても低すぎても、身体に影響が出ます。
(酸素→エネルギー→ミトコンドリア→二酸化炭素→PH調整(CO2はアルカリ度を下げる))

酸性(PH7.3以下 アシドーシス)過呼吸、臓器障害、消化器障害
アルカリ性(PH7.45以上 アルカローシス)筋肉系障害 意識障害
呼吸は、その回数や量によってPH調整に関わる重要な役割を担っているわけです。

 

意識しない呼吸下では、二酸化炭素は脳脊髄液で感知されるとされ、自動的に呼吸を調整し体内のPH調整を行います。

また、腎臓から重炭酸イオンが放出されPH調整を補完します。

さらに感情は各種ホルモンとの関係もありますから、それによって呼吸が影響を受けることを忘れてはいけません。

意識的に行う呼吸を「随意呼吸」と言います。これを利用することにより代謝性呼吸を抑え込むことも可能です。
ところが、深呼吸などのし過ぎは、自動的な二酸化炭素調整が効きにくくなり、代謝性呼吸に影響を及ぼすともいわれます。

 実際、yogaの呼吸法を自己流で行い、精神的にもおかしくなった例をインドの研究施設等で数例みてきましたが、意識的に過呼吸状態を起こし過ぎたり、逆に呼吸を止めすぎたり(クンヴァカ)して、正常な呼吸ができなくなり、さらに精神状態も異常となり、病院では治療効果が得られないほどの状態となってその施設に移送されてきたとのことでした。

 

間違った呼吸法が有害であると言う例でもありますが、それは、呼吸が精神と肉体的に影響を与えると言う例とも言え、上手に使えばさまざまなシーンで有効に使えることになります。


吸う=緊張、吐く=リラックス、止める=最大(緊張又はリラックス)と考えるならば、
恐怖や驚きで「声が出せない、身体が動かない」(例:ポリヴェーガル理論)という現象の時、呼吸は止まっているはずです。
これを意識的に行い、いわゆる非随意呼吸にアクセスし、呼吸のコントロールをとおして、心もコントロールしようと言うのがyogaの呼吸法であるとも言えます。

yogaメソッドでは、口呼吸、鼻呼吸、胸式呼吸、腹胸式呼吸、腹式呼吸の他、吸う、吐く、止める(吸いながら止める、吐きながら止める)その際に各ヴァンダを意識する等、様々な方法と理論を、人それぞれ、その時々に応じて使い分け、さらに、食事や生活態度、心のもち方(哲学)、脳(意識)の集中と鎮静をおこなう瞑想などを総合的に行うため、実践者はもちろんのこと、指導者はさらなる修練と時間が必要となるわけです。
また、太古から連綿と続く伝統的理論が最新の科学で裏付けられることも多々ありますので、特に指導的立場の方は、当たり前ですが科学的な知見もおろそかに出来ません。

 きちんとした指導と正しい実践があれば、劇的な変化を体験できるはずなのです。

 しかし、ここで、その方法論の具体的なお話は、口伝で伝えられてきた長い伝統に逆らうことにもなるため致しませんのでご容赦下さいますようお願いいたします。

最後に、実は、もうひとつヒト行う呼吸があります。

「硫黄呼吸」です。
生物が水中で生存していた時代、海中の温泉などから酸素を合成していた時代の名残です。
地上に酸素が増加し、海中から上がって生活するようになった時代に獲得した「酸素呼吸」
なってからは、影を潜めてしまったかのようですが、実はヒトの体内に1㎏程度の硫黄(硫黄含有アミノ酸)がミトコンドリア内に存在しており、ブドウ糖を使ったエネルギー代謝を行っているということが最近の研究で明らかになっています。

誰もいない高山で、断食をし、ほぼ呼吸をしない瞑想をした場合、yoga sutora’s内の不思議な体験は、硫黄呼吸のいたずらかも知れませんね。
知らんけど。。。


※この文の著作権は当方にあり、複製複写、引用等使用は一切お断りいたします。
指導者のかたは、すべてあまたの中に叩き込んでご活用くださいませ。


一寸の虫にも五分の魂

2023-01-02 | Yoga

 西暦2023年、日本では令和5年(皇紀2683年)を迎えました。

 昨年は、ロシアのウクライナ侵攻やまだまだ続くCovid-19などにより世界中で多くの命が奪われました。

 インドや日本など東洋の国々では、命もですが「魂(タマシイ)」と言う概念を大切にしてきました。

 日本には「一寸の虫にも五分の魂」というコトバがあります。
小さな虫であっても、人間と同じく魂があり、粗末に扱ってはならないという意味で、むやみに生き物を殺生してはならないと子どもの頃に教わった人もおられると思います。

 鎌倉時代の北条重時が記した家訓「極楽寺殿御消息(ごくらくじょどのごしょう)」からの由来ともいわれていますが、そもそも、東洋思想の多くは、生き物には魂が宿っており、肉体が無くなった後もそれは残ると考えていたように思います。(但し、ブッダは死後のことを言及していない)

 戦争などで「虫けらのように人を〇す」と表現されることもありますが、そもそも、虫でさえもむやみに殺生しない東洋の思想では、想像すらできない表現なのです。

 さらに深堀りするならば、「魂(タマシイ)」とは何なのか?
古代インドのvedaやyoga哲学では、その正体のヒントを後世の人々に教えてくれたように思います。

最新の量子理論をみていると、科学的に証明される日もそう遠くないように思えてきたりもしますが、古代の教えの中にも、今から迎える大転換期へのヒントが隠されているようにも思えます。

ガンジーが言ったように、「永遠に生きるかのように学…」び続け、日々の生き方に役立てたいものです。


【Yoga Camp】yoga哲学・呼吸・意識に向き合う2日間

2022-05-29 | Yoga

たぶん、最初で最後。
Yogaの哲学を実践的に掘り下げる2日間(2022.6.18-19)をインドアキャンプ形式で開催します。

場所は、5年前に豪雨災害で大きな被害を受けた福岡県朝倉市の山奥の古い木造の小学校跡を活用した施設。トトロが似合いそうな校舎です。(笑)
大人数でも収容できる施設ですが「少人数」でじっくり行います。

今回は、1節1節サンスクリッドからの和訳を解説することは致しません。

パタンジャリのyogaスートラ195節の根っこに流れる思想、原始仏教の思想、その背景にあったVeda聖典以前の流れ…など、広く、ポイントを押さえて「実践的に」理解、体感して頂く2日間です。

この後の生活に活かせるような、考え方、自分との向き合い方などをお持ち帰り頂ければ幸いでございます。

勘違いしないように申し上げますが。アサナ(ポーズ)は全くしません。

現地まで行き来できるカラダと丈夫な「アタマ」をお持ちのなら大丈夫です。
ただ、山奥なので、救急車呼んでも30分かかりますから、持病がおありの方は、カラダやココロと相談して慎重にお考えください。

営業目的ではありませんので、利益がでたらウクライナ戦争の人道支援に活用させて頂きますし、1~2名で赤字になっても開催します。

ご興味のある方のお申込み、ご質問などはPOPをご覧頂き、ご連絡下さいますようお願い致します。

FB:Inter National Day of yoga 2022 Camp In Oku Asakura | Facebook
申込フォーム:2022 Internationalyogaday Camp in OkuAsakura (fc2.com)

shudhananda yogi


【予告】yoga哲学の実戦的合宿を企画中です。

2022-05-16 | Yoga

ほぼ更新しない当ブログをご覧頂きありがとうございます。
世の中も不穏さが増してきて、こんな時こそ、心を動じない人を一人でも多く作っておきたいと思い、6/18-19 福岡県の山中でyoga哲学と呼吸法をメインに合宿を企画しております。
興味がありそうな方がおられれば、こちらでも公開してみようと思います。

インドア施設で、アサナもしませんし、断食もしませんので、ハードな鍛錬をお求めの方には向かない内容です。

宗教色やスピリチャル色もありませんので、ソチラ系の方にも向かないかも知れません。

施設内は禁煙、2日間禁酒ですので、それが守れる方で、少し心が動いて、時間と少しばかりのお金がある方は、参加出来るカモ知れません。

興味ある方は、何らかの方法でアプローチしてみてください。
尚、現地へは、公共交通機関がありませんので、予めお知らせしておきます。
万難を排してお越し頂ける方だけの特別講習となっております。


Yoga Sutoras of PatanJali Chapter2-16

2022-02-07 | Yoga

2-16 heyam dukhamanagatam

heyam→見捨てられるべき 絶たれるべき …

duhkham→苦悩

anagatam→見つけられてない まだ来ていない、未来の

「まだ来ていない(=未来の)苦しみは絶たれるべきである。」とでも、取りあえず和訳しておきます。

パタンジャリのyogaスートラが、ブッダの影響を色濃く反映しているのは、他の節でも書きましたが、「今、ここ」しか観ない思想はこの節にもあらわれています。

人生、ある日突然流れが変わることがあるものです。それは良い方にも悪い方にも。

なので、まだ来ていない時間を、無駄に想像して、苦しむこと(逆に喜ぶことも)は、止めなさいってことです。

ブッダなら「神仏に拝む位なら、今を生きれば?」と仰せになるように思います。

先の事は、神仏に祈ろうが占い師にみてもらっても「当たるも八卦当たらぬも八卦」、よくわからないのです。

ヴィッパーサナ、マインドフルネス、禅などの瞑想、アドラー心理学なども、「今、ここ」を大切にするように、過去も未来も捨てて、「今」だけに集中することは、思いのほか心を楽にするものかも知れません。


混沌かつ不安定な世の中の情勢ですが、ブッダたキリストやパタンジャリが生きた時代も、社会の大きな変革期でした。


温故知新。


2000年前の知見が今を生きるヒントになるかも知れないと思い、周りからも言われ、久しぶりにこのブログを更新してみました。


Yoga Sutoras of PatanJali Chapter1-?&?

2021-01-23 | Yoga

●VIRAGIYAN(ヴァイラーギヤ)

vi(離れる)+raga(愛情、貪欲、欲)

VIRAGIYAN が完成すると、観聴きしたことの真理がわかる意識となる。

そのVIRAGIYAN最高の状態とは、PURSHAを知覚しGUNAへの執着も無くなったことを言う。

Yoga Sutora 第1章のどこかにある節。
わからない人は探してください。

さて、2020年は、Covid-19で世界中がパニックとなってしまいました。
さまざまな面で大変な思いをした(している)方も多いことでしょう。

mayuraも長年、細々と続けてきたYogaクラスが、場所の都合でついに開催出来なくなりました。

ついに(やっと)Yogaクラスが、全く無くなったのです。

Yogaの崇高な哲学(初期の仏教につながる)を、ピュアに知覚しうる環境が整ったとも言え、むしろ喜ばしく思っています。

このように、Yoga Sutoraの第1章は、心の持ち方に何らかのヒントを与えてくれます。

さらに、私の場合、迷ったときは、Samyamaを用いた瞑想を、短時間集中して行い、自分自身を導いています。


(本来の)Yogaが「独尊=Kaivarya(カイヴァルヤ)」を目指すものとするならば、誰に依存することなく、誰から観られるものでもなく、自分で内なる自分を見つめ、その結果、さまざまな悟りと解放を得られるもの。

そこに至るまでには、ひとりひとり異なる思考、身体、生活環境に対し、ひとりひとり異なる道(Yogaでも良い)があるはずです。

Yogaは歴史が古い分、さまざまな解釈や流派が存在しますが、ポーズや呼吸を追い求める肉体的なものは新しいもので、今のようなフィットネス風のグループレッスンになったのは、1930年代位からと言われます。

それ以前は、グルジとマンツーマン、山奥で生活を共にし学ぶスタイル。(アーユルヴェーダもグルクラと言い同じようなシステムをとります)

弟子入り時には、グルジの選考試験?もあるわけですが、これはVEDA時代から数千年も続く、ブラフミン(バラモン)の選び方とも少し似ています。

完全な格差社会が長く続いてきたインドで、誰でもがYogaを学べたわけではないのです。

余談ですが、2000年以上前に格差の根源である「カースト制」に異を唱えたのが、かの「ブッダ」、しかし、教団化した後、上座部(小乗 )と大衆部(大乗)で分裂したのは(詳しくはご自分で調べて下さい)ブッダの教えを真に理解出来る者とそうでない者に分かれたとも考えられます。

誰でもYogaが出来るようになった現在も似ているのかも知れません。


実は、ここへの書き込みもやめようかと思いましたが、なぜかアクセスがそこそこあるのです。

DeepなYoga哲学を求めている方が、少しばかりはいるようなので、時間があったので書込み致しました。

次の予定は未定です。

ごきげんよう。


Yoga Sutoras of PatanJali Chapter1-6&7

2020-04-25 | Yoga

久しぶりにyoga sutora のお話しです。
世界中で不安、恐怖、悲しみ…などのmindが渦巻いていまが、2000年前の心の教本でもあるパタンジャリのyogaスートラで、心を落ち着ける練習をしてはいかがでしょうか?
過去ログにもいくつか解釈を上げてますので、よかったらご参考にされてみて下さい。
yoga teacher 向けの部分もありますが、ご了承下さいませ。

1-2で「yogaとは心の働きを止めること」と言う定義を忘れることなく、進めたいと思います。

1.6 PRAMANA VIPARYAYA VIKALPA NIDRA SMRITAYAH.(Sanskrit sound)

1.6 (心の作用とは)正しい認識(真実)、間違った認識(誤解)、空想、睡眠、記憶である。(日本語)

1.6 The five varieties of thought patterns to witness are: 1) knowing correctly (pramana), 2) incorrect knowing (viparyaya), 3) fantasy or imagination (vikalpa), 4) the object of void-ness that is deep sleep (nidra), and 5) r)(English)

心の中の「想い」が、人間のさまざまな感情をもたらします。
その感情の元になる要素を5つに分類したのがこの節。
これらそれぞれが、苦しい、楽しい、怒り、恐怖…などのタネとして作用すると述べてます。
間違った認識、妄想、過去の辛い経験…などが、「苦」のタネとなるのです。


1.7 PRATYAKSHANUMAGAMAH PRAMANANI(Sanskrit sound)

1.7 正しい認識(プラマーナ=真実)のよりどころは、直接知覚したもの、事実に基づいた推察、及び聖典等の知識による。(日本語)

1.7 Of these five, there are three ways of gaining correct knowledge (pramana): 1) perception, 2) inference, and 3) testimony or verbal communication from others who have knowledge. (English)

間違った認識で無駄な苦しみを得ている人が沢山います。

今の時代、無限の情報がある中で、正確で純度の高い情報を得ることは非常に難しくなっています。
むしろ、昔よりはるかに情報によって惑わされることが多いと思われます。

ゆえに、哲学と科学、自分の知覚と「無垢」な心が大切。

しかし、自分の目で観て、考えても、自分の心の色眼鏡が邪魔していては正しい認識はできません。

心の癖を修正するには、「今」一瞬の心の持ち方を少しづつ矯正するしかありません。
過去にどんな良い事、悪い事があたっとしても、タイムマシンでも出来ない限り、過去には戻りません。より良い未来を作りたいならば、今ひとときを大切に生きると、未来は全く違うものになるでしょう。

yogaスートラの第1章は、この後31節まで続く「要約」のパート。
第3章、第4章まで進んでも、何度も確認したいほど大切なセクションです。

ひとりひとり能力も考えも違うため、ネットやyoutubeでoutputすることは、私のレベルではできないので、あとは自分で勉強してください。

時間がある時、ひとりっきりの時、身体のチカラを抜ききるまでぬき、頭でなにも考えが出なくなるまで、座れるように練習してください。
呼吸は鼻呼吸。

身体に意識が向いたり、うまくいかないときは第2章にヒントがあります。

次回のUP時期は未定です。
すぐかも知れないし、ずっとないかも知れません。


2019 Yoga Veda Buddhism

2019-01-08 | Yoga

※写真は南インドAlwarthirunagari寺院

2019年(平成31年)

日本では、新たな元号が始まる記念すべき年の初めです。
もう何年もyoga「業界」から遠ざかり、パタンジャリの残したyoga哲学をお金に変えることを止め、ここのブログも閉鎖しようと思いつつも、更新もしないにも関わらず、未だに迷い込む方々がおられるのと、稀にyoga哲学やインド哲学、アーユルヴェーダを学んだという人と出会う事がありますが、明らかに誤った学びしかしてない方々も多く、今しばらく閉鎖しないでおこうと思い、今に至っております。

・パタンジャリのyogaスートラを学ぶ上でのポイント

1)遥かなる段階
  第1章 概論及び基本理論 →第2章 実践編(初級基本編)→第3章 実践編(中級現象編)→第4章 実践編(上級最終編)…と、詳細な理論と実践法がまとめられており、その両輪が揃わないと理解できない仕組みになっています。ゆえに、ただサンスクリットを読み解いただけでも、ずっと座り続けただけでも会得出来ない構成となっており、これが「経験哲学」と言われる所以でしょう。

2)周辺知識と人生経験が必要

 古代インドの聖典「veda」(アーユルヴェーダ含)、「原始仏教」の知識に加え、現代の解剖・生理学(脳科学・心理学含む)及び物理学があるとより理解しやすい。
また、様々な人の心理を理解し、自分自身を投影せず、いろいろな観方が出来るようになると、よりゴールが近いと言われます。
ある有名なyoginのグルは「スートラの3章以降は50才代以上の、選んだ人にしか教えない」と言い、酸いも甘いも味わうことの大切さを説いていました。

3)独学も可能だが…
 サンスクリッドの法則性さえ理解出来れば、ある程度の読解は可能。
 しかし、文法上の落とし穴や、実践上での不整合な点等も出てくるので、「客観的に補正」してくれる存在が必要と思います。独善的な解釈で、大きな過ちを犯した例も多々あるので、我欲にとらわれない様に注意してください。

yoga全体で言うと、薬にもなれば毒にもなるほどのモノだと理解しています。

スートラにしても、プラディピカにしても、「木を見て森を見ず」にならないよう、そして自分自身の「心と身体」を見失わないよう注意して学んで頂きたいと思います。







Yoga Sutoras of PatanJali Chapter2-23

2018-07-04 | Yoga

2-23 svas svamisaktyoh svarupalabdhi hetuh samyogah

観るものと観られるものを同質と認知し、結合させる(には)原因がある。


2-22「目的を達成したプルシャに対して(グナは)消滅するが、他にとっては共通のものゆえに存在し続ける。

2-24「この結合の原因が無知である」


カイバルヤに至る前段階の解釈。
細かなサンスクリッド記載は、面倒なので(笑)割愛させて頂きました。

沢山の「グナ」がついた和訳が多いため、久しぶりに更新&掲載したと言うのもありますが、yogaを進めてゆくうちに、混沌としている人たちが増えているように感じたのも、久しぶりに更新した理由のひとつです。

フィジカルなハタヨガから、ヨーガスートラの説くメンタルなヨガへ移行し、段階が進んでゆくと、「自分とはだれか?」が分からなくなり、瞑想でなく「迷走」し始めることがあります。

そこで、観るもの「プルシャ」と言う不動の存在を軸にして進めてゆく大切さを、パタンジャリは説いているわけです。

初期の仏教に大きな影響を受けているパタンジャリのyogasutora。

様々な古典の知識、生きてゆく中での知恵…
無知や無明では真髄に触れらないため、悩んでは学び、また瞑想し、学ぶ…の繰り返しでブラッシュアップし続けるシステムなのですね。

なので、chapter1-1 atha yoganusasanan さぁ、話をはじめますよ
とわざわざ前置きをしたわけです。

至る所に暗号や、ヒントを散りばめてくれたパタンジャリに感謝しつつ、学んでゆきたいものです。

shudhananda


Yoga Sutoras of PatanJali Chapter2-1

2017-01-27 | Yoga

Yoga Sutoras of PatanJali Chapter2-1

tapaH svaadhyaayezvarapraNidhaanaani kriyaayogaH

【読み】タパハ スヴァーディヤーヤェーシュヴァラプラニダーナーニ クリヤーヨーガハ(※便宜的な読み)

【直訳】熱・苦行 聖典を(自ら)学ぶ イシュヴァラ 深い瞑想(従順、誓願など) 実行・行為 ヨーガ

【訳】熱意をもって、自身の学習、イーシュヴァラへの思いを実行することがヨーガである。

【解説】ヨーガを実行するにあたってのポイントが第2章の冒頭にあらわされています。この手法は1章の第1節でも同じでしたね。(『さて、ヨーガの話をはじめることにする』第1章第1節)

実行のyogaとは何か?熱意を持ち続け、ヴェーダ聖典を学び、イーシュヴァラを思い続けることだと。
イーシュヴァラとは何か?ブラフマンでもアートマンでもない、イーシュヴァラ…
あえてこの単語を使っている点は、スートラを紐解くうえでとても大切な要素になると思います。


さて、第2章はsaadhana paada。『目標に導く章、成就のための章』と訳せます。

第1章 samaadhi pada『サマディーの章』でyogaの目標、定義を延べ、それを具体化させる方法論を第2章で明確にしています。
論文のような構成ですね。

第1章でもそうでしたが、さらっと訳して次に読み進みそうな節に重大な意味が隠されている…
そんな、読み解きをすると、また別の面白さが出てくるかも知れません。


文責:shudhanandha yogi@竹蔵 (2012.9投稿分を訂正