うぇるなび

yoga ayurveda インド哲学 心を豊かにする生活

Yoga with Kids

2011-07-22 | Yoga
今日は、今月最後の子づれクラスの日。

夏休みに入ったため、大きな子ども達も乱入(?)保父役の私は、かなりの有酸素運動をさせてもらった。

しかし、子どもは怖いくらいに親の性格をコピーしている。

だから、『良い子に育てたければ、良い親になること』が一番手っ取り早い。

そして、重要な時期は、

第1:3歳まで。

第2:5歳まで。

基本的な『性格』と『人間との関わり方』を形成するこの時期。
親が『お手本』を示して覚えさせることが大切だと思う。

要は『三つ子の魂100まで。』である。

脳と心の発達を結びつけて考えれば、この理由は簡単に分かるはずだ。

幼稚園の時から、理想的と言われる教育を受け、一流大学を出た女史を何人か知っているが、それぞれに深い悩みを持っていた。
頭が良くても(成績が良いと言う意味で)、社会的に不適応では、一生きつい思いをする。

さて、5歳位までの養育に問題があったと思う親、もしくは、本人はどうすれば良いか。
対応が早ければ早いほど、少しは楽に問題点を修正出来る可能性がある。
遅ければ遅いだけ辛いが、やる気があれば、変わることは出来る。

実は、これらのことは、今から3000年以上前の古代インドの教育システムにヒントがある。

私が子ども達と遊ぶ時は、必要な子には遊びや会話をとおして、こっそり?修正作業をしている。

大人にもだけど。。。


yamabech@MAYURA


無知の知

2011-07-19 | 
ギリシャ時代の哲学者ソクラテスの弟子カイレフォンが、アポロンの神託所の巫女に聞いた。

『ソクラテスを超える賢者はいるのか?』

巫女は『一人もいない』と答えた。

これを聞いたソクラテス。
自分は、大事小事に疎く賢明ではないと思っていたため、非常に驚いたと言う。
神託の意味に、散々悩んだあげく、『自分は賢者ではない』と神託そのものを反証することにした。

さっそく、世間で評判の賢者だち、政治家、詩人、職人などと会った。
しかし、彼らはみんな自ら語っていることを良く理解出来ていなかった。

確かに、ひとつの物ごとについては、知識があったが、それだけで他の事柄についても識者だと思い込んでいただけである。

そしてソクラテスは、神託の意味をこう解いた。

『知らないことを知っていると思い込んでいる人々よりは、知らないことを知らないと自覚している方が賢い。』

『人智の価値は僅かなもので、最大の賢者とは、自分の知恵が実際には無価値であることを自覚する者である。』

その後のソクラテスは、報酬を受け取らず、極貧生活をいとわず歩き回り、賢者と言われる人の無知さを気づかせる旅を続けたと言う。

ソクラテスの時代から2500年。

今はどうだろう?

shudhananda@MAYURA

アナログカブちゃん整備から人間の医療を考える。

2011-07-19 | Report

今日は、一切仕事をしない宣言!を心の中でして、午前中から趣味のバイクいじり。
先日も記事に書いた、三十路カブちゃんのキャブレター・オーバーホールをした。



機械に興味がない人は、何のことやら分からないと思うが、ガソリンと空気を混ぜる重要な部品を分解清掃したと言う意味。

今の車やバイクは、このような機械式(意外と精密)ではなく、コンピューターで制御していて、調子が悪くなってもコンピューター解析で、原因がすぐに分かったりする。あとは、悪くなった部品を替えるだけ。

しかし、30年以上前に造られたカブは、アナログなので、調子が良くないときは、頭で考えて原因を探り、場合によっては、このように分解清掃と調整だけで、調子が戻ったりするから安上がり。

この作業を、多くの人はバイク屋さんに頼むことだと思う。
そして、バイク屋さんは、新しいバイクを勧めることがほとんどだと思う。
なぜなら、こんなに面倒でお金にならない仕事よりは、買い替えてもらった方が利益率が高い。

僕だけかも知れないが、病院に行くと、自分たちがバイクや車と同じように扱われているように見える時がたまにある。

高度な電子機器での検査。
精度の高い、フィジカル(肉体的)な診断。

不良箇所の取り外し、又は交換を行なう。

いずれ、新しい肉体に交換を勧められる時代も来るかも知れない。保険外かも知れないが。(笑)

DIY派の僕は、乗物も医療も、簡単なものは、自分自身で修理や治療(自然治癒)してみたいのだ。

何でもかんでも、人に頼むと、自分がお馬鹿になってしまいそうで。

それに、お財布が軽くなるのも、イタイ

yamabech@MAURA






ベジタリアンとは?

2011-07-14 | ヘルスケア
vegetarian(ベジタリアン)

Yoga業界に関わるようになって、さらに、インドに行き来するようになって、ベジタリアンが身近になったし、自分も一時完全にそうした。

ベジタリアン=菜食 と何の疑いもなく思っていたが、ふとその語源を調べてみると・・・

ラテン語の 'vegetus' (強壮な、活発な、力強い LEXICON羅和辞典)が語源のようだ。

vegetarian(ベジタリアン)=菜食主義者と使われたのは、1800年代半ばと言われる。
vegetable(野菜)も前述のvegetusが語源だそうだ。

菜食主義者が多そうなインドでの割合は、きちんとした統計はないみたいだが、南インドに限って言えば、50%は超えているように感じた。

意外なのは、台湾で10%程度もいるらしい。
ちなみに、台湾で『素食』と言えば『菜食』を差すのだそうだ。

私の場合、基本的には菜食だ。

ただ、外食したときなどでやむを得ない場合は、肉を頂く事もある。(それでも、牛肉が出て来たときは、誰かに食べてもらうこともある)

私は、菜食を人に勧めることはしないし、マクロビ推奨派でもない。

しかし、次の偉人たちは菜食だったと言われている。

仏陀、キリスト、モーゼ、ピタゴラス、ソクラテス、プラトン、ダーウィン、ニュートン、ガンジー、アインシュタイン、ヴォルテール、ルソー、リンカーン、アルベルト・シュバイツァー、ベンジャミン・フランクリン、エジソンetc.

人それぞれ違うDNAを持ってるから、どのような食事がベストかは、体調や季節によっても違うと思う。
菜食にも肉食にも偏ることない、バランスの良い食事と、腹八分目が理想だと思っている。


yamabech@MAYURA














群れか独りか

2011-07-10 | Yoga
今日は、車で少し郊外へ。

すると、バイクでツーリングする集団とたくさんすれ違う。

『昔はああやって群れてたな~。』と心の中。

しばらく走ってると、

初老のおじさんが、30年以上前のピカピカのcb750で、後ろからついて来る。

直線では景色をチラッと見しつつ、コーナーでは、軽くアクセルを開ける。

楽しそうな表情が、ミラー越しに伝わる。

生きる上では、ある程度群れるのも、必要な場合があるが、

独りでないと得られないものもある。

群れが好きな人もいれば、

独りが好きな人もいる。

どちらでも良いと思うが、

パタンジャリのYogaの教えは、群れることではないようだ。

自分の存在を
自分自身で見つけ出すことのように思う。

決して、他人(ひと)から、見つけてらうものではない。

yamabech @mayura


愛憎 Yoga Sutoras of PatanJali Chapter2-7,2-8

2011-07-03 | Yoga
2-7 SUKHANUSAYI RAGAH.

快楽はラーガ(執着、愛欲)を生じさせる。

2-8 DUHKHANUSAYI DVESHAH.

苦悩はドゥヴェーシャ(増悪)を生じさせる。

NHK大河ドラマ『江』で描かれた、秀吉が利休に切腹を命じた時の心境は、この2節で表せるのかも知れません。

愛着が高じた末、離れて行く利休に対し、増悪の心が増幅した秀吉。

人間の心は、常に対立した感情で行ったり来たりするもの。

「sukha スッカ」と「duHkha ドゥフカ」。
「raagaH ラーガ」と「dveSa ドヴェーシャ」。

Yogaの哲学では、そんな対立した心の動きを滅すべきと言うのです。

ただ、秀吉と利休は、そんな単純な論理ではなかったように、私は思えます。
なぜならば、死なずに済む道は残されてたのですから。
何か、別の次元で物ごとを観ていたようにも思えるのです。

ともかく、快楽も過ぎると苦悩を生むと言うことです。

Shudhananda @MAYURA