2-16 heyam dukhamanagatam
heyam→見捨てられるべき 絶たれるべき …
duhkham→苦悩
anagatam→見つけられてない まだ来ていない、未来の
「まだ来ていない(=未来の)苦しみは絶たれるべきである。」とでも、取りあえず和訳しておきます。
パタンジャリのyogaスートラが、ブッダの影響を色濃く反映しているのは、他の節でも書きましたが、「今、ここ」しか観ない思想はこの節にもあらわれています。
人生、ある日突然流れが変わることがあるものです。それは良い方にも悪い方にも。
なので、まだ来ていない時間を、無駄に想像して、苦しむこと(逆に喜ぶことも)は、止めなさいってことです。
ブッダなら「神仏に拝む位なら、今を生きれば?」と仰せになるように思います。
先の事は、神仏に祈ろうが占い師にみてもらっても「当たるも八卦当たらぬも八卦」、よくわからないのです。
ヴィッパーサナ、マインドフルネス、禅などの瞑想、アドラー心理学なども、「今、ここ」を大切にするように、過去も未来も捨てて、「今」だけに集中することは、思いのほか心を楽にするものかも知れません。
混沌かつ不安定な世の中の情勢ですが、ブッダたキリストやパタンジャリが生きた時代も、社会の大きな変革期でした。
温故知新。
2000年前の知見が今を生きるヒントになるかも知れないと思い、周りからも言われ、久しぶりにこのブログを更新してみました。