2-23 svas svamisaktyoh svarupalabdhi hetuh samyogah
観るものと観られるものを同質と認知し、結合させる(には)原因がある。
2-22「目的を達成したプルシャに対して(グナは)消滅するが、他にとっては共通のものゆえに存在し続ける。
2-24「この結合の原因が無知である」
カイバルヤに至る前段階の解釈。
細かなサンスクリッド記載は、面倒なので(笑)割愛させて頂きました。
沢山の「グナ」がついた和訳が多いため、久しぶりに更新&掲載したと言うのもありますが、yogaを進めてゆくうちに、混沌としている人たちが増えているように感じたのも、久しぶりに更新した理由のひとつです。
フィジカルなハタヨガから、ヨーガスートラの説くメンタルなヨガへ移行し、段階が進んでゆくと、「自分とはだれか?」が分からなくなり、瞑想でなく「迷走」し始めることがあります。
そこで、観るもの「プルシャ」と言う不動の存在を軸にして進めてゆく大切さを、パタンジャリは説いているわけです。
初期の仏教に大きな影響を受けているパタンジャリのyogasutora。
様々な古典の知識、生きてゆく中での知恵…
無知や無明では真髄に触れらないため、悩んでは学び、また瞑想し、学ぶ…の繰り返しでブラッシュアップし続けるシステムなのですね。
なので、chapter1-1 atha yoganusasanan さぁ、話をはじめますよ
とわざわざ前置きをしたわけです。
至る所に暗号や、ヒントを散りばめてくれたパタンジャリに感謝しつつ、学んでゆきたいものです。
shudhananda