うぇるなび

yoga ayurveda インド哲学 心を豊かにする生活

二十一回猛士

2011-04-26 | 
二十一回猛士とは幕末に生きた思想家、教育者の吉田松陰のこと。

30歳で処刑された。





写真は亡くなる年に書いたと思われる吉田松陰の書(写)。

内容は・・・

『私が尊敬する諸葛孔明や賈彪はもうこの世におらず、範としていた貫高(かんこう)や魯仲連(ろちゅうれん)のような功績を残すこともできなかった。
こうした先賢の書を読み、国賊を滅ぼそうとしたが果たせなかった。
故郷の人は私を非難するが、私は、国のために命を投げ出す覚悟はできている。
誠意を尽くせば、心は通じると古くから言われているように、人は、是非とも高い志を立てるべきであり、(困難な状況でも)聖賢の志を私も敢えて追い求めたい。』(大意)山口県ホームページより引用

松蔭が長洲から江戸に送られることとなり、周りに最後の別れを告げるための書と言われている。

彼の思想は、その後、明治、昭和と日本が歩んだ道に影響を与えたと思われる。
格言に、
『俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない)』
『且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)』
と言ったそうだ。

明治から昭和にかけての日本は、松陰の思っていたように進んでいく。
少なくとも没後100年までは。

今の政治家たちは100年後のヴィジョンを見据えているんだろうか?
復興の利権を狙うなどと言う邪心はないのだろうか?

もう、純粋な政治は難しいのだろうか?

と、150年以上前の一枚の書から思った。

shudhananda @ mayura


サイババ死す

2011-04-24 | Yoga
一昔前に日本でもブームになった『サイババ』が84才で亡くなったそうだ。

超能力があると有名になり、世界中からインドのバンガロールにある彼のアシュラムには大勢の老若男女が奇蹟を信じて集ったと聞く。

実は、私もサイババの『灰』を持ってます。
10年以上前だったか、彼を信じていた当時事業も家庭も順風満帆だった方からの頂き物。

私が頂いても、猫に小判、馬に念仏だったとみえ、引出しのどこかで行方不明に。
彼を信じていた方は、その後、家を銀行に取られ、どこにいるのか行方不明。

サイババが、手の中から『物質化』して出したとされる時計が日本製だったとは有名なうわさ話。

信じたのに救われない、裏切られることもある。

そう言えば、日本の原発。

安全、安心、ローコストだったはずだが。

yamabech@MAYURA




馬油秘話

2011-04-21 | ヘルスケア
膝の痛みに悩んでいたとき、『馬油』が良いかも知れないと言う情報が入った。
今から6年ほど前の事になる。

当時、柔道のやわらちゃんこと谷亮子さんは、試合前に馬肉湿布を使って結果が良かったとも言われていたので、ためしてみようと思ったわけ。
早速使ったものの、もう少し欲が出て来て、当時店舗で使用していたアロマ精油を、アーユルヴェーダの理論で配合して作ってみた。
その結果は非常に満足。

これが、当社オリジナル『アシュバアロマ』が生まれるきっかけとなった。



その後は、かさかさする肌にも使ったし、咳で眠れない夜に胸にも塗った。
マッサージクリームとしても使ったし、5年前の交通事故で膝の骨を割った時にも使った。
開発者として自己責任で、さまざまなシーンで使った。

製造販売するために、許認可も取った。

販売開始後は、アトピーの赤ちゃんの保湿に使っている方、顔の小じわに塗り込んでいる方などなど、いろんなお声を頂いた。

しかし、良い事ばかりではないのも事実。

なので、試してみたい方は、Yogaクラスご予約の際『連絡』欄に『アシュバアロマのミニサイズ希望』と書いてご予約下さい。今なら500円(税込 希望小売価格800円)でお譲りします。

aozora-store.comで1万円以上お買上の方でご希望の方はプレゼント致します。ご注文の際に、同じくメッセージをご記入下さい。

yamabech@MAYURA




3.20&3,11

2011-04-18 | ひとりごと
今から6年前の2005年(平成17年)3月20日午前10時53分。福岡西方沖地震が発生しました。(M7.0 月齢9 上弦3日後)

その日の僕は、mayuraの前身、apex閉店予定日。
最後の営業を取りやめ、地震でぐちゃぐちゃになった後かたづけと荷造りをスタッフでしたものです。
そして、同年4月に新しく生まれ変わったのがマユーラの森(現:MAYURA Healthy Lab.)。

2011年(平成23年)3月11日14時46分 東日本大震災。(M9.0 月齢6 上弦1日前)
ちょうど、ある変革の準備をしていた矢先、また、大きな震災。
なんで、このタイミングに。
運命の流れには、逆らえない事を痛感させられます。

世界は、創造(a)。展開(維持:u)。破壊(m)。の繰り返し。

古代インドの人々は、そう考えました。

徹底的な破壊の後は、今までには出来なかった、思い切った創造が出来るきっかけでもあります。

それが出来るか否かは、人間の『心』次第です。

shudhananda @MAYURA








A friend in need is a friend indeed.

2011-04-16 | ひとりごと
『まさかの時の友こそ真の友』
たかじんのそこまで言って委員会』と言うTV番組で、金美齢さんが言っていたことばです。

台湾から約120億円もの義援金が贈られたそうです。しかし、それはTVで大きくは報道されなかった。

軍も派遣してくれている米国の義援金約100億円、中国が21億円と比較すると、日本より国民所得の低い台湾国民がいかに日本を想っているかが分かります。

日本人は、目先の欲を追い過ぎて、何か大切なものを失いつつあったのかも知れません。

原発の事故を見てもそう思ったり。。。

yamabech@MAYURA




こだま。

2011-04-14 | Yoga
「遊ぼう」っていうと
 「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
 「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
 「遊ばない」っていう。

 そうして、あとで
 さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
 「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
 いいえ、だれでも。

~金子みすず童謡集・わたしと小鳥とすずと」(JULA出版局)より引用~


広告自粛の折、UAの朗読で大量に流されたACのCM。

自分の心を、ことば、表情、動作として外に出した途端、そのまま自分に返って来る法則は、

2000年近く前、ヨガスートラを編纂したパタンジャリも同じ事を言ってます。

先日、この詩を使って、生徒さんにヨガ哲学的解釈をしてみました。

思いのほか、解り易かったようです。

shudhananda yogi @MAYURA








科学とインド哲学の関係

2011-04-05 | ひとりごと
福島第一原発事故の報道で、『科学的』と言う言葉をよく耳にします。
果たして科学とは何か?万能なのか?

『科学』とは何かを調べてみるとさまざまな解釈があるようです。(wikipedia参照)

  * (広義)体系化された知識や経験の総称。
* (広義)自然科学、人文科学、社会科学の総称。
* 自然についての体系的知識[1]。
* 自然科学。
* (狭義)科学的方法に基づく学術的な知識、学問。
  etc.
『現在分かり得る確実な法則』と言い替えてもよいのでしょうか。

さて、私が研究しているインド哲学は、一部の科学者は自身の研究のヒントにすることもあります。

今から約2500年前にまとめられたインドの叙事詩の中で、次のような一節があります。

『アシュヴァッターマンは、その言葉に烈火の如く怒り、戦車の上で丁寧に口をすすぎ、煙のない炎のような輝きに満ちたアグネーヤ(火箭)をマントラとともに発射した。無数の矢は空を覆い炎に包まれアルジュナの頭上に落下した。ラークシャサ、ピシャーチャたちは大声で騒ぎ立ち、不吉な風が巻き起こり、太陽は光を失った。カラスの群れはいたるところで啼(な)き騒ぎ、雲は雷鳴を轟かせ血の雨を降らせた。鳥も獣も聖者たちも心安まらず、天地は波立ち太陽は逆の方位に向かった。アグネーヤの力に恐れ戦(おのの)いた象やその他の生物は突然駆け出し、必至にその下から逃げ出そうとする。外界の水は熱せられ、水棲動物は熱に灼かれ暴れ回る。一面の空から落下するアグネーヤ矢に灼き焦がされた将兵は、炎に包まれた樹木さながらに燃え上がり次々に倒れていった。象も馬も戦車も山火事に遭った樹々のように燃え、悲鳴を上げてのた打つ。それはまさにユガ(世界の時間)の終わりに一切を焼き尽くすサンヴァルタカの火のようであった。』
山際素男氏 翻訳 『マハーバーラタ』より引用

これを「古代に核戦争が起こったのでは?」と言う人もいます。

『われは死神なり、世界の破壊者なり』と言ったのは、史上初めて原子爆弾を製造した物理学者オッペンハイマー。
これは、ヒンドゥー教の教典『バガヴァッド ギーター』からが引用したものです。

これらは『非科学的』な叙事詩からの引用です。

しかし、物理学者や化学者など理工系の人々がインド哲学に興味を持ち探求するのは、そこに自然科学の真理が隠されているからかも知れません。

今、日本で起こっているさまざまな事象は、『想定外』のことではなかったかも知れないと思うのです。


yamabech@MAYURA







死観 Yoga Sutoras of PatanJali Chapter1-19

2011-04-03 | Yoga
Yoga Sutoras of PatanJali Chapter1-19

bhava pratyayo videh aprakrti layaanaam

【直訳】生じる 想念 肉体のない(死んだ) 物質的(プラクリティ)

【訳】肉体を離れた(死んだ)者、「プラクリティ」(根本原質、物資的)にとどまる者は、(まだ)想念が生じる。

【解説】
震災後、休止していたYogaスートラの訳ですが、再開に際し、1章の19節を選ばせてもらいました。

1-17以降はサマーディー(三昧)に関しての記述が始まり、1-19はその中に挟まれた一節になります。

肉体(物質)と言うのは、いづれは形を変え、消えて無くなるのは避けようがありません。

そんな形あるものに、心をしばりつけ、とらわれることで、想念や苦しみが起こると言うことです。

東日本大震災では多くの方が亡くなってしまいました。まだ、身元も分からず、ご遺体も発見されず、葬儀も行われない御霊がたくさんおられます。

お葬式と言うのは、死者や遺族が『死』を受け入れる時を過ごし、亡くなった方が、この世に想いを残さないように弔う儀式ではないかと思うのですが、被災地ではそれすら叶わない現状があるようです。

先日の山ごもりでは、そんな御霊たちへのご冥福をお祈りしてきました。

形ある肉体、写真、思い出の品々は、いずれは消えて無くなるものです。
しかし、無くなった方の精神、思い出は、残された者が生きる限り、ずっと一緒にいることも出来ます。

以前、解説したように手放す事=『離欲:ヴァイラーギヤ』によって、生死の別を問わず、心は楽になると、ヨーガスートラでは説いているのではないでしょうか。

Shudhananda Yogi@MAYURA