今日は、「島原の乱の日」の日らしいです。
当時はキリスト教布教と植民地政策が一体となっていたようで、極東の地と言う
距離と当時世界有数の鉄砲保有数を持つ軍備が日本を守ったんでしょうね。
きのうは郵便局へ行き、友人に「卯」作品を贈りました。これで肩の荷がひとつ
下りましたね。
往復、4,435歩でした。
妻も歯に問題発生のようで、きのう1本抜歯してきました。部分入歯になるとかで
だんだん私の領域に近づいています。麻酔がよく効いて、5時間ほど唇が痺れていた
ようです。
今朝も寒くなっていますね。体調の管理、難しいです。
解説がありました。
島原の乱の日(10月25日 記念日) | 今日は何の日 | 雑学ネタ帳 (zatsuneta.com)
1637年(寛永14年)のこの日、過酷な年貢の取立てやキリシタン弾圧に耐えかねた
島原の領民が代官・林兵左衛門を殺害し、「島原の乱」が勃発した。
江戸時代初期に起こった日本の歴史上最も大規模な一揆であり、幕末以前では最後の
本格的な内戦である。「島原・天草の乱」「島原・天草一揆」とも呼ばれる。一揆軍の
総大将はキリシタンの間でカリスマ的な人気を得ていた当時16歳の少年・天草四郎
(益田時貞)であった。
従来、信仰的側面は表面上のもので、あくまで厳しい収奪に反発した一揆であると
いうのが定説であったが、事態の推移から、単なる一揆とする見方では説明がつかず、
宗教的な反乱という側面を再評価する説が出ている。鎮圧の1年半後にはポルトガル人が
日本から追放され、いわゆる「鎖国」が始まった。
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