閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

「織部の日」& グルメ(#3)

2024-02-28 05:45:29 | 今日は何の日
     
今日は「織部の日」でした。戦国の世、何よりも風雅を好んだ茶人大名、自分で焼いた
ようです。すばらしい! 彼は「へうげもの」と呼ばれていました。
へうげもの 古田織部の秘密  
                                
        
きのうの朝の風景、満月と富士山のコラボ再現でした。
             
              
きのうの夕刻、息子からピンボケの写真が。今日の誕生日に合わせて贈ったスコッチが
着いたお礼でしたね。ピンボケはご愛敬です。
                
               
きのうは9時に外歩きに。快晴で体も暖かく、往復、4,584歩でした。
ランチは、通販グルメの今月の最後の3つ目、「屋台骨」の「宮崎餃子」でした。残って
いた「岩崎本舗」の「角煮まんじゅう」もいただきました。来月も楽しみです。
            
             
夕方、富士山も見当た野ですが、半分だけ。今日はどうでしょうか。
           
今朝は3℃、晴れ間の多い日の予報です。久しぶりの内科検診、半分歩いて行きます。
 
今日の日の解説です。

岐阜県土岐市が1988年(昭和63年)に制定。

1599年(慶長4年)のこの日、千利休亡き後の豊臣秀吉の茶頭・古田織部(ふるた おりべ、1543~1615年)が、自分で焼いた茶器を用いて京都・伏見で茶会を開いた。

この器が後に「織部焼」と呼ばれるようになった。昭和に入って当時の織部焼の茶器が土岐市内に点在する窯跡から発掘され、生産地が美濃(現:岐阜県)であったことが確認された。

古田織部について

茶人・古田織部は、本名が古田重然(ふるた しげなり)、安土桃山から江戸時代初期の武将・大名で、織部流茶道の祖。「織部」の名は、壮年期に従五位下・織部正(織部助)の官位に叙任されたことに由来する。

古田織部

千利休が大成させた茶道を継承しつつ大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした。

大阪市に本社を置き、チョコレート・クッキーなどの菓子を製造・販売するフルタ製菓株式会社が、2016年(平成28年)、40周年の「セコイヤチョコレート」、新商品である「エブリワンクッキー」のテレビCMに古田織部を起用した。このCMは、京都市にある古田織部美術館より第1回「織部賞」を受賞した。

リンク岐阜県土岐市Wikipediaコトバンク


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2 コメント

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Unknown (あきらとマドンナ)
2024-02-28 17:49:37
 志野・黒瀬戸を復活させた荒川豊蔵の記念館が可児市の山の中にありますが織部焼きは、万人に好まれているようです
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Unknown (閑斉)
2024-02-29 04:38:54
あの自由なデザイン、近くに置きたいですね。
返信する

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