空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「ザリガニの鳴くところ」 ディーリア・オーエンス 友廣純翻訳 早川書房

2021-04-07 | 読書

家族に捨てられた少女は自然に守られ育っていった。賢くて勇気があるカイヤの物語。
 
ディーリア・オーエンズは動物学の学士で動物行動学の博士であり、調査研究の成果をノンフィクションとして発表して自然研究の分野で賞も受けている。また多くの研究論文も専門誌に掲載されている動物学者である。この小説はデビュー作で70歳の時に発表されて長期間ベストセラ―になったそうだ。

フロリダ半島の北ジョージア州の大西洋岸にそって広く細長い湿地がつながっている。独特の地形は、潟湖や沼地を形成しながら温暖な湿度の高い夏とたまに雪が降るような、人が住むにはあまり恵まれていない地域である。

小さな集落を作ってバラバラに住むインデアンの多彩な種族に交じって白人が住むには、訳ありの過去があるとみられ、一様に貧しく「貧乏白人」とあざけりをもって呼ばれたりしている。

カイヤはそういった両親や兄弟と共に住み着いた。父は戦争で負傷し軍人傷病手当てが唯一の収入だった。

父は街に出ては飲んだくれて帰り、母は家事に疲れ夫婦げんかの果てに子供を残して家を出たまま帰らなかった。
6歳の時には兄弟も姉も家を出て行った。残った父は沼地から海に舟を出し、漁をして糧を得ていたがそれもついにカイヤを捨てて出て行った。
カイヤは沼地にたつボロ小屋に住み、習い覚えた父のボートを走らせて漁をし、貝を掘って売りに行き、湿地で生きていく。
母のそばで見たささやかな野菜作りをまねてみたりもする。保護官が学校に入れるが周りの蔑みに絶えかねて一日で逃げて戻り二度と通学はしなかった。
読み書きもできず計算も苦手だったが、自然の中で生き抜くことはできた。
湿地の自然は変化に富み時に優しくカイヤを包み込んだ。植物や動物の吐息はカイヤの生活にしみこみ、四季折々の風景の中で、貧しく明日の糧も乏しい中で生きていく。

海岸線に沿って伸びている複雑な地形に入り組んだ島や、小さな岬や集落のある半島を徒歩で行き来しながら、雑貨屋の夫婦に暖かく見守られ、息子のテイトは彼女に読み書きを教え暮らしを何かと手伝ってくれる。だが彼も町の大学に去っていった。

街の人気者で素行の悪い青年がカイヤに近づいてきた、外れの火の見櫓にのぼって、落下して死んだ。
狭い地域の大事件だ。
近くに住むカイヤが捕まった。町行きのバスで往復したというアリバイがあったにもかかわらず、人々の偏見と犯人捜しの好奇心で彼女は裁判にかけられる。

しかし火の見櫓は湿地に立っていて、往復の足跡が全く見つからない。彼女を犯人にする決め手の証拠がなかった。足跡は湿った土地では湿度によって地面の表面のかたちが変化し、凹凸は平らに戻ることが多い。
事件ではなかった、事故だったと処理された。

カイヤは同じ湿地の暮らしに戻った。
時がたちテイトは近くに出来た研究所に勤めていた。めぐり合うべくしてめぐり逢い二人は家庭を持ちカイヤの小屋で暮らし始めた。

テイトの献身的な愛情のおかげで、人間の愛には湿地の生物が繰り広げられる奇怪な交尾競争以上の何かがあると、けれどカイヤは人生を通し、人間のねじ曲がったDNAのなかには生存を求める原始的な遺伝子がいまなお望ましくない形で残されていることも知った。
潮の満ち引きのように果てしなく繰り返される自然の営み、自分もその一部になれれば、カイヤはそれで満足だった。カイヤはほかの人間とは違う形で、地球やそこに生きる命と結びついていた。この大地に深く根を下ろしていた。この大地が母親だった。


カイヤは64歳まで生き傍にはテイトがいた。そしてカイヤのノートを読んでみると。


ストーリーは起伏はあるというものの興味深く飽きさせない工夫が読み取れて初めて
書いた小説らしい新鮮味があった。
自然の中で、いわゆるジャングルで動物に育てられたという話に似た指向だが、体験を元に、よりリアルな自然の深みや、その香りや独特の霧や波の音や遠く近く聞こえるかもめの鳴き声や、時には自然のもたらす荒々しさも実際に肌身で感じたリアルな表現が素晴らしかった。そこで暮らす心の豊かさに感動した。


大人に囲まれた母の郷里の暮らしは、衣食住に不自由はしなかったが、寂しかったような気がする。独りで森や雑木林の中を歩いて育った子供時代、四季折々の自然が与えてくれた恵みを今でも忘れない、時々訪ねてみるが、この本を読むとカイヤの成長とともに、海辺も少しずつ形を変えていたようだ。変わっていくあの頃の自然の風景が思い出されて共感も深く、時とともに世界が変わっていくことがうら悲しくもあった。カイヤが生物学に打ち込む道を選んだことに感動した。

夏の夜、田んぼの方からカエルの声に混じってジージーと鳴き声がする。オケラだと教えてもらったが、オケラもザリガニもちょっととんがった顔をしている。ザリガニは鳴きそうにないがもし鳴くとしたらオケラ声かも知れないな いえ、ただの妄想で(^^)
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うろんな客 エドワード・ゴーリー 柴田元幸訳 河出書房新社

2021-03-18 | 読書

ゴーリーの絵本。ユニークでシュールで特に深い意味もないが読んで眺めると胸がくすぐられる。ああ楽しくてほんのり暖かくて面白い。
「うろんな客」が突然現れた、顔は尖がったオオアリクイかバクのようだが直立歩行で人のようでもある生物。
風の強い冬の夜にベルも鳴らさずやってきた。

わずか30ペ―ジほどで左半分に二行ほどの英語文と訳、右にイラストがある。

解説を読めばもう言葉は尽きるけれど。

風の強いとある冬の晩、館に妙な奴が闖入(ちんにゅう)してきた。そいつは声をかけても応答せず、壁に向かって鼻を押しあて、ただ黙って立つばかり。翌朝からは、大喰らいで皿まで食べる、蓄音機の喇叭(らっぱ)をはずす、眠りながら夜中に徘徊、本を破る、家中のタオルを隠すなどの、奇行の数々。でもどういうわけか、一家はその客を追い出すふうでもない。
アメリカ生まれの異色のアーティスト、エドワード・ゴーリーによる、1957年初版の人気の絵物語。なんといっても、「うろんな客」の姿形がチャーミングで、忘れがたい。とがった顔に短足。お腹がふくらみ、重心が下にある幼児型が、稚拙な仕草をほうふつさせる。
この客、傍若無人ながらも憎めないのは、多分、彼が無心に行動するからだろう。たとえば子どもにせよ、ペットにせよ、無垢で無心な存在に、手はかかるけれども案外私たちは救われているのでは。そう思うと、この超然とした招かれざる客には思いあたるふしがある、と深いところで納得させられもするだろう。
白黒の、タッチの強いペン画と、文語調の短歌形式の訳が、古色蒼然としたヴィクトリア風館の雰囲気を、うまく醸し出している。明治時代の翻訳本のようなレトロ感も魅力。原文はゴーリー得意の、脚韻を踏んだ対句形式。どのページの絵も、これまた芝居の名場面のようにピタリときまって、子ども大人共に楽しめる絵本だ。(中村えつこ)


もうこれで何も加える言葉はないが、それでもどこが好きかというと、この家族がいい。三世代の五人が住んでいる中流家庭のようだが、変な客に振り回されながら「もう、困ったやつ」「おいおいそれは捨てるな」と一応言ってみるだけ。客は好き勝手に暮らしていて、振り返ってみるとかれこれもう17年も住み着いているのだ。

シュールといえば「スナーク狩り」も何が何だか説明のできないおかしみがあった。穂信さんのリズム感のある訳もノリノリで、ちょっとどころか全く異世界のようなずれた話なのに取り込まれた。

そんな類の絵本だろうか。ありそうでなさそうな、へんてこなお話がなぜ心に残るのだろう。
もしかすると、今生きている世界も自分が納得しているだけで、違った眼鏡をかけると大いにずれた暮らし方かもしれない。

この「うろんな客」をあまり抵抗なく受け入れている家族もそんな少しずれた世界に住んでいる。でもそんなことには気がついてなくて、「うろんな客」もまたそんなずれが居心地いいのかもしれない。

訳の柴田元幸さんは、韻をふんだ原文を四文字熟語に置き換える面白い試みをしている。

小さい薄い絵本でもこんなにこんなに広い世界で遊ぶことができて楽しい。
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「生まれながらの犠牲者」 ヒラリー・ウォー 法村里絵翻訳 小学館文庫

2021-03-18 | 読書

これは「失踪当時の服装は」と似た雰囲気だが、随分後に書かれた、フェローズ署長が指揮を執る別のシリーズ。衝撃のラストという言葉通りの作品。
これを先に積んでいたが、初めての作者なので発表された順がいいだろうと「失踪当時の服装は」から読み始めた。

コネチカット州ストックフォード警察署、フェローズ署長が指揮を執るシリーズ。
「失踪当時の服装は」とは別なシリーズになるが、よくあるメンバーの私生活や個人的なつながりに深入りしていないので個別な作品として楽しめた。

続けて読んでよかったのはプロットがよく似ているし混同しそうだった点だが、並べてみるとストーリーの違いが整理できた。
警察の捜査方法も、書かれた時代を反映している。今から見るとスマホもなく科学捜査の点でも足を使っての証拠集めが主になっているのもよく似ている。
ただ「失踪当時の服装は」に比べて「犠牲者」という言葉があるところが登場人物は重く、社会的な影が濃く、個人の人生を踏まえた深みがある。
どちらかといえばミステリに哀切な色付けがされた時代背景や社会環境の影響が濃い作品だと感じた。

代表作とされる「失踪当時の服装は」と雰囲気が同じようなところも多かったが、やはり読んでよかった作品だった。
題名のとおり「生まれながらの犠牲者」が語る最終章が、まさに慟哭の結末で、伏線にも気づかないで一気読みをした。

ヒラリー・ウォーはチャールズ・ボウエルのノンフィクション「彼女たちは、みな若くして死んだ」に啓発されてミステリを書き始めて成功したのだそうだが、参考図書を読むのは好きだが、こういった犯罪はフィクションだから読めるので、現実に起きた事件なら悲惨な結果に眼をそむけたくなるだろう。犯人も被害者もいわば不幸な出会いがあり、被害者になり加害者になった。その不幸は環境や素質の歪みであったとしても、即犯罪に結びつくのはやはり異常で、ミステリにだけ許されることだろう。昨今の似たような事件でも死刑判決が出て執行された例がある。だがやはり罪は罪で被害者がどんなに恵まれない環境で育ち性格が大きく歪んだ結果にしても犠牲者の人生を恐怖に陥れることはできない。

この作品で美しい13歳の少女の人生がどんなふうに閉じられたか。捜査の足並みが深みに踏み込むにつれ、伏線も見逃す新しい視点で読んだ。二作を比較して同じようでいながら犯人は誰だというミステリの根本はこうも書けるのだという新しい読み方ができた。
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「娘を呑んだ道」スティーナ・ジャクソン 田口俊樹訳 小学館文庫

2021-03-08 | 読書
 
立て続けに娘たちの失踪事件を読んだ。立て続けと思ったが、ミステリのテーマでは珍くないとも思い返した。娘はどこへなぜ消えた? それがミステリだ。
17歳の美しい娘が消えた。レレ(レナード・グスタフソン、数学教師)はアルバイトに行く娘リナをバス停まで送っていった。そのまま娘は帰ってこなかった。

絶えずその時のことを思い返す、なぜバスに乗るまで見守っていなかったのか。何度妻にも責められ悲嘆にくれたことか。
レレは娘を見つけ出すという目的に向かって、ひたすら車を走らせ続けることしかできない。
妻は出て行き家庭は破綻した。悲しみと後悔は心の底に固まって、毎夜毎夜車を走らせることで何とか持ちこたえている。

彼がもうすでに三年、娘の痕跡を探して往復しているシルヴァーロード。銀の採掘のために通された北部の海側と国境地帯に向かう一本道(国道95号線)も荒廃し、森林地帯は湿って道のわきに人家もまばらな、人もあまり寄り付かない地域になっている。銀が尽き廃坑になっても、道は残っている。海側から始まり湖沼が点在する深い森林地帯を縫う道路。そこをレレの車のライトが三年の月日を往復してきた。
この道の描写がいい。そこで育った作者は、自然の様々な匂いや風や静寂や季節の音の中を、レレの重荷を包む風景を情感豊かに描きあげており、それが暗い出来事に関わる人々の心を深くより昏く描き出す。
シルヴァーロードは一帯に広がる細い血管、それに毛細血管と彼とをつなぐ大動脈のような道路だった。雑草のはびこった無垢材の切り出し道に、冬はスノーモービルでないと走れないような道、それにくたびれ切ったような道。それらが見捨てられた村や過疎化が進む集落の間をくねくねと這っていた。川に湖、それに地上と地下の両方を流れるほんの小さなせせらぎ、じくじくしたかすり傷のように広がり、湯気を立てている沼地、さらに黒い独眼のような底なし小湖。そんな一帯をやみくもに走り回り、失踪人を探すというのは一生かけても終わる仕事ではない。

彼は助手席に幻の娘を載せて話しながら走っている。そして道が終わると娘が消えてしまう。

道のわきに車を止め。小道を探す。
あちこちに点在する人目を避けたような家がある。彼は小屋をうかがい住んでいる人と挨拶を交わす。顔見知りになる。世間から外れた人たち。そんな家族もある。
そこにはいくら探しても娘の痕跡は見つけられなかった。

レレは学校で転校生のメイヤと知り合う。
彼女は男にすがって国内を転々と住居を変える母に従って来た。母はネットで知り合った年上の男と住むことにした。男は一人暮らしの垢をつけて異臭がしたが母は気にもしないでベッドを共にして、食べていけることに満足していた。

警官の友人ハッサンからこの親子連れのことを聞き、メイヤの境遇はレレに強い印象を残した。

メイヤは湖のほとりで釣りをしている三人の兄弟と知り合った。末のヨハンに惹かれ付き合い始める。そして学校を休んでいたメイヤも消えた。

メイヤはヨハンの家にいた。ヨーラン、バール、ヨハンの三兄弟は魅力的だった。父親も母親も彼女を迎え入れてくれた。初めて家族を待ったのだ。彼女は割り当てられた仕事をこなし、朝は鶏小屋から卵を集めた。そして次第に暮らしに馴染んできたが。

ミステリだ。レレもなにかに感づいてきた。

リナは生きているのかどこにいるのか。
学校に来なくなったメイヤは。

やっと糸口が見えてくる。

面白かった。話の結末も納得で、風景に溶け込んだような暮らしや、それに育まれた人々の醸し出す雰囲気も、娘の跡を追う父親の心情も、湿った霧の中から生まれてくるような日々を、ストーリーとともに過ごすことができた。

子供時代に過ごした森の生活を思い出す。真っ暗で光のない漆黒の闇夜。大きく輝いていた月。森の下草の中で咲いていた可憐な花々。私はきっとこんな森の暮らしが今でも好きなのだろう。自分の中から沸き上がる物語が遠い過去の暮らしにもつながっているような。スティーナ・ジャクソンに親しみを覚えた。

2018年スェーデン推理作家アカデミー「最優秀犯罪小説賞」
2019年「ガラスの鍵」賞。同年スウェーデン「ブック・オブ・ザ・イヤー」
受賞作。
 
 
2021.1.18 再
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「尹東柱詩 空と風と星と詩」 尹東柱 金時鐘編訳 岩波書店

2021-03-06 | 読書

ネットで本を注文したらこの詩集が届いた。どこで間違えて私行きの線路に乗ったのだろうか。薄い本だし読んでみようと手に取った。この韓国籍の詩人は27歳の若さで獄死したと表紙にあった。

文字数が少ない詩なので、読んでみるのは時間がかからなかった。
これはちょっと近代詩に近い、清冽な抒情詩のようだった。だが解説やネットで調べた背景の重さを知れば知るほど、若くして亡くなった思想犯だったという詩人はこんな美しい詩を残したのかと、尹東柱という人の詩を知るために繰り返し読んでみた。

「序詩」
死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを、
葉あいにおきる風にさえ
私は思い煩った。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。

今夜も星が、風にかすれて泣いている。


こうして最初に掲げてある詩を読んでも、若者の汚れていない詩心や抒情的な風景や,
生きる意味などで埋められた言葉が並んでいる。二度目に読んで、なぜ太平洋戦争の真っただ中、その頃植民地だった韓国から日本の大学に留学し、福岡刑務所に収監されわずかな時間に亡くなったのか。

尹東柱の詩は知れば知るほど、暗く重い歴史の闇を背負っていながら、キリスト教の精神を自分の心の糧にしている。死の間際まで濁った川を流れる清らかなせせらぎのように美しい世界を書き続け、過去も現実もストイックなほどにその中に閉じ込め、歌って書いて亡くなったことを知った。
短い人生や過酷な環境に気づいてはいても恨むでもなく人生を悔いるでもなく、思い出を優しいまま残している。
当時どれだけの人が、異国人を虐げそれを罪とは思わないで国是としていたか。人は時代を超えることはできないという人がいる。そうした人の中に私もいて、小さな声を聞かないふりをしている。だが尹東柱の詩の前ではなぜか恥じ入ってしまう。
政治活動や政治批判が見当たらない詩を読んで、疑問符が頭から溢れそうになり、金時鐘さんの解説を読み始めた。


「金時鐘」さんは「解説に替えて」でこう書いている。

まずもってかつての日本の表立たない歴史的事実の数かずと、被植民地人であったわが同胞文学者たちの、愛憎相半ばする文学流転の人間模様を視野に止めて尹東柱の詩を推し計らなければ、尹東柱はまさしく、時代の嵐のただ中で身をこごめて瞳をこらしていた、時勢にまみれることのない澄んだ抒情の民族詩人でありました。

素朴な抒情詩に見えることについては

詩が素朴さに徹するということはほんとうはむずかしいことなのです。飾ることの一切を捨て去って、言い表したいことだけを紡ぎださねばならないのですから。表現者の思考体質がそれだけ素朴でなければなりません。ですので説明の要素も当然、作品の行間から省かれていきます。伝えたいことはほとんど暗喩(メタファー)となって読者に迫るわけです。


私は詩を読むのが好きですが、このメタファーは個人的な心理の奥底から発せられるもので、同じ体質であり上質なものでなくては共感を得られない、尹東柱の詩について初読みで抱いた誤解はこのあたりにあったのかと気が付いたのです。

2021.02.16 再
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「喪失」 カーリン・アルヴテーゲン 柳沢由美子訳 小学館文庫

2021-03-03 | 読書
 
この本を読んで「偶然の祝福」という小川洋子さんの本を思い出した。短編集だった、その中のもの哀しい「失踪者たちの王国」という一編がこの作品のどこかに細くつながっているような気がしてならなかったが。
これは題名「喪失」からの単なる連想で読む前はこんなことだろうと思っていた。
小川さんの文芸作品とミステリの違いにちょっと気づいた。文芸作品は言葉や雰囲気が後に残るがミステリはストーリーの面白さかな、などとあとになって感じるところもあった。


「喪失」は主人公のシビラが両親の顔色を窺がう生活を捨てること、社会的な身分証明をなくしてまで自由な暮らしを手に入れようとしたことを指している。

裕福な暮らしは窮屈だった。家柄を鼻にかけ見栄を張る母親と、町の人々の殆どを雇っていると自負する会社経営者の父親。
18年間シビラは子供社会でも枠外にいた、子供ながらの嫉妬と偏見にさらされ味方はいなかった。 母の叱責を逃れるために先回りして心理を読み取る術も覚えた。

母親の言葉の矛先を逃れようと耐えてきた、その鋭い嗅覚と判断力を武器にしてついに「失踪」する。
そして32歳の今までホームレス同様の自由な王国を手に入れてきた。
食事と寝床が欲しいときは、よく使う手で甘い男に近寄り食事を奢らせ、ホテルの部屋をとらせる。そして久しぶりにのびのびとゆっくり風呂に入りベッドで眠った。
ところが翌朝になってドアの外が騒がしい。後ろ暗いシビラは裏口から逃げた。
新聞広告で昨夜の男が惨殺されたという記事を読む。ホテルマンの証言でシビラが容疑者になっていた。

殺人は続いて起きた。シビラは連続殺人犯として指名手配され新聞に写真が出る。
さぁどうして冤罪を証明するか。
警察の網をかいくぐり、髪を染め服を変え逃げなくてはならない。

母も気がとがめたのか月々少額ながら送金してきた、シビラは私書箱に届いた金はできるだけ使わず、いつか小さな家を買いたいと思って溜めていた。だが犯人をつかまえて冤罪を晴らさなくてはならない。鍵の壊れた屋根裏に居場所を見つけてふと思った。何もかも諦めてしまえば簡単なのに。

面白いことに、シビラは生きるすべを見つける知恵は人並外れていたが、やはり世の中の進化には遅れていた。
夜、眼鏡の少年が屋根裏に上がってきた。15歳の彼はパトリックと言い、シビラが浮浪者とみると本物のホームレスに出会って「COOL!!」といって驚き、好奇心に目を輝かして話を聞きたがった。

シビラの話を信じ始めるところから、やっと何とかなりそうだと読む方も力が入る。おまけにこの子はいまどきだ、パソコンにも強い。両親にはなにか言い訳をしてきたらしく一晩は話ながら並んで寝た。
そしてその夜また四件目の殺人が起きる。
これでパトリックは心からシビラの無実を信じることになる。ワトスン君を得て、シビラは真相解明に向かう覚悟ができる。

殺された4人はどういうつながりがあり、なぜ殺されたのか。
ワトスン君のネット友達の天才が、料金は高いがコンピュータに侵入して非公開の情報を手に入れられるという。
彼のおかげで手がかりができた。真実は深い穴の底から不気味な顔をのぞかせた。

まぁシビラの失踪までの事情もなかなか哀れだが、ありふれたストーリーになるところをよく切り抜けて読ませる。
パトリックもご都合主義だと悟らせない存在感があり、何と言っても終盤の真相で文字通り度肝を抜かれる。
女性作家らしい終わり方は今回も味わい深く、余韻もある。


ストーリーのさわりは備忘録のようなものだが、自由に生きようとするシビラの「喪失」は、最初に感じた失踪者たちのむなしい未来と残された過去の想いが、人の蒸発という言葉に置き換えても胸に迫るような思いがあった。存在がなくなる、過去だけを残してふっといなくなること、テーマの底にある哀感をうまく語っているようで、この作品は多くの共感を得て「ガラスの鍵賞」を受賞している。
 
 
2021.2.12再
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「ささらさや」 加納明子 幻冬舎文庫

2021-03-02 | 読書

サヤに言わせれば、人生とはまだ語られていない物語だそうだ。俺とサヤが出会って恋をして、やがて二人が結婚してユウ坊が生まれたことも、すべて物語の正しい筋道に沿った流れなのだという。
 
俺の意見はかなり違っていた。
馬鹿だなぁ、サヤ。人生なんて、ほんのちょっとした弾みで、どんどん思いも寄らない方向に転がっていってしまうもんだよ。ごくささいな行き違いから、俺とサヤはそれぞれ別の人間と結ばれていたかもしれない、ユウ坊はこの世に居なかったかもしれないんだぞ……。


本音だか、からかいだか、夢だか、現実だか、生きてみなくては分からないが、日曜のうららかな散歩日和、ユウ坊の乳母車を押しながら散歩に出た。
ニンニクをきかせたカツオのたたきもいいな。
俺が上機嫌の時トラックが突っ込んできた。俺は吹っ飛んでサヤと世界が分かれた。

ところが、俺は魂になってしばらくこの世に止まることになった。何しろサヤは口下手で人づきあいが苦手で、要領が悪くて目が離せない。その上お人好しで、、死んでも死にきれないのだ。

ユウ坊は義兄夫婦に養子にと狙われる。サヤは亡くなった伯母が隠遁用に買っていた佐々良市の家をもらっていた。そこにこっそり逃げてくる。

俺の魂は、いざというときは人の姿を借りてサヤを助けることができた。葬式の時はとりついた親友の坊主に俺が見えたらしい。ユウ坊も気配は感じたらしい。サヤには気づかれていないが。

大きな箱型の古風な乳母車にユウ坊を乗せてサヤは佐々良市にやってきた。まだ何かにつけて涙が止まらない。それでもユウ坊を守らなければいけない。サヤは勇気を振り絞って伯母車を押していく。

泣き虫で頼りないサヤは、道に迷い、不動産屋に利用され、女学校の同級生だという活きのいいおばぁちゃんたちに目を付けられる。
彼女たちはとうとうもう辛抱できないと口を出し手を出し、ユウ坊ごとサヤまで面倒を見て、育て始める。

サヤは公園デビューに失敗し落ち込んでいるところに、子連れで強いエリカと知り合う。
エリカってのは荒れ野に咲く強い花だと胸を張り、息子のダイヤは大也と書くが、どうも言葉が遅くて、とそれなりに母の顔も持っている。なかなか生き強い。

様々あってサヤにも親友ができた。

おばぁちゃんたちだってそれなりに生活があり過去があり今は悩みもある。日常には小さなミステリもある。それでも無邪気なユウ坊と頼りないサヤの世話に夢中で、喜々として子育ての奥義を伝授してくれる。

と佐々良市に住むようになってユウ坊とサヤは少しずつ成長して、俺のこの世にいる時間は短くなっていく。

そう、やはり未来は、人生は語られていない物語だ。

サンキュ、サヤ。そして、バイバイ。
あと五,六十年も経って君がよぼよぼのおばぁちゃんになったらまた会おう。ゆっくり未来の話を聞かせてくれよ。君自身のことも、ユウスケのことも、細大漏らさず、時間はたっぷりあるだろうから、だからそれまではほんとうに、バイバイ。
 
 
 
 
2021-02-15 初
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「裏切り」 カーリン・アルヴテーゲン 柳沢由美子訳 小学館文庫

2021-02-24 | 読書

夫が浮気をした。最近会話もない。妻も夜中に家を飛び出し成り行きで浮気をした。不倫小説かなんだありふれたテーマかと読み始めたら、あちこちで小さい山が鳴動して落石に会うくらい驚いた最後だった。
恋して衝動的に結婚した夫婦は甘える間に甘えておかないと、青春ホルモン(?)と子孫繁栄本能が消えかかると、そこからは思いやりの暮らしになる。それに気がつかない妻のエーヴァ、急に冷たくなったのはなぜかと悩む。自立しすぎた妻は夫の欠点に目をつぶって生活をリードしてきたのだ。

夫は息子の保育園で不倫相手を見つけていた。相手は離婚経験のある、手を差し伸べたくなるようなリンダで、彼は同棲する準備をして、口実を作って二人で船旅をすることにしていた。
エーヴァはそれに気がついて嫉妬に狂う。憎いリンダは保育園から追い出す。夫とはもう一緒に暮らせない。

夫は話しかけても「知らない」とにべもなく、挙句には「君といっしょにいてももう楽しくない」という。
さぁどうやってこの問題を解決するか。
悩み疲れてバーで酒を飲み、近くにいる若者に一杯奢った。酔った勢いで若者(ヨーナス)の部屋で一夜を明かしてしまった。リンダという偽名を使ったが、ヨーナスは美人と寝て舞い上がった。

ヨーナスの恋人は二年半植物状態で病院のベッドに横たわったまま、もう先が長くないと言われていた。彼は病院側の看護も迷惑なほどつきっきりで、たまに泊まり込んで彼女のベッドで寝た。精神科医はそういった行為を異常だと感じていた。

ヨーナスはエーヴァの家の周りを徘徊した、美しい家に住む美しいエーヴァ。常に夜は窓の外からエーヴァを見ている。夫の名はヘンリックだ。

ヘンリックの浮気を探り出したヨーナスはエーヴァを救う任務を遂行しなくてはと思う。
ヨーナスはヘンリックにエーヴァと愛し合っていると告白をする。ここに来ては夫婦の危機はもう救いようがないが、エーヴァはヨーナスにその後会うこともなく記憶もおぼろで。
彼の行動を知らないままリンダを陥れ保育園から出て行かそうと計画する。

ヨーナスの話を信じたヘンリックはエーヴァとの生活の快適さを手放す恐怖に震える。
ここにきてエーヴァまでヘンリックとの生活に未練を感じる。
ヘンリックも自分も哀れで悲しい。
彼を不倫に走らせたのは自分ではないだろうか。

ヨーナスの彼女は死んだが彼にはすでに過去の女になっていた。

船旅に出たには出たが、ヨーナスの話を聞いても、煮え切らないヘンリックを見限ってリンダは逃げようとする。
エーヴァの執拗な嫌がらせに手首を切って瀕死の状態になる。


よくある不倫から始まった登場人物の「裏切り」についてヨ-ナスとエーヴァの最後の会話が面白い。
ヨーナスは
「自分が愛することになっている相手に愛情を感じなくなったらなにも言わずにいつもどおりの生活を続けて、すべてうまくいっているふりをするのがいちばんいいと言っているんだね」
「それもまた、ある種の裏切りじゃないのか?愛していると思っている相手に対し、実は義務感と思いやりからそこに踏みとどまっているだけなら」
「それじゃ全生涯をいっしょに生きた夫婦はみんな幸せなのか?その人たちは単に運がよかったということか?」

こうして変質的な形で愛し愛された夫婦はもう戻れない人生に堕ちてしまう。

あれさえなかったら、と何度も振り返る。そして息子のそばでしみじみと独白する最後の章は胸が詰まる。

と並みでない心理ミステリと解説されるのは、こういう描写で登場人物の特異性や陥った状況を心理や会話から浮き彫りにしていく手並みの鮮やかさにあるのか。
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「罪」 カーリン・アルヴテーゲン 小学館文庫

2021-02-15 | 読書

 

 

先に読んだ「バタフライ・エフェクト」で紹介されていた<カーリン・アルヴテーゲン>の訳書の7冊目だった。出版されているものが後6冊あってちょっとホクホクッとした。面白そう! これがデビュー作なら楽しみだ。
流行りの北欧ミステリも数が増えている、特捜部Q、ヴァランダー刑事、一口で言えるようになったアーナルデュル・インドリダソン等々。

和製ミステリでも本格らしい作品が、読んでみるとなんとなく軽さが目についてきたりしたので、新しく見つけたこの作家を読もうと揃えてみた。

とは言いながら、今年は心温まる読み心地のいいものを読もうと、100冊からまだあまり5冊ほどリストアップしてみたが、こんなには読めないだろうなぁと眺めていたところだった。この分野は今まで疲れた時に慰めてくれるようで好きたったが、読後感のいい暖かい物語は書く人も読む人も多いようでこのくらい読めば多少は優しくなれるだろうか。などと思って今年の目標にしようかなと。

そのうちリスト(だけ)を何度か読んでいるうちにぬるま湯から出たくなって、というかもう早速ミステリに刺激を求めてまた暗い世界に走り込んでしまった。優しい話は迷い勝ちの心をまっすぐにしてくれるかもしれないし、いいことなのに。

ところがやっぱりよそ見する、いい感じの読書目標を見ていても、何気なくふとこの読みにくい名前の、<カーリン・アルヴテーゲン>という難しい言語圏の人にとっつかまってしまって、もう喜んで早速冷たいミステリの水の中で泳ぎ始めている。あらら今年もほっこりと暖まる暇もなさそうかも。



ペーターは子供の頃消防士の父がなくなりそのショックで母も死んでしまった。その後パニック障害に苦しんでいる。同僚となんとなく始めた仕事が軌道に乗ってきたところで、会計士に金を洗いざらいを横領され、夜も眠れない。銀行からローンの返済通知がくる、役所からは溜まった消費税の滞納で延滞金の督促。およそ2030万円。差し押さえを前にしてどうしたらいいのか目途の絶たない小心者。
そこに電話があって喫茶店で待ち合わせているという、なんだろう疑心暗鬼で行ってみると、現れたのはまるでこの世のものでないような化粧のカツラ女。
小箱を届けてほしいという。電話帳で探偵と間違ったらしい。その怪しい風体に密かにデモーンと呼ぶことにした。
箱の中身は分からないが、出された1000クローネ(1クローネは15円)欲しさに引き受けてしまう。
届先のルンドベリは広告会社の社長だった。

彼にあって中身を見ると、切りとった足の親指が入っていた。ルンドベリはこの女からの熱いラブレター攻めに参っているという。デーモンはサイコなストーカーだった。
どこの誰だ、突き止めてくれたら負債は肩代わりしよう。
この話でペーターは不意に人間らしさを取り戻し引き受けてしまった。
父親ほど年は違うがこの社長とも気が会いそうで、何しろ心の重荷が取れたようで。
あのデーモンを探す不気味さよりも桁違いにこの幸福感が上回ってしまった。長年苦しんだパニック症候群まで治った気がする。

殺人事件が起き、警察の女捜査官は手を出すなという。向かいの会社から望遠レンズで覗かれているようだ。アパートをでて、ルンドベリのセキュリティー対策万全の家で暮らすようになる。

姉のエーヴァは早くに家を出て、両親と距離を置いて来た。彼女は前向きで三つ子を育てながら生物化学研究所に勤めている。親指を分析してもらい該当者が見つかる。そして警察ににらまれながら追い詰めていく。

資金と協力者ができ、ここらで読んでいてもほっとする。そう来ないと終わらないし。
ここまでは様々な出来事にかき回されて面白い。

主人公たちは命がけで大変そうだが、ペーターは案外いい仕事をする。何と言っても脅迫されるルンドベリのキャラクターが予想外で楽しめる。読み始めはちょっと暗めだがどことなく優しい雰囲気があってこれも面白いかもしれないと思った。
日本作家の流行りのイヤミスとまではいかないけれど、事件の背後で右往左往する人たちの旨い心理描写が登場人物をイキイキと動かしているのが文芸作品のように面白い。

心理治療の記録などを読むのが好きだそうで、なんとなく近くでも見たような性格の人物たちの物語に現実感があるのも、医師が書く難しい医学用語はなくても、酷な環境に陥ると、こういうことも起きるかな、と物語に真実味もあって面白かった。



終わりに近づき少し絡まったストーリーの仕掛け(罠)が簡単にほどけすぎるようにも思うが、この「罪」がデビュー作だった。評判がよかったそうで今は大人気作家だとか。
北欧って言葉も難しくて分からないうえに、季節や時間がずれていたりする。高緯度の変わった四季でも体験してみると自分の事も違って見えるかも。それにしても人の本質はどこに住んでも同じようで、今のところ訳が出ている未読の6冊をお気に入りに入れた順に読んでみる。
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「バタフライエフェクト」 カーリン・アルヴテーゲン 小学館文庫

2021-02-14 | 読書

 

映画の「バタフライ・エフェクト」はよくできていた。様々に表現された人生を振り返れば、SF的なストーリーは簡単に想像がつく。でもそればかりではない。これは心理描写にすぐれたミステリらしくないミステリ。


カーリン・アルヴテーゲンのこの作品は、映画のような時空を超えたSFとは全く違う。
 今、未来の分からない闇の中を生きる弱い人々の過去と現在を、深く悲しくそして幕切れは少し暖かく書いている。


 生を受け一度限りの人生を生きてきて、平坦な部分はどれだけあったのだろう。それをたとえば一言でいうとしても、過去の蝶のひとはばたきのような些細な動機で選んだ生き方だったと振り返ったとしても。単純に自分があのとき誤った選択した結果なのだ。と言いきれるのだろうか。

カーリン・アルヴテーゲンの書く人々の始まりはそこにあるのではなくて、それは、書き出しの主要な登場人物の語りを聞いてみればいい。

 優れた心理描写は、内省的であり懐古的でミステリらしくない。題名に沿ってみれば、登場人物が語るそれぞれの生き方は、自分に備わった美点や欠点が撚り合わさったもので、一度きりの後戻りのできない時間を歩いてきた結果だと、それぞれ分かっている。

この物語は登場人物が、蝶が羽ばたいた時間を振り返り、今を直視する。今の出来事。

カーリン・アルヴテーゲンは似たような経験をした。それで精神まで狂わされ書く事で立ち直ったそうだ。
 登場人物の語りは、運命に操られながらも、人生の途中だったり、既に末期だったり、予想もしない出来事に巻き込まれたりしながら、生き方の主権を自分に置いた故の逞しさと繊細に見える弱さをうまく描き出している。


 主人公ボーディル55歳、不治の病を宣告され、夫に依存し妥協し続けた生活を振り返って残りの人生を自由に生きようとする。

 死なんて なんてことがあるだろう、生まれる前にも、あともに死はあった。しかしあとに残された人たちの空虚はどうして埋めればいいだろう。
 自分本位な夫、自分勝手でろくでもない奴、クリステルは捨てればいい。

 順調に生きている別れた娘は。心理療法士の前で偽の生き方を少しずつ剥がされていく。孤独な子供時代、意思の疎通を欠く冷たい両親にはもう会いたくもない。仕事に完璧を求めてきた。だが最近すべてに興味を失ってしまう。

アンドレアスは有能な建築士で、家庭にも恵まれ仕事は順調だった。
 貴金属店で強盗に襲われるまでは。
そこで彼は醜態をさらしてしまった。周囲を気にして生きる意欲をなくしてしまった。偶然の出来事なら誰しもそうなると周りは言う。しかしその時以来彼は自己の支えをなくしてしまった。プライドのかけらを寄せ集め仕事に没頭しているふりをする。しばらくするとそれにも疲れた。あの目出し帽からのぞいていた目を見てしまった。犯人が捕まるまでは。その目に囚われ続けている。

ボーディルには死期が迫り左半身のマヒが広がってきた。

 時が過ぎ、砂時計の砂が落ちつづける。あの頃と同じ太陽が旧市街を照らす。私の部屋の窓は開いている。外はまだ夏だ。私はベッドに横になって、耳を傾けている、ざわめきを味わっている。
 人々が来て、去っていく。

 答えを全部知っている、と自分で思っている人たちのことは昔からずっと疑わしいと思って来た。様々な形の人生があるしこれまでたくさんの科学者が謎を解こうとしてきたのに決定的な証拠なんてひとつも見つかっていないのだ。


 迷わない、迷いはあっても前向きに考える。なにもかも暖かい丸い体で包み込んでいる、マルガレータと知りあってボーディルの眼と心が開いてくる。
マルガレータは娘を連れてきてくれた。
 迫りくる死にはすべてを和らげる力がある。

ボーディルは生きた。


 強盗事件も不思議な出来事を挟んで背景が現れてくる。それでもアンドレアスの粉々に壊れた自意識を自分で修復できない弱さもサイドストーリーにして、この物語を覆う人それぞれの生き方にふれている。

ミステリらしくないミステリ。面白い作品ほど感想が書けない。迷いながら書くには書いてみたけれど読み返すと何が何だか(~_~;)
作家ってやっぱり並みの人ではないなぁ。拘って作品をもう少し読んでみる。

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「失踪当時の服装は」 カーリン・アルヴテーゲン 

2021-02-03 | 読書

 

 

米マサチューセッツの女子寮からふっと消えてしまったのは、美しく聡明で落ち着いた女生徒だった。気まぐれというのも彼女に合わない、深い付き合いのボーイフレンドもいなかった。
すぐに帰ってくるだろう、突然消えた娘は周りの願いも虚しくいつまでも帰らなかった。
全寮制のカレッジからいなくなった18歳、美しく聡明な娘は失踪か誘拐されたのか殺人か。

1952年発表の警察小説の嚆矢となる本格推理小説だという、ここから「警察捜査小説」が始まったということだが。今も全く古くなく優れたミステリの一つのジャンルをしっかり守っている。そんな警察小説は嬉しくて読まずにはいられない。かっちり出来上がっていてエンタメといえど少し姿勢をただして読むような力がある。

正しく犯人当てのフーダニット小説で、そこに特殊な背景や、人間関係があり、警察側には頭脳明晰のボス警察署長フォードがいて、脇に切れるが少し癖のある嫌味な奴や凡庸に見えて細かく気が付きよく働く部下が定石のように揃っている。気の利いたウィットに富んだ会話もよくできている。読んでよかった☆5つの名作だった。

ところが、読み始めてすぐ、あ!と気がついた(まだ一ページ目なのに)これではないか。彼女はこうしていなくなったのではないか。この何気ない一行が気になった。

捜査はなかなか進展しない。同室の寮生も、少し気分が悪そうで途中で授業を抜けたということしかわからない。
部屋からは着替えが少し無くなりハンドバックも見えない、出かけたらしいが姿を見たものもいなし、駅でも見かけられていない。

もう調べ尽くし訊き尽くし打つ手もなくなった。
だた一つ、一冊の日記帳を穴のあくほど読んでいた署長が疑問を持つ。


読みながら次第に思い通りの方向に進んでいくと、読者として緊張する。この小さな一言の手掛かりは、あそこに続くのかな。

しかしそうやすやすと問屋は下ろさないだろう。もし私の推理通りなら、なんと巧みに話を膨らまして警察官たちをへとへとになるまで働かせることか。親の嘆きの深いことか。
寮長の驚きや関係者の保身や男友達の慌てぶりや、すり寄ってくる記者たちや。

これで決まりかと思う容疑者たちを追い始めると、私の推理も揺らぎ始まるが、容疑も晴れて解放されてしまうとひょっとしたらひょっとして推理通りかも、、、と何か緊張して、またドキドキが始まる。

と、こんな感じでこの作品は心臓に悪いほど楽しませてくれた。久しぶりの大当たりで作者にはその話の迷路を構築した力に改めて驚いた。
 
 
緊急事態宣言も一か月延長になり、まずます冬籠り生活も長くなりました。こんな時こそ読書なのでしょうが、あまり条件が揃うと気が散って読書どころではなく、かえって雑用が増えます。
と言って断捨離も声ばかりで目に見えてすっきりしたとも思えません。「家」に訊いてみても身軽になったと言ってくれそうにもなくて、まだ冬物も夏物も少しも減らずにクローゼットにぶら下がっています。衣替えの頃が来たら半分は減らそうと思いますが。
 
足腰の運動を兼ねて少し早いですが、鉢植えの花を植え替え、庭の隅に腐葉土づくりのつもりで落ち葉を積み上げました。
おかげで、てきめんに運動不足がたたり、三日ほど筋肉痛で腰が曲がっていました。
 
動けないこともあって読了本の山から感想をひねり出しています。
すぐ書かないと忘れ始めたり、読んだのはいいが、どう書こうかと悩んでいる間に図書館の「次の方がお待ちです」の期限だったり、ちょっとした感想文にも手間取ります。
そんなこんなで何冊か頑張っています。
 
重い気分になるニュースが多いので、今年は「ほっこり心温まる本」を読もうと100冊ほどリストを作ったのですが、本棚で見つけたのが北欧ミステリで、「カーリン・アルヴテーゲン」という女性の作家に嵌りこんで、ミステリの海に潜って冬越しをすることになってしまいました。
 
ホッコリした読みやすい本も雪崩が起きない前にヨマネバと思いますが、それでもコロナ籠りが終わる時期が早いことを祈りつつ。

 

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「透明人間」 H.G.ウエルズ 橋本槇矩 岩波文庫

2020-10-05 | 読書

 

夏向きというより長い間不要不急の外出を控えているこの頃、あらぬ世界に浸れるという、妄想気味の読書がちょっとした支えになっている。
こんな時透明人間っていいかもと思ったら、読んでいくにつれて、彼は極寒の不幸をしょいこんだようでうすら寒く涼しくなってきた。

子供の頃、透明人間ってどうしたらなれるの、とたまに考えたことがある。なんだかとても都合がいい面白いことができるではないか。こっそりとあれもこれも。
ところが読んでびっくり。
もちろんこの話は、物理の「ブ」から入った方がいいらしいけれど「ブ」のかけらしか知らなければ透明になるのは無理かもしれないな。

透明になるのに成功したグリフィンがオックスフォードで同級だったケンプ博士に教える。

物が見えるというのは、物体は光を吸収するか、反射するか、屈折させるか、あるいはこれら全部を一度に行うかだ。もしこれらのどれも行わない時、物体は見えなくなる。


彼は 様々に物質が透明に見える例を挙げる。屈折率が同じなら物は見えなくなる。水の中のガラスのように、その上人間は、云々。

三年間頑張って研究を続け、費用がなくなると父親が借りていた金を盗みそのために父親が死んでも気にかけず、ついに成功したのだ。
事実見えないのだから、ケンプも信じて彼を保護した。

透明になったグリフィンだが、よく知られているように包帯で顔を隠し、帽子にコートでロンドン郊外の駅に降りた。
宿をとったが食事中も服を着たまま、宿の女将の不審を招く。金もない。こっそり盗んでくるが、透明人間だということは何かの折に知られてしまう。秘密を知られた泥棒には研究ノートを盗まれてしまう。

身を護るためということだが、さんざん暴れまわり、追っ手を殴り追い詰められる。
身体は透明でもなかなか不便なもので、お腹は空く、冬空の下では体が冷える。休むところがない。

そこでケンプに助けを求める。この頃には人を殺し盗みを働き追われる身だった。

ケンプは話を聞き、その残忍性の根拠は、グリフィンの研究を理解できない馬鹿どもの妨害だという身勝手なものだと知る。

実生活は予想通りにはいかないもので、いくら透明でも痕跡を全て消すことはできない。
グリフィンは追い詰められる

最終章 「透明人間狩り」でついに無惨に撲殺され、徐々に姿を現す。

透明人間というのは全く不便で苦しく辛いものだ。

冬だったのも不幸だったな。夏なら裸でも過ごせるかも。いやそれだけではないかな。
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「痩せゆく男」 リチャ-ド・バックマン 真野明裕訳 文春文庫

2020-09-29 | 読書

キングの映画も面白いが、残酷さなどの恐怖場面は小説を読んで、想像力が貧弱でよかったと思うこともある。体重計で足先の見えないほどだった男が骨格見本のように痩せる。キングがリチャード・バックマン名義で書いた作品。
 
「グリーン・マイル」が毎月一冊ずつ発行されていたころ、出るのを待ちかねていて、S・キングのほかの作品を少しまとめて読んだことがある。
まず「キャリー」「ミザリー」「シャイニング」「恐怖の四季、二冊」「ペット・セマタリー」(セメタリー)」そしてこの「痩せ行く男」など、キングは人気があり映画化もされて話題になっていた。
その後いつだったか覚えていないが「ミスト」を読んだ。これも映画化されたようだが、原作は意外なことに面白くなくてその後離れてしまったが、ただ「トミー・ノッカーズ」と「IT」は時間があれば読んでみたいと思っている。


何度も思い出す作品はどれも、キングの細緻にわたる描写が邪魔にならずかえってそれのせいでより面白い。ウィットに富んだセリフになり、饒舌も重くなく、軽いユーモアや下半身ねた、グロで言えば身体が醜く崩れたところをこれでもかと映し出すような悪趣味ともいえるほど冷たい残酷な描写。まぁホラー作家なんだ。
そんな変化に富む文体でストーリーを紡いでいく

面白くユニークなキングの世界が進んでいくところは、冷静に考えればこの世にあるとは思えない(キーボードが打ち出したホラー小説)と分かっているのに、はまり込んでつい夢中になってしまう。「ペット・セマタリー」などは家族の深い情愛に感激して泣けるほど。
ときにはまわりは歪んで見え、奇怪で恐ろしく、眼をそむけたくなるようなグロテスクなシーンが現れる。「これこそホラーだよ」と。
わっと脅かす恐怖やじわじわとまとわりついてくる恐怖も、読んでいる一時期人心地がしないくらい怖い。

そんな中でこれが夏向きの絶好ホラーだ。この「痩せ行く男」
なぜか読んだときからずいぶん経つのに不思議に忘れられない作品で、日常に徐々に起きる変化がただのこけおどしで無く興味深い。流行りのダイエットとは何の関係もなく、始めは歓迎していた男も際限なく痩せるとなると……恐怖。
この男ハリックの「痩せていく」のは進んだ医学検査でも結果がでない。

主人公は家族の前では平静に胡麻化していたが、妻の前ではそうもいかない、彼女もひそかに心配しているのだ。

実は妻と車で帰宅中、車の間だから不意に出てきたジプシーの老婆をはねて殺した。幸か不幸か、判事も警察署長も友人だった。ハリック自身も弁護士でそれがもみ消しに役立った。
妻とともにほっと胸をなでおろした。
だが、裁判所の前で二人の前に近づいてきた鼻が腐って落ち異臭までするジプシーの老人がハリックの頬をなでて一言「痩せていく」といった。

飲酒の上殺人まで引き起こした事故は、あっさりけりが付いたが、ハリックの心に黒いしみになって残っていた。悪夢になって老婆の死に際が蘇る。
だが目醒めると、車の間からふいに出てくるのが悪いと自分に言い聞かせなくてはならない。

判事に体に異変が起き始めた。鱗のような固いものができ体を覆って来たという。友人の医師に見てもらうが首を傾げる。

警察署長も初めはニキビだと思ったが、顔中に広がり外には出られない有様だった。ハリックが会いに行ってみると、暗い部屋の陰から出てこず声だけがする。
そして拳銃で死んだ。

体重計にまっすぐ立つと下の数字が見えなかった頃は、246ポンドあった(110.7キロ)がとうとう137ポンドに。半分ほどに痩せた。服はカカシが着た様にひらひらする、人は目を背け子供は逃げる。無理やり食べても痩せるのは止まらない。

「ジプシーの呪い」が三人に降りかかったのか。
彼はジプシー集団が、東海岸沿いに北に向かっているのを追うことにした。
「あの老人の呪いだろうか」一方的な憎しみだろうか。会って事故のことを話したい。
ただそれだけに賭けて追っていく。
ジプシーの借りた広場では火を中にキャンピングカーのサークルがあった。汚れた子供たちが走り回っている。
あの鼻のない長老に会うと、轢かれたのは自分の娘で、轢いた奴は許せないという。

交差点でもないところで不意に車の間から出てきたのだ轢いても仕方がないだろう、加害者とはいえない、とハリックは言う。双方ともに過失があったのだ「ツーペーだ」
「何がツーぺーなものか」「お前は痩せさらばえて死ぬんだ!」
ジプシーの呪いは解けず解く気もなさそうだ。体力も限界にきた。追って来たジプシーの男にパチンコの鉛玉で手のひらに穴をあけられてしまった。血が止まらず苦痛の中で助けを探した。
そこで、事務所の見知りで酒を飲んだこともあるギャングのボス、ジネリを思い出す。
連絡をすると彼はギャングながら義理がたく、情に厚い人柄だった。
すぐにヘリで医者を送って来た。
間もなく本人も来て世話を焼き、いきさつを聞いた。
次第にジネリの目の奥に星のように火が灯り次第に炎のようなものになり渦を巻き始めた。

ここからがジネリとジプシーの対決になる。まるでアクション小説、ジネリは中年だが残りの力を振り絞って呪いを解きに行く、というのは口実のようで、ジネリの怒りと反逆魂に火が付いて、もう手が付けられない。
このジネリの活躍ぶりは、怖いホラーというより、悪魔に向かう獅子のような(おおげさw)痛快さ。作者も乗ったのかこれだけで100ページは越す。
そしてジネリの片腕が車に放り込まれ、ハリックの呪いは解けた。

しかし、それでは「ツーぺー」とはならない。死んだジプシーもジネリも判事も署長も、肉親の死を嘆いたジプシーの呪いもこれで消えておしまいか。アレッと。

不気味な出来事も「呪い」なのか。
これがミステリならノックスの十戒に引っかかるかも、というあたりがどうもすっきりしない、いままで面白かったと言いいきれなかったのだが。
読み返してみて、厚みがあり細密に書き出す文体は凄い(夢を見たら内容までこまごまと書く、観光地では海岸をそぞろ歩く小さな布だけの女を細かく描く)
気の利いたセリフや気持ち悪いシーンも、耐性ができた今読むとやはり類を見ない実に面白い話だった。


原作になった映画も面白い。残酷さなど恐怖場面は、小説を読む方が、想像力が貧弱でよかったと思うこともあるほど。

 

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「鍵のかかった部屋」 貴志祐介 角川書店

2020-09-27 | 読書

 

4編の短編集。密室トリックを今回も青砥&榎本のコンビが解く。
ポイントは密室トリックでも、それの背景が問題で、犯罪の舞台装置に巧妙に動機を紛れ込ませた犯人との知恵比べ。

☆佇む男
癌で余命宣告を受けていた会長が山荘で死んでいた。重い硝子テーブルに足を入れドアに背を付けて蹲る、窮屈な姿勢のまま亡くなっていた。ガラステーブルの上には乱れた筆跡で遺言書が残っていた。
後ろには白幕が張られ、左右には供花、という演出も葬儀会社の会長というこだわりが見えた。
もたれかかっていた開口部のロックも完全で密室というほかない。覚悟の自殺か。しかし榎本は疑問を持った。
なかなかに凝ったストーリーだったが、まずは密室破りの解錠方法の解説、作者はこれをヒントに、こんなストーリーに持っていったのか。遺言書をアイテムに出したのもいいとして、それらしい舞台は盛り過ぎ飾り過ぎ(葬儀社だけに)の感じもある。犯罪を計画するというのは偶発的な事件と違って、こんなふうに犯人が事前に知恵を凝らすので、解くのが難しそう。それで対決という面白いことになるけれど、これも疲れた。

☆鍵のかかった部屋
家族間の犯罪は気分がよくない。まぁここでは養父が息子を殺したらしいと見当がつき、その密室の殺人を解明する、犯行動機は財産狙いで、あまり驚く事ではなかった。
理科の教師なので手口は楽に考え付くでしょう。今時、練炭自殺は道具をそろえるだけで大変だろうし、高密度の部屋にする手間も面倒。なんか高校生にはそぐわないかも。
ここでは解錠と施錠の方法が逆だというのは榎本がドアを開けてみてわかるのがミソかな。
高密度の部屋はドアを開閉するときには内と外で圧力が変化するのを利用するというのも普通に分かりやすい。

☆歪んだ箱
地盤が緩く傾いてしまった家。
新築物件で結婚して住む予定だったが、歩きにくいほど傾いてしまった。
雨漏りする上にあちこちに隙間もある。宅地造成も手抜き、基礎のコンクリートの質も悪かった。
引き渡し後の残金がまだ払ってなかったのは不幸中の幸いだったが、補修するならその代金は払えという。
その上過去の解決した暴力事件まで持ち出してきた。
殺すしかない。
リビングに誘い込んで殺した。その部屋にある二つの内開きのドアは蹴飛ばしても閉まらない、打ち込んでやっと枠にはめると開けられない。見たところそうやった痕跡もない。密室だった。
榎本はその謎を解く。しかしその解をまるでコロンボのドラマを見ているように横で言い訳のように否定していく犯人。
話し過ぎて穴に落ちるような成り行きが面白かったが、その殺害方法が日常では考えられない方法で、それも無理やりのようで苦しい。
去り際に振り向いで「あ、一つ忘れていましたが」とは言わないが榎本さんなかなか鋭い。

☆密室劇場
前作からのバカミスが続く。話も繋いである。
茶柱劇場は、劇場主が亡くなってもそのまま引き継がれていて、劇団名も「土性骨」から心機一転「ES&B」に替えた。「アース、セックス&ボーン」ということで。
今回のメイン・イベントは「彼方の星」(ヨンダー・バード)で飛行機が砂漠に不時着して救援隊を求めている。という設定。
またも漫才コンビの一人が殺された。殺したのは富増半蔵で、増本の推理にあっさりと犯行を認めた。
ボケとツッコミのスピードが合わないでイライラしてくる。それなのに「M1に出ようと誘って来た」のでかっとなって。
なぜ?という問いに、死んだロベルト十蘭がノートに書いていた、次のコンビ名が「半狂蘭」。二人の名前が入っているし、逃げられないと思ったという。

貴志さんがまたもボケて突っ込んでみた可笑しな一遍。


家族は昨日から夏休みなのに、読み終わっていたこの本を図書館に返さなくてはいけないので、やっとレビューしたが、貴志さんにしてはみんな凡作で、少し気が抜けた。
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「狐火の家」 貴志祐介 角川文庫

2020-08-26 | 読書

 

「十三番目の人格 ISOLA」「黒い家」で恐怖も極まった気味の悪いホラー作家だと思っていたら、「硝子のハンマー」のコンビで、密度の濃い密室ミステリのシリーズが始まっていた。
「硝子のハンマー」で、活躍した美人弁護士青砥純子(複雑なトリックの前では少し頼りないが天然混じりで憎めないキャラ、だが法律家としては凄腕らしい)と、セキュリティー会社を営む防犯コンサルタントの榎本(天才的な解錠技術を持ち、状況判断観察力共に純子の右腕、裏家業は泥棒かと何度も匂わすがまだそのあたりはモヤッとしたまま)このコンビがとぼけた会話もはさみながら密室の謎を解く。

「硝子のハンマー」で榎本が使うセキュリティー、防犯のノウハウが目からウロコだった。書く前にさぞ勉強されたのだろうと思い、こういう所に、読者は謎解きだけでなく、おまけつきの箱があるようで楽しかった。

もったいないくらいの深さ広さの知識が一作だけではあふれてしまって、このシリーズになり、トリックを一度に出さない短編になったのかと推測して、面白かった。

☆狐火の家
長野県の村外れにある築100年ほどの古民家で一足先に帰宅していた西野直之の長女が、柱に頭を打ち付けて殺される。
犯行前後に、玄関からは誰も出ていないと近くでリンゴの花摘みをしていた主婦がいう。どの部屋もきちんと施錠されていて、開いていたのは一階北の窓でここから出た足跡もない。遺留品もなし。どの部屋も、窓の下にはざっと見たところぬかるんでいるが足跡が残ってない。発見者の父親には当然動機がない。
過去の密室事件のニュースから連絡を受けて、榎本と青砥が現場を調べに行くのだが。
これはすんなりと読み進めない、作者の意気込みというか、短編ながらなぞなぞが何か匂わせながら縺れていて、整理しながら読むのに手間がかかった。
その上、解決した後の古民家臭がいつまでも鼻に残っているようで、すっきり感も重かった。

☆黒い牙
蜘蛛をペットにしている二人の男のうちの一人、桑島が毒蜘蛛に刺されて死ぬ。桑島はアパートの一室を借りて大型の毒蜘蛛を飼っていた。
友人古溝は「桑島が死んだら譲ってもらう約束だった」という。
しかしペットの相続権は妻にある。古溝は蜘蛛嫌いの妻が餌をやらず虐待して殺してしまわないかと心配している。
できる純子は考える、蜘蛛は愛護動物には当たらない、そこから法的に妻は責められない。依頼人の常軌を逸したペット愛と利益のために巻き込まれる、おぞましくもどこか奇妙な事件。
蜘蛛の描写が生々しく、虫好きでもここまではという気持ちの悪い話。

☆盤端の迷宮。
プロの棋士竹脇がホテルの部屋で背中を刺されて殺された。ホテルのドアには内側からチェーンがかかっていた。密室殺人事件だ。
ドアはチェーンの長さ10センチほどは開く、入り口で死んでいる被害者を押しのけた形で。
これでは隙間から刺すとしても狭いのではないか。
竹脇は竜王に、誰も思いつかないような妙手を打って勝ち、話題になったことがある。
竹脇には深い付き合いの元女流棋士がいた。
アンチだとうそぶいていた竹脇だが最近になって携帯電話を持っていた。
榎本は部屋にあったマグネット将棋盤の手を覚えていた。
最近は「電脳将棋・ゼロ」というソフトが人気である。それにはプロ棋士でも苦戦して負けることがあるという。
誰が内側からチェーンを掛けたのか。
登場人物それぞれがたてる仮説や、手がかりになりそうな、携帯電話やパソコンの登場が現代を反映している。
解決の手並みの鮮やかさや、そこまでの棋士たちの動きが謎解きに繋がるストーリーの面白さはこの中では秀逸。

☆犬のみぞ知る
次のシリーズ「鍵のかかった部屋」も短編集だが。最後の作品は著者もいう意図したバカミスというものらしい。面白く怖く手ごわい貴志さんの中で、一息入れる、馬鹿馬鹿しく可笑しな話が展開する。
一応出入りの不可能らしい場所での殺人事件が起きるが、これも榎本が来れば簡単にけりが付く。

先に「鍵のかかった部屋」を読んだ時、この先に何かあったらしいと気が付いた。シリーズか。この同じ舞台で既に解決されている殺人事件が起きたらしい。
そして読んだのがこれの前に出ていた二作目で、ウイットとユーモアという手あかのついた言葉を使うと、貴志さんの頭にはこういうサービスもあるのかと可笑しかった。
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