空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「世界文学は面白い」 奥泉光 いとうせいこう 集英社

2021-06-17 | 読書

 

「文芸漫談2」1はまだ読んでないのですがまず2からで。見仏記の「いとうせいこうさん」と作品が好きな「奥泉光さん」の対談(ショーかも)
積んでいる本の中に付箋がちょろちょろ見えると胸騒ぎがする。記録しただろうか。題名を見て確かに読んでいる。でも感想を書くとなるとあまり記憶が鮮明でない。だからすぐ書こうと言ったのに(パソコンに低姿勢)

でも断言すると、これは面白かった。
いとうせいこうさんの作品は読んだことがないが取り敢えずデビュー作を読むのがいいらしい。
見仏記は相棒がみうらじゅんさんで相当ぶっ飛んでいたりするので、いとうさんが本筋に引き戻しつつ、ありがたい仏さまを見て歩く、この二人の会話が愉快でたまらない。

ここでも奥泉さんが話の翼を広げるだけ広げてどこか世界の違う所に飛び出しそうになるのを、いとうせいこうさんがそれとなく地上に引き戻す。手綱さばきがいい、息もあっている、見仏記と同じようなパターンで、だから面白い。

読んだものも読まなかったものも、二人の話から納得できたり、さすがに作家の視点がと感じたり、ユニークな表現で、照らし出して読ませてくれたり類を見ない。 本音が即本質に通じているという、作家・作品解説と言えばいえる、面白すぎる本でした。

目次を見ると
1 カフカの「変身」は結構ベタなナンセンス・コント
2 ゴーゴリの「外套・鼻」はいきなりハイパーモダン
3 カミュの「異邦人」は意外にイイ人
4 ポーの「モルグ街の殺人」は事件じゃなくて事故でした
5 ガルシア・マルケスの「予告された殺人の記録」は臓物小説
6 夏目漱石の「坊ちゃん」はちょっと淋しい童貞小説
7 デュラスの「愛人」にはアナコンダは出てきません
8 ドストエフスキー「地下室の手記」の主人公は空気読みすぎ
9 魯迅の「阿Q正伝」は文学史上もっともプライドが高い男の話

私、「愛人」は面倒な文体に内心呆れて、読みかけてやめました。呆れるというのは全く自己本位な感情でして、映画ともども名作だということがよくわかりませんでした。

その上「地下室の手記」は青空文庫で読んだのですが、これもあまりの憂鬱な内容と主人公がいやな奴過ぎて、読むのをやめました。ただどこがいやなのかという所は、地下室にいて地上に出ない見識、自覚はあるのだという主人公はよしとして、ドストエフスキーも、まぁどちらも作家と作品ながら不愉快満載でした。
奥泉 まぁ大多数の人は、思い込みのセルフイメージと他人から与えられる規定の微細に調整しながら、ある程度、一つの像にまとまって生きていますよね。だけど、地下生活者は違います。
いとう 違うの?
奥泉 自分というものが決定されることがすごく怖い「私」というものが信じられないんです。
いとう それは、自分で規定することが苦しいのではなくて、他者との関係の中で「私」が規定されていくことが苦しいわけ?
奥泉 そう。

とか
また脇注で
全編、逆切れしている中学生みたい…いとう
読みにくさ抜群…いとう
一人称小説は、なんでも地下室に行くと面白い…奥泉 
 
ここなんて奥泉さんの面目躍如かも

例えばこんな風に、私のいやな気分を分析してくれます。

伝記なんて書かれても阿Q本人は読めないのに(笑)…奥泉

会話がおかしく爆笑、「変身」問答も面白かった。


変身    
外套・鼻
異邦人
 
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海の仙人 絲山秋子 新潮文庫

2021-06-15 | 読書

絲山さんは初めてなので調べてみた。いろいろヒットしたが、自分の言葉で書かれている天才宣言を読んだ。
率直な人だ。好きだなぁと思った。

精神が不安定で仕事もやめ今は大学で教えながら病気と仲良くして書いているそうだが、作品数は多い。「全部か…」
名前は忘れたが、女流作家で喉から手が出るほど欲しい川端文学賞がもらえないと書いていた。
絲山さんは受賞していた。取り敢えず、私もそれから読もう。
が、店には川端康成文学賞の「袋小路の男」がなかった。Kindleで読めるので数ページの試し読みをした。
メモをしておいて、芸術選奨文部科学大臣新人賞の「海の仙人」にした。

この賞は(演劇、映画、音楽、舞踊、文学、美術、放送、大衆芸能、芸術振興(2004年から)、評論等、メディア芸術(2008年から。メディアアート、漫画、アニメなど)に贈られるそうだ。知らなかった。
ちょっと勉強もしたりして文庫170ページの薄い本を開いた。

前置きが長いが、とても読みやすく角張った表現もなく静かに沁みるようだった。
非現実といえば主人公の暮らしがありそうもないようでいて、風景の中に溶け込んでいく。風景描写がまた好きになった。
小道具も、ちょっと奇抜な赤いポルシェも自転車も舟も、北陸の海岸線もなにもかも、物語の流れに自然に表れて通り過ぎていくような、何か淡い色彩で、主人公たちの日々の儚い営みが哀しい音楽のように底を流れていくようだった。


デパートの店員をしていた河野は(宝くじかな)突然通帳の残高が3億円になった。都会には合わない男で、仕事をやめて敦賀の海べりに小さい家を建てて住むことにした。
泳いだり釣りをしたり、静かな生活だった。
そこに突然「ファンタジー」と名乗る40がらみで白いローブの男が現れた。足跡がない。それでも何かどこかで出会ったことがあるような感じがして一緒に住み始める。
とりたててむずかしいことを言ったりしたりするわけではないが、彼の話は何か河野の心に響くような不思議な影のような人だった。
彼は見える人には見える、何も変わったことはできないけれど、少し人間ばなれをした自然体だった。

ふと少し年上らしい都会的な女性と知り合いになる。サバサバとした中村かりんという人が好ましかった。

また会う約束ができた。ファンタジーまで「ぜひ来てくれたまえ」などといった。

デパート時代の上司で全く女性を感じさせない片桐が訪ねてくる。大声で「カッツォ・コーノ」などと品のないあだ名で呼ばれるがあまり悪い気はしない。
彼女もファンタジーの気配を感じたことがあり、出会っても驚かない。
夜になるとファンタジーは庭に簡易テントをパッと広げ中に入る。片桐が覗くと大きな卵がポッとだいだい色に光っていた。

片桐の赤いポルシェで新潟まで自動車道の下道を走る、時々下りて泳ぎ、食事をし手ごろなラブホテルに泊まる、ファンタジーなど大喜び。

河野は新潟にいる姉を訪ねる。河野はかたくなに抱いてきた苦しみの源が溶けるかもしれないと期待して来た、本人は心を決めたがやはり姉との汚れた関係は清算することができなかった。
姉も本能的に自分を守り続け、会うことを拒んだ。

片桐が東京に帰ろうとすると
「ところで、俺様はここから北海道に行くことになっておる」
車を降りながらファンタジーが言った。
「えっ、 ほんまに」
「シマフクロウが俺様のことを待っているらしい」
「そうなん」河野にとってそれは初めて聞く話だった。
「うまくやれよ」
ファンタジーは河野に言った。それから「お前さんもな」と片桐に言った。
「またな」河野が言った。
「あたしは忘れないよ」」片桐が言った。ファンタジーはにやりとした。


河野はかりんを愛しかりんも河野を愛して、転勤先から会いに来るようになる。河野は深い心の傷のためにかりんを抱くことができない。
東北へ転勤したかりんに会いに行きかりんも仕事の合間には必ずやってきた。

冷静な彼女が突然すがって泣き抱いてほしいそぶりをしたが、河野は抱きしめただけで先に進めなかった。
一緒には住めないと河野は告げた。それでもかりんは来た。
三年後かりんは部長になり名古屋支店に来た。少しやせてきたが、激務のせいだと思っていた。

かりんがなくなり、片桐は片思いに気づき、河野は又チェロを弾き始めた。

ファンタジーがふわりと表れてまた軽い口調で話した。河野は失明していたが気配が判った。

始まりから終わりまで時間がずいぶん経っている。それだけにちょっとないほどの悲しい出来事がこの薄い本には詰まっている。あらすじには書けないこぼれるほどの寂しさや、背後にある輝きなどが詰まっていた。

お勧め好きな友人を持ったことやおおいに共感できた自分が少しうれしかった。
 
 
 

 

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「よだかの星」 宮沢賢治 青空文庫

2021-06-14 | 読書

 

 

絲山秋子さんの「海の仙人」を読んでいたら。
こんな台詞があった。
「僕は宮沢賢治が好きやった。『セロ弾きのゴーシュ』とか」
「『よだかの星』の、おまえはこれから『市蔵』と名乗れと言われたところとか、哀しかったよね」
「『よだかの星』は泣いたな、あんな悲しい話をこどもに読ませてええんかいな」


蛇足だけれど、いま、男は「安部公房」,
女は「司馬遼」を読むという話をする。
このあたりは導入部で特に意味はないが。

私は「よだかの星」で泣いた記憶がなかったので、あれは泣く話だったのか、と青空文庫で読んでみた。

どちらかといえば「セロ弾きのゴーシュ」の方をよく覚えている。シミジミとしみいる話だった。

「よだかの星」は分かりやすい。国語の教科書に載せる意味もありそうだ。私は習った記憶はないが。

醜いよだかは,たかとつく名前のために、鷹が遠慮会釈なく非難し、ののしり、名前を変えてあいさつ回りをしろという。よだかは悲嘆にくれる。

よたかは善良な気持ちの優しい鳥で、自分が醜いと言われ続けると、兄弟のカワセミやハチドリに比べて、兄弟なのにと醜い自分を恥ずかしく思ってしまう。

醜くてナンダよ悪いかなどとは思わない、開き直るほど強くない。

考えると飛びながら口に入る虫を餌にすることだって、生きるために命を奪ってしまっているのだと罪の意識にさいなまれる。

もう思いもここまでくると、生きていることができない。

太陽に向かって飛び上がると太陽に言います「あなたのところへ連れて行ってください、死んでも構いません」「夜の鳥だから星に頼んでごらん」

星は言います「おまえのはねでここまで来るには、億年兆年億兆年だ」
星も答えてくれなかったのですが、それでも上へ上へ飛び続けると、羽は疲れ力尽きたのです。
そこで「自分のからだが燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。」

飛び続けカシオペア座のそばで星になったのです。

悲しい話です。あざけり誹謗され仲間外れになったのです。それでも優しい心を失わず天に上ったのです。

この物語が子供の心に響いたのは宮沢賢治が、美しい心が得られるものを信じる生き方を、糧にしていたからでしょう。

この話をさりげなくあざとくなく会話にいれ込む絲山秋子さんの筆は物語の始まりを優しく美しくしています。まだ読み始めたばかりなので展開は判りません。

それが違和感なく話が進み読めればまだ宮沢賢治が描いたよだかの星が心を温かくしてくれると思えます。でも現代に書かれた絲山さんの話はやすやすと現代の善意と孤独を書き表しているでしょうか。先が楽しみです。

そうした宮沢賢治の世界を読み返すことも今の時代にあってはありなのでしょうが。いいきっかけになりました。
 
 
 
 
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「あなたが愛した記憶」 誉田哲也 集英社文庫

2021-06-10 | 読書

 

良くも悪くも誉田哲也 #ナツイチ(集英社)
 
ああやっと気がついた、思い出した。読んで楽しかった面白い本ベストに入れている誉田哲也の「武士道シックスティーン」は彼の作風の一部だった。(続いて神去りなあなあがなど来るw)

若いし、まだこれから充実した代表作が出るだろうけれど、今のところ「ジウ」「ストローベリーナイト」に始まる姫川警部補のシリーズを書いている人という印象で。
過去にどちらも一話だけは読んでみたが、作品にはホラー作家だなと思えるグロテスクでショッキングなシーンが多くあった。
人気は元気な女主人公にあるのかもしれないし、警察小説としても読みどころがある。私などのようなミステリっこは誉田さんは定番。
ただ読者の好みはわかれるところだと思う。

この「あなたが愛した記憶」は題名のソフトな雰囲気とは全く違う内容で、読み始めから少し引き気味だった。

残酷な殺人事件が、同じ形で二件連続で起きる。ここからは警察の分野かと思ったが、そうではなく、まず背景の事件に絡まる人たちが動き出す。

大人びた高校生の民代が興信所に来て唐突に調査員の栄治に向かって父親だという。そして二人の人間を探してほしいという。

これが発端で、関係者のつながりがずるずると引き出される。栄治が知らなかった出来事が次第に明らかになる、つながりというと、ここでは魂(人格)の継承で、宿主になる肉親の体に、消滅前に入り込む。ホラー的な雰囲気に入っていく。
肉体は魂の物という考え方で、それぞれ性別年齢は違っても血の繋がりがあり、記憶が残っていく。

調べるにつれて残酷な事実が暴きだされていく。自分と血の繋がった命を絶やしてはいけない。という世界があり、
そういった犯人の目的のまわりで、そのことに気がついた関係者の、悲運や懊悩なども絡めてなかなか酷な運命が展開する。

この魂の継承(輪廻の一端というか)が 新しく目標になった肉体を持つ人間の意識と現実を結んでいく発想はさすがだと思うが。

ただ小説を読む楽しみの一環は主人公の魅力だったりストーリーの面白さだったりする。

ここではあまり魅力的な人物はいない。事件も稀なケース(魂がホラーかSF風味で継承されていくこと)が突然の血縁者になって繋がっていく人々の忘れていた過去が蘇るところもなにか予想通りで新味がない。

面白かったかと言えば、どこにでもあるホラー小説の一つのようで、親子や異性愛の話もそこそこで、気味悪い思いだけが残った。
 
 

 

 

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「石の来歴」 奥泉光 文春文庫

2021-06-08 | 読書

 

第110回芥川賞受賞作。これは外せない奥泉作品。
昭和19年師走半ば、日本兵は、フィリピンレイテ島でアメリカ軍に追い詰められジャングルに逃げ込んだ。そこに穿たれた洞窟で、瀕死の男は傍らの石を掴んで長い話をした。すでに生きながら死の中に埋もれ始めていた男は真名瀬に語り続けていた。
河原の石にも宇宙の全過程が刻印されている。何気なく手に取る一個の石は、およそ50億年前、のちの太陽系と呼ばれるようになった場所で、虚空に浮遊するガスが凝固してこの惑星が生まれた時から始まったドラマの一断面であり、物質の運動を刹那の形態に閉じ込めた、いわば宇宙の歴史の凝縮物なのだ。

夢なのか現なのか男の言葉はすでに正気をなくしていたはずの真名瀬の耳に不思議に残っていた。

捕虜収容所から復員し、父の本屋を再建し、秩父の市街地に出店した。店が軌道に乗り生活も安定してきた。結婚して二人の男の子もでき、あの男の言葉を思い出したのは随分時が過ぎたころだった。酸鼻を極めた洞窟の中で男が差し出した石は緑チャートだと言った。言葉は真名瀬に根付いていた。次第に岩石収集にのめり込んでいった。
化石発見もあり真名瀬の名前が少しは知られるようになった。

長男は石に興味を持ち真名瀬について崖から石を集めて標本を作り始めた。秩父の深い谷や崖には古代の石が埋まっていた。真名瀬は嬉しかった。
だが偶然見つけた洞窟に入って行方不明になった息子が無惨に殺されて発見された。

それ以後無関心な世界に引きこもった真名瀬に、狂った妻の怒声や暴力まで加わってきた、実家に帰して離婚し一時は何も手につかなかった。あの戦争の幻が夢うつつに蘇り、抜身の軍刀を磨く大尉の焚火に浮かび上がる赤い姿までが重なっていた。独り言を言うようになりそれも気にならず懐かしいような気さえした。

時がたちまた石に向かう気力がわいてきたころ。
次男はサッカーで将来を嘱望され名門校に入った。しかし試合中に骨折、審判を殴り出場停止処分を受けた。未来の夢は坂道を転がり落ち始め、彼の憎悪の深さにさじを投げた監督には背を向けた。
試合を見た真名瀬は次男はいないがごとく目をかけなかった罰に気がついた。

それでも息子は大学に入り、サッカー部を避けて同好会を作ったがチームを纏めきれず、余力を当時膨れ上がった学生運動に向け、闘争現場で彼は荒れ狂った。
ふらっと立ち寄った真名瀬の仕事場で 長男が死んだ日の話をした。洞窟で人の声がしたと言って兄は奥に入っていって殺されたんだ。
挨拶もなく去った息子は札幌で警官を襲い拳銃を盗ろうとして射殺された。

洞窟に入っていった真名瀬はそこで赤く燃える焚火を見た。死に瀕した上等兵が石について話し続けていた。大尉がうるさい、この刀でお前が殺れという。真名瀬は上等兵を担いで逃げた。
上等兵は朝靄の中で、手の中の石を真名瀬に見せ二人の子供がくれたのだと言って死んでいった。

戦争の恐怖と悲哀とが幻想のように男の心をつかんで離れず、石に憑りつかれ悲運に見舞われ、それにのみ込まれた運命が恐ろしくて苦しい話だった。
一方石についての薀蓄は面白く、幼い頃の石遊びを思いだした。
重厚な文体で言葉の氾濫をしっかりと組み込んだ奥泉流の作品の、ホラーとミステリと学術的な語りの混淆をワクワクしながら楽しんだ。一気読み。


二編目の「三つ目の鯰」も奥泉色があふれルーツがしのばれる名編だった。どちらが好きとも言えないが、感想は表題に譲った。
 

 

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「神さまのビオトープ」 凪良ゆう 講談社タイガ

2021-06-04 | 読書

 

これも人気らしく、次の人が待っています(延滞延長はできません)というので慌てて読みかけの本を後回しにした。

 

短編集だが、どれも亡くなった画家の鹿野くんと美術教師のうる波さん夫婦の日常に関わった人たちの話で。

鹿野くんは結婚二年目に亡くなっている。家を出てすぐ交通事故にあったのだが、うる波さんにだけ見える姿で戻ってきた。

作者がよく考えた珍しい設定が大成功で、死んでしまえば人は消滅して残されたものは深い別離の悲しみに迷い込むように想像するが、こんなことが起きると、こんな世界の奇妙さを超えたところで癒されてしまう。
状況を超える難しい問題まで、サラッと解決している。

要は「霊」になって戻ってきた夫をどう受け入れて暮らすか、あまりこ難しいことにしないで、心から歓迎して、自分にだけ見える実態のない鹿野くんと平凡に暮らしていく。読んでいてもまぁいいかと大いに共感する。生死を超えたところにある人の心の温かさが、こなれて読みやすいストーリーになっていて人気のほどがしのばれた。

伯母さんがうるさいくらい再婚話を持ってくる。ありがたいけれど困る。
自分にだけ見える鹿野くんとはつい外でも話してしまう。現実にはいないことになっているとはいえ、「霊」の鹿野くんはお腹を空かせるし、それとなく嫉妬もする。日常の風景も納得の展開で面白かった。
 それでもいろいろな出来事は起きる。

 

☆「秘密」という章では恋愛中の二人に関ってしまう。結婚を前にして男は気になる女性に少し揺らぐ、そして突然死をするのだが、ちょっとミステリアスな味付けで女心を描く。

☆ロボット工学の研究者の父から年頃に合わせたロボットの試作品をもらう。膨大なデータが蓄積されているために生活も会話も全く支障はなかったが「秋」との付き合いで「春」は飛躍的に進化していく。ロボットの「春」と息子の「秋」の友情がますます深まっていく。「秋」の将来が心配になった両親は家庭教師をうる波さんに頼む。
これはロボットの心がより人間的に進化しようとする話だ、「アイロボット」の「サニー」のように。優秀な「春」が「ロボット工学三原則」をはみ出そうとしていることになる。危険を感じた父親は「春」を破壊する。「秋」は「春」を蘇らすために母親とアメリカに留学する。この章はよくできた今のSf風で、面白かった。


☆うる波さんは学校で、初恋がすれ違っていて傷つけあっている若い二人に巻き込まれる。うる波さんは少し痛々しく懐かしい。鹿野くんと微笑ましく見守りながらも、二人の未来を冷静に大人の眼で見ているところなど、なかなか深いものがある。
☆お隣の中のご夫婦はもう還暦も過ぎたらしいが自然体で寄り添っている姿はいつも暖かく、うる波さんたちの秘密にも薄々気がついているのかもしれないが何も言わない。
偶然二人のわけありの過去を知ったけれど。

伯母さんの心配の種は、両親のないうる波さんのこと。でも彼女は一人で(実は鹿野くんと)生きていくことをきっぱり宣言する。
お隣のご夫婦のように「共に生きていく」ことを阻む法律は何もない。
心は自由で、それを阻むものはない。
あってはならない。
なにひとつ。とうる波さんは思っていて、
作者も最後にこういう風にストーリーを閉める。

一人は寂しい。それでも生き方は一人ひとり違う。

死んだ時はどうなの?どうなるのと鹿野くんにきいてみる。
「経験者でしょう」
「死んでいたからわからなかった」
そうなんだ。浮世の出来事などそれでいいのだ。ここでより納得。いろいろとおもしろい。

 

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「ファントムピークス」 北林一光 角川文庫

2021-06-03 | 読書

 

 

前にこの本を見て、一時大きな話題になったツイン・ピークスというドラマから、当時盛んに見たデヴィッド・リンチ監督の作品を思い出した、この本はファントム、日本のファントムか、と思ったが読むのを忘れていた。
 
舞台は北アルプス、常念岳の麓に広がる樹林や渓谷など、穂高を東に見て梓川の西、麓の素朴な農家などが集まっているところ。
美しく爽やかな高原の風景、作家の持ち味だと思われる情感の中に静謐さをもった風景描写から始まる。

思い出のほとんどはこういった山に置いて来たような気がする今は、こんな静かですべての音が消えたようで密かに自然だけが息づいている始まりは、もうそれだけでこの本に入り込んでしまった。大糸線から見えるこのあたりは、登山とも言えないようなフィールドワークの起点だった。知った地名や山間の寂しい温泉の名前も懐かしかった。


安曇野の地に移住した夫婦、特に妻は日々の自然の移ろいの中で巡ってきた秋の木漏れ日を楽しんでいた。夫が臨時の仕事に出かけた日、キノコを採りに山に入った妻に襲い掛かった大きな影、そして妻は消えてしまった。

妻を必死で探しながら、今は林道で作業中の周平に半年後に訃報がもたらされた。探し尽くしたと思っていた妻の遺体が離れた渓で見つかった。妻は頭部だけだった。
周平は、雇い主の生駒建設、生駒社長の気遣に感謝しながらも妻の事故という見方に納得がいかなかった。

土地の警察、管轄の役所、特に信州大学の野生動物研究会の助手山口凛子。彼女は鳥獣保護を主にサルの検察をしている。妻の探索を兼ねて山に入った周平と出会い事件に加わることになる。

キャンプに来た四人組の一人で、渓流釣りに出た青年の背後で、愛用のカメラのシャッターを押していた彼女がふっと消えた。
五日後一旦帰省した青年が犬を連れて探索に来た。探す術も尽きたころ犬が彼女のスニーカーをくわえて来た。血溜まりができるほど血で汚れた靴を見て希望も消えたことを悟った。
その後、土地の老人が、娘と孫が下草を刈っていた間に消えたと言って来た。
捜索活動が雨で中断したそのとき、阿修羅のような形相の女が女の子を背負って近づいていてきた、「なんて親子だこんな時に山に入るなんて」
だが母親と見えたのは凛子だった。子供の体は魂が抜けた様にこわばり言葉を失っていた

「神隠しではないか」続く蒸発事件にそんな言葉が飛び出した。

日赤病院にいる女の子が、テレビに映ったクマを見て叫びだし手に負えないということだった。
また近くの養豚業者は高価な餌を何者かに食われ、養蜂業者も蜂洞を二つ荒らされた。
出たばかりのリンゴの木の花芽をサルにくわれた。ほかに大きな被害も出ている。

一方、定年退職した夫婦が信州を巡り安曇野まで来た。夫は蕎麦屋で新聞を見て「神隠し」「魔の山」などという惹句に興味を持ち、「行ってみないか」と妻を誘った。
梓橋に沿ったお決まりの林道から車は道を西に取った。常念、蝶が岳の登り口の駐車場で休み、妻はビデオを回し、夫は次は山歩きをしようかといっていた、その時車の前に大きな影が覆いかぶさり、夫はブレーキのつもりがアクセルを踏み片側の渓に転げ落ちて行った。

作業中音に気づいて周平が駆け付けた時妻はもう手遅れ、夫は死亡していた。

妻のビデオに一瞬黒い大きな獣のような影が映っていた。
凛子は半信半疑ながらクマではないかというが、それにしても大きい。
信大から専門の研究者が来る。

そして、手始めに倒産した観光クマ牧場から調査を始める。

怪物のような猛々しい獣を追い詰める人々の死闘が生々しい。被害者の描写は精細な風景を描く人に似合わない、血なまぐさい死者の姿まで書いている。書き出しの静謐さとはまるで異なった視点に少し戸惑う所もあるが、悲劇の現場はこうなのだろうと読み終わる。

もしこれが現実的なストーリーでなくて、書き始めの雰囲気をリンチ風に持ち続けていたら、もっと刺激的ではなかったかと思ったりした。

でも若くして亡くなった著者が、風景を描く筆致はとても繊細で美しい、ご存命ならまだ読めただろう名作を思うと寂しい。
 
 
 
 
 
 
 
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「名画で読み解くロマノフ家12の物語」 中野京子 光文社文庫

2021-06-02 | 読書
 
 
家系図(抄)を参考にしながら、前史リューリク朝(イワン雷帝)からロマノフ朝(ニコライ二世)までの帝政ロシアの歴史を12枚の「怖い絵」とともに読んだ。なんという衝撃、知らなかったロシアの歴史にビックリ。
中野京子さんの「怖い絵」の書評を読みながら、絵の怖さは、解説を読めばもっと怖くなるかな、などと思いながら、そのうち必ず読もうとは思っていた。怖いなら積んでおくのも怖いなぁとも思いつつ。

図書館でふと目についたこれ、ここから中野本に入門してみよう。読みかけのブルガーコフの「犬の心臓」もあるしと借りてきて読み始めた。


これは大変、怖い絵をしのぐ怖い歴史の一端をなぞってある。後発のロシアは、怖い絵になるころにはすでに恐怖政治も真っただ中、極寒の中から立ち上がり、強権の皇帝をいただいて領土を拡大して一大帝国を築いていた。

その歴史は目を見張るものがある。
映画にもなった「イワン雷帝」。ごく普通の皇帝だったころもあった。アナースタシアとの穏やかで幸せな暮らしが崩れたのは彼女の急死からだった。実母の例もあって毒殺されたと確信した。そして彼は精神の均衡をなくして暴君になった。有名な息子殺しの逸話が彼の狂気を絵にもとどめている。しかし精神にブレはあっても其れをバネに領土を拡大、ロシアの基礎を作った。
名誉と権力を突き詰め、自己のものにするために権謀術数を張りめぐらした。ツァーリ(皇帝)の座を巡って、ロマノフ朝の恐怖政治はここから始まっていった。

次に帝位を巡って母と子の悲劇(庶子ドミトリーの暗殺)もあるこの混乱に乗じた他国からの侵略。
ついにアナースタシアの血筋にあたる(だという触れ込み)のミハイル・ロマノフが戴冠、ここからロマノフ朝が始まる。気の進まない位に着いた若いロマノフは、父親の支えもあって32年間の治世で中央集権を強化し安定した国を作り上げた。

次のツァーリ、アレクセイはロシア正教会の統一の名のもとに異端者弾圧を強めていた総教主ニコンを放擲、分派が多い教会の支配権を統一してその上に立った。遅れた信仰の方針がやっとここで定まった。ステンカ・ラージンの乱が起き、彼を抑え極刑に処した。あの歌の事件はこの頃だったのか。

再婚して生まれたピヨードルが三世になる、彼を田舎に追放し姉ソフィアはイワン三世を祭りあげた、成人したピヨードルは力をつけ姉を修道院に押し込め安心して海外視察の旅に出た。その間に国内で動乱が起きピヨードルは関係した多数を処刑、拷問惨殺、姉は幽閉され6年後に死亡した。
だが息子のアレクセイは遁走亡命。怒りのピヨードルは息子を拷問し死刑判決を下す。息子は謎の死を遂げた
ピヨードルも52歳で死に、側近の愛人だったマルタがピヨードルと再婚していた。エカテリーナ1世が誕生する。歴史に残る放埓な生活がたたって二年後、43歳で病死。夢のような玉の輿生活が終わる。
次がエリザヴェータ、二回も結婚の夢が破れた彼女を担ぎだしそうとしたが失敗またもやロシアは混沌。

亡命を試みて破れたアレクセイに息子がいた。ピヨードル2世だ。それが周りの思惑が外れ結婚前に死去。次がイワン5世の娘アンナ、まずまず建国に尽くしたが、後半はアンナ狂騒曲、もう先がないと悟ったが、エリザヴェータはいけない。大嫌い。そこで浅智慧か、行き詰ってかまだ生後二か月のイワン6世に継がせた。
だがエリザヴェータのクーデターでイワンは逮捕され看守に刺殺された。
エリザヴェータは評価は低いものの、20年の治世で多くの改革をなした。
だが彼女も後継者選びに失敗した。出来損ないのピヨードル3世の子に望みを託した。ゾフィが浮上、彼女が後のエカテリーナ大帝に育った。新婚当時皇太子に嫌いに嫌われた、皇太子にしてみれば愛人でもいい子供をという儚い望みで別居、9年目に男子出生。
ドイツびいきの皇太子はペチコート作戦に巻き込まれた。嫌いな妃(エカテリーナ)の排除を目論んだが、これがドイツ化していて嫌われ者の皇太子は、軍を味方につけた度胸のエカテリーナに即敗れて逮捕殺害されて終わった。

エカテリーナ二世はこうして女帝に即位。絶対君主「大帝」と呼ばれた。彼女は広大な国土を持ち農奴から吸い上げた莫大な資産で今に残る美術品を一括購入、有名なコレクションを手にいれた。「ここからここまで全部」のまとめ買いだったかも。34年間の在位期間にますます国土は広がり、先進の周辺国に交じっても存在感を増してきた。もはや遅れた貧相な寒い国ではない。
迷わず強権を発動し、絶対君主として君臨するべし。彼女はそう言って来た。
「フランス革命」も対岸の火事ではなかった。側近が馬鹿なせいだと決めつけた。
彼女は愛人21人。晩年まで派手に暮らした。で、そのせいか脳卒中で急死する。
お互い気に入らなかった息子パーヴェルが即位。女帝の政策を否定した政治で嫌われ5年後に殺害された。
夫が継いだがまたも懲りない反エカテリーナ政策は大失敗、クーデターで殺された。
これを見て見ぬふりをした息子のアレクサンドルが即位。祖母のスパルタ教育を受けて成長し、見目もよく振る舞いも洗練された青年になったが彼は子供時代から不幸を見過ぎてちょっとヘンだった。密かに「父殺し」と噂された。

さぁここからナポレオン登場。未熟なアレクサンドルは戦い巧者の老将軍を見抜けず遠ざけた結果二度にわたって敗戦。
わが地の利を得、冬将軍にも助けられて勝利、天才ナポレオンもエルバ島に流された。

そして「ウィーン会議」ナポレオンに勝ったと鼻高々のアレクサンドル1世は見かけがいいだけで評価は低かったが気がつかないお坊ちゃん。だが運悪くナポレオンが脱出してウィーン会議は踊ったまま。だがまたも敗れたナポレオンはセント・ヘレナ島へ。
アレクサンドルは失意のまま帰国、外の文化を見た彼は自国の政治を投げ出した。代わりの軍人政治は人間性を無視した過酷なものだった。アレクサンドルは僻地を視察途中で急死。

次に弟のニコライ1世が即位。一層の恐怖政治で、処刑、シベリア流刑 圧制、弾圧の強化。ここでドストエフスキーが銃殺前に辛くもシベリア送りになる。密かな反政府感情の下で様々な芸術が生まれ始める。

ニコライ2世死去後に息子のアレクサンドル2世が即位。彼は農奴解放令を出した。だが農奴は貧しく土地が持てなかった。世間知らずの貴族帝は全く生活感がない。というか知らない。農奴の一揆に勝手に傷つき、ただ恋人を求め妻を粗略に扱い子だけを産ませ、暗殺された後は母子ともども国を追われた。
アレクサンドル3世が即位。ロシアの近代化は進む。

大津事件のニコライ皇太子は暗殺された2世の孫。3世はマイホームパパで酒浸りだった。22歳のニコライ皇太子が大津で襲われスワと危機感を感じた天皇の素早い応対で事なきを得た。

アレクサンドル3世は飲み過ぎの腎臓病で死去。ニコライが即位。彼は優しい両親のもとで育ちマザコンだった。ただ母に逆らって結婚した相手がヴィクトリア女王に繋がる血友病の遺伝子を持っていた。

彼は国内の政治不満をそらすために日露戦争を起こした。日本も視線が国外に向き始めていた。ロシアは日本の国力を侮っていたのだ。バルチック艦隊は一方的に叩き潰された。

帝政打倒、戦争反対の声が大きくなってきていた。ニコライの叔父が暗殺された。民衆が王宮に向かって行進している中に軍が発砲した。数百人が犠牲になった。「戦艦ポチョムキン事件」という海軍の反乱もあった。だがニコライは政治方針を変えなかった。そこにラスプーチンが現れた。夫婦はこの怪僧を宮殿にいれて霊力といわれるものにすがった。、末の子供アレクセイに血友病が出たのだ。
だがラスプーチンが暗殺された。

彼は家族と長い休暇を取り、6年間政治を放り出してしまう。
だがサラエボで皇太子夫妻が暗殺され見捨てておけない。そしてドイツ相手に始まった戦争が「第一次世界大戦」になる。
前線に出てみるが国内の世情不安は反乱一揆になって増えてきている。それでもまだ周りのせいにした不満を持っていた。退位を迫られ擁護者もなく幽閉され、またもや甘い見当違いで一家7人は銃殺された。

ここからソ連は社会主義国家が形作られ、ボルシェビキの台頭で新たな恐怖政治が始まった。

「怖い絵」に描かれた肖像画は恐ろしく、物悲しい。すべてに恵まれた裕福さは人を盲目にさせるのか。恐怖からはただ逃げることしかできない、人はあまりにも弱く縋りつく身分や富の支えが争いを産み、温室育ちは殺されるしかない。ロマノフ家に繋がるひとたちはあるいは慢心や傲慢の底には、形を変えた弱さがあって、それが人としての典型であったのかもしれない。
教育さえ環境を超えることはできないのだろうか。

今民主教育もここまで来た。
歴史に学ぶところは多い、が、あまりにも違うスケールにめまいがする。

初めて知ったロシアの歴史は面白い。もう少し読んでみたい。

長くなってしまってm(__)m
 
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「カラフル」 森絵都 文春文庫

2021-05-31 | 読書

真の体を借りて修行する羽目になった、僕はもう死んだのに。輪廻から外れふわふわの魂になって呑気にやろうと思っていたのに。下界でもう一年間生きてみるという抽選に当たってしまった。

僕はずいぶん悪いことをして死んだらしい。輪廻を外れ生まれ変われない魂になってゆるゆる流されている。
そこに天使がきて「おめでとうございますっ!あなたは抽選に当たりました。見事当選されたラッキー・ソウルです!!さぁ、下界に降りて一年間、再挑戦です」と少しくたびれてはいるが美形の天使が言う。
どんな大きな罪を犯したのか前世のことなどすっかり忘れて、今に満足している僕は、辞退してみた。なんとなく前世では疲れたという記憶がある。ところがガイドの天使プラプラが「ボスには逆らえません」という。その上「修行場は楽園ではないのです」などという。ますます気持ちが萎える。

そんなこんなで極彩色の渦に飲み込まれて降下。
危篤状態が持ち直さず魂が抜けたばかりの体(要するに亡くなったばかりの小林真の体)にすんなりと入った。修行先の体にホームステイしたというらしい。

プラプラの事前情報では。母親は不倫中、父は悪徳商法の罪で上司がごっそり抜けた会社で、ところてん式に部長になって喜んでいる俗物で、兄とは心底気が合わないらしい。
ところが目を開けるとベッドわきの三人が歓喜の大泣きで迎えてくれた。十分前に死亡告知をした医師もびっくり、それでも退院の時「もう充分だろう、二度と死ぬなよ」といってほっぺをつねった。

久しぶりの学校はというと中学三年で花の受験生。欠席は風邪ということだし、もともとはみ出し者でつきあいも悪く、友達もいないらしいし。嬉し寂しの状態。真はこんな奴だったんだ。

ただ美術室だけは心が休まる避難場所にぴったりで落ち着く。真は絵が上手かったらしい、僕もいささか自信がある。その上好きな桑原ひろかがいる。
ところがもう一人の女子、佐野唱子が鋭い。どうも雰囲気が変わったという。まぁ真相なんて誰も信じないし適当にあしらっておく。

そうして絵の世界では、不運な境遇や背の低さや孤独な惨めさが忘れられていたが。
ただ担任の沢田から中間試験のあと言われた。こんな浮世離れした成績不振で、いろいろきつかったことを踏まえても将来どうするのか。ときた。あぁ真の脳はこの程度だったのか。

意外なことに、進学について家族は親身(?)に気遣ってくれる。美術に強い私立はどうか、
授業料については皮肉と嫌みの塊の兄まで、医学部受験を後回しにするから私立を受けろ、という。
でもホームステイは一年、進学しても残りは半年、そんな、ありがたいけれど好意を無駄にはできない。
成績にあった公立に決めて少しはがんばってみるかなと、受験勉強を始めたのはいいが、味気ない日常に生気が抜けてきた。そこに父が釣りに行こうという。しぶしぶ行ってみるとなんだか自然の空気は爽快で、父はぽつぽつと胸の内を漏らす。家族への責任感もあり胡散臭くて居づらい二年間を死んだように忍び、今回会社でもなんとかやる気の出る部署に着いた。波乱万丈も捨てたものじゃないという。
そのとき僕は孤独に堕ちた。それもいいが死んだ真は誤解したままじゃないか。生き返る望みは全くなく死は続く。

渋滞の中でまた父が言う、地獄のような会社で二年間耐えた重みが吹っ飛んだ、お前が生き返ったんだ。人間ってのは大したもんだ、あの一瞬の喜び。その上兄が医者になりたいと言い出した。お前は未来を変えたんだ。

あの底意地の悪い兄の満が。
「医学部受験を今年諦めたのは俺のため?」「まさか、サルでもよかったんだ」
僕のことをこの時とばかりにずだ襤褸にけなして兄は机に向いてしまった。とぼとぼ部屋に帰ったが、眠れなかった。無念だった。父や母や兄の声を聞かしてやりたかった。真なぜ死んだんだ。

小林家が少しずつ色を変えていく。一色ではないよく見るとカラフルで見方によって色が違う。そうなんだ。

そしてあっと驚く、一年後。

初めての森絵都さん、ナツイチのリストにある「みかづき」を読もうと思ったら書店になくてもう書評も上がっていたし、それはそのうち読もうとこの「カラフル」を買ってきた。ワクチン接種も始まったもうこれで終息に向かうのだろうかと、お墓参りと買出しでちょっと気分転換の後に、ほんのり暖かいこの本にであえた。
 
 
 
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「草花たちの静かな誓い」 宮本輝 集英社

2021-05-29 | 読書
伯母(キクエ)が莫大な財産を残して亡くなった。遺言で相続人に指定された弦矢が叔母の家があるロスのランチョ・パロス・ヴァーデス半島を訪れる。広大な豪邸に驚きつつも意味なくうっすらと恐怖感が漂う所だった
 
弦矢が弁護士から知らされた遺産額はおよそ42億円、家の評価額が増えたとして46億円だということだった。
ただ、遺言書を預かっていた弁護士から6歳で行方不明になった伯母の一人娘のレイラにも相続権があり弦矢に探してほしいと伯母が依頼していた。
この娘は弦矢の両親には白血病で亡くなったと知らされていた。

彼は初めて訪れた叔母の家が豪邸で、それを囲む広大な芝生と伯母好みのハーブ園、四季の草花を植えた庭の広さに驚く。それを管理する庭師も花が咲き競いジャカランダの大木がある庭を愛していた。
弦矢は南カリフォルニア大学でMBAとCPAの資格を得ていた、それは叔母夫婦の強い勧めがあった、伯母と弦矢の両親とはそりが合わなかったが、伯母たちは優しく弦矢にとって最も近しい肉親だった。渡米は日本で亡くなった伯母の納骨が目的だった。

伯母の夫はボストンで自動車関連の会社を経営して成功していたが、二年前膵臓がんで亡くなっていた、独り身になった伯母は念願であった日本各地を旅するために帰国していて、突然修善寺の宿で亡くなった。
弦矢はいとこにあたるレイラを探す決心をする。もし生存していたら遺産は正しく彼女の物だ。
伯母のパソコンのロックを解き写真を見つける。パズルの箱の底から密かに隠してあったらしい手紙も見つける。差出人はモントリオールにいる妹で、それは亡くなった夫イアンにも見せられないものだったらしい。

散歩の途中で見かけたロシア系の大男ニコ(ニコライ・ベルセオスキー)に調査を依頼する。周りは止めたがなぜか信頼できる人物に思えたのだ。

滞在予定の10日間で、弦矢はレイラを探し出せるのか。レイラは亡くなったのではなく当時、行方が分からないと取り乱した伯母が警察に届けていた。それから20年経ち、まだ未解決のままではあるが、幼児誘拐や行方不明は多い。とっくに警察は関心をなくしていた。
散歩で知り合っただけのニコは、よく働いて核心に迫っていった。

ニコは解決後証拠を全て焼こうという。このニコについて
「ウクライナ人を怒らせるな」という昔からよく知られた格言のせいで、ウクライナ人はすぐに頭に血がのぼる過激な民族のように誤解されてはいるが、そうではない。
ウクライナ人は穏やかで朴訥で誠実な民族だ。だからこそ、自分たちの誠実さを利用して裏切るようなことをする人間への怒りは激しい。
格言には、そういう意味も含まれているのだ、誠実には誠実をという万国に共通する教訓を秘めた格言なのだ。

この作品に教訓はないとしても、かかわったすべての人の誠実さと暖かい優しさが底流になっている。
レイラの行方を含めて全てを知ったニコを邪推してはいけない。彼はそれを利用しようなどとは考えもしなかった。武骨で歯に衣着せないが切れる男と、頭はきれるがいささか世間慣れしていないがいい奴の弦矢が組んだ物語は、久しぶりに後味がよかった。


新聞連載だとか、さらさらと流れるように話が進んでいく、今の宮本輝さんを知らないでいたが、まだ健筆をふるい続け、大部の自伝的な小説を書き、初期の暗鬱な作風(泥の河と蛍川しか知らないでちょっといってみたけれど)からこういう作品を書かれるようになったのかと、何か心がほぐれるような気持がした。

遺産相続などといえば何かと人間の汚い欲望が表面化するような話が多い。しかし平凡な暮らしから見れば恵まれた生活で、美しい風景まで見えるようだったが、一方大小にかかわらず裏には隠さなくてはならない事情がある。人生の出来事の大小は傍から見れば主観的なものかもしれないが、子供に関しては悲しみに大小はないと思う。そういうテーマからキクエ伯母さんが人生も終わりが近づいたころになって、人生の気がかりを信頼していたものだけに打ち明けたことに、やはり作者の年輪が感じられる。

若い弦矢が悲しみを汲み取る心の柔らかさや、周りのすべての人々の善良さがこの話を支えている。無頼に見えるニコの使い方も爽快で、彼がいてこそ、このじんと来る結末が快い。ありえないような突然の遺産相続から出発したところは何かミステリアスな匂いがするが、そういった要素を織り交ぜながら、解決後はほのぼのとした明るい未来が見える。

ランチョ・パロス・ヴァーデス半島をグーグルアースで見てみた、キクヱ伯母さんの豪邸も財産も半島一帯の豪壮な邸宅群にあっては、遺産額も、文中の台詞によれば富豪という人の足元のチリ程度だとか。そうかでも、などと思うのは下司なことかも。ジェットもヨットもいらないけれど。ジャカランダの咲く花園はいいなぁ。
 
 
 
 
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「100年たったら」 石田睦美(著) あべ弘士(イラスト) アリス館

2021-05-27 | 読書

 

 

どう生きるかなどとと考える前に時々開いてみる絵本だと思いました。

100年は長いと思ってきましたが、身近に100歳になった人や90代の人が増えてきました。
この住宅地が開発されて整地されたころ、秋は下の田んぼの畦に真っ赤に咲くヒガンバナが見え、春はところどころ残っている林で驚くほど大きな声でウグイスが鳴いていました。
時の流れは早く今周りの土地も新しく造成されて、空き地がなくなりそばの山もなくなってしまいました。
広い土地に何ができるのかと思ったら介護ホームでした。

別れが多くなる年になりました。これは大人も読む絵本でした。

一日一日は過ぎてしまって振り返るとあっという間です。
母と親しくしていた近所のおばあちゃんは計算ができなくなりました。訪ねていくといつもいつも口癖で いつの間にか90歳も過ぎたのよ。といっています。本当は99歳でもうすぐ100歳です。


広い草原を駆け回っていたライオンは百獣の王だった時がありました。草原はすっかり寂しくなり、いつかライオンは一人ぼっちになりました。狩る動物もいなくなり草や虫を食べて生き延びていました。一日一日がそうして過ぎていったのです。

そこに小鳥が来ました、ライオンは食べませんでした。小鳥はもう飛ぶ力もなくライオンのたてがみに潜って眠ったり、話したりしていました。そうして一日一日が過ぎていきました。

小鳥は、また会えるよといって遠くに行ってしまいました。

100年が過ぎまた100年が過ぎ、ライオンは貝になり、おばあさんにもなりました。小鳥は貝に打ち寄せる波になり、おばあさんを慰める花になりました。

そして何度目かの100年が過ぎ、ライオンは男の子になり小鳥は女の子に生まれ変わりました。
女の子は転校生でしたが男の子はどこかで会ったように思いました。

男の子にも女の子にも時は過ぎていきますが、二人には100年は長く思えるかもしれません。
幸せだったり不幸だったりしながらも、同じように一日一日が過ぎ、ライオンだったことや小鳥や貝や波だったことは忘れてしまっても、また出会えることもあるでしょう。
どんなことがあっても気づかず、すっかり忘れてまた新しい100年が始まり、みんな同じように、一日が過ぎ、100年が過ぎ、次々に忘れてまた別れたり巡りあったりすることでしょう。

100年後いい出会いをしたいのですが、その時には過去は何もかもすっかり忘れてリセットされていることでしょう。
 
 
 

出版社からのコメント

あべ弘士さんの生命力あふれる絵と、
夏目漱石の「夢十夜」からインスピレーションを受けて石井睦美さんが書きあげた物語。
その文章に触発されたというあべさんが描く、鮮やかな絵。
絵本のダイナミズムと深い余韻を感じる作品です。
 
 
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「錦秋」 宮本輝 新潮文庫

2021-05-26 | 読書

 

 

悲しみを振り返る往復書簡。愛しながら離れてしまった夫婦が、過去と現在を少しずつ知らせ合い、次第に傷が癒されていく。
男女の愛情というものは、人の形のようにお互いの想いの形は少しずつ違っている。すべて都合にいいように理解できるものではない。振り返ってみて避けようがなかったことと、後悔も人生の一部だと受け入れていく。そうしなければ時間は重すぎる。

離婚して10年後、錦秋の蔵王のゴンドラで偶然出会った。二人は言葉の用意もなく分かれた。
こうして先ず女(勝沼亜紀)から長い長い手紙を書く。
(有馬靖朗)は、今の生活を知られたくない。無職で金に追われている。

亜紀はもう分かれた理由は分かっている、それで別れたのだ。靖明が別の女と付き合っていた、結婚後も続いていた。だまされてきた。だが靖明はその女と心中をして女が死んだ。そんな終わり方を許すことはできなかった。

その傷を忘れられないまま勧められて新しい夫を迎え、障害のある子を産んだ。

靖明は、青春時代を送った養子先で知り合った女が初恋だった。周りの目を引くような奔放な女に惹かれた。初めての恋などは自然に消えていく。だが靖明には二人の忘れられない出来事が結婚後も心に残っていた。
そしてふと逢ってみたいと思い、つながりが復活した。そんなことを書き送るようになった。
何度かの手紙で過去の出来事を書くようなっていく。

亜紀は靖明と分かれた後に結婚した夫も外に女がいた。息子の世話に明け暮れていたが、細やかさのない夫は子供をかわいがるように見えるが、夫婦のつながりは薄かった。

次第に過去から現在のくらしや心境を、知らせあうようになる。
靖明は何人かの女と交わってきたが、今の女と支え合って生きて行こうと思うと書く。
亜紀は今の夫と別れ子供を育てながら生きていくと知らせる。
そんな時間の流れが二人の手紙に書かれていく。

いつまで書いていてもきりがありません。いよいよ筆を擱くときが来たたようでございます。私はこの宇宙に、不思議な法則とからくりを秘めている宇宙に、あなたと令子さんのこれからをお祈りいたします。
さようなら。お体、どうかくれぐれもお大切に。さようなら。

人生には後悔はいくつもある。気づかないまま後になって気づくもの、故意に起こしたもの、運命だと諦めるもの、重くても軽くても、分岐点で進路を間違えたと気が付いた時には遅い。そんな中で生きて死んでいく。
その一つの形が手紙に中にあって、それは誰にとっても悲しみを生きることに繋がっていて共感を呼ぶ。
錦秋の蔵王があって、毎年四季を繰り返している。不意の出会い、そんな偶然で過去が繋がっても、思い出にして日常を生きて行かないといけない。そんな話だった。

 

 

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「ネルーダ詩集」 田村とし子 翻訳 海外詩文庫 思潮社

2021-05-24 | 読書

 

溢れる言葉の前で俯いてしまった。素晴らしい詩は、スティーブ・エリクソンに教えてもらった。
唐突にスティーブ・エリクソンを読もうかなと思った。図書館でデビュー作「彷徨う日々」を見つけたので、やっぱり、めぐり逢いって変てこでおかしなものよね、呼んだわけでもないのに。と表紙をめくって読む気満々だった。それにしても横尾さんの表紙は慣れないものにはなかなかきつい、裸の男女の絡み具合が写実的で官能的で、その上に大きな怒りだか驚きだかの男の顔がなければ、貸出し窓でちょっと照れていたかもしれない。

話はそこではなくて、本文前の詩を読んで考えてしまった。これはこんな小説だったの。あらためて言葉にすればこれが現代の幻視作家エリクソンの始まりになるの。

それは、パブロ・ネルーダの詩

 旅人は自問した……
 もし一生が終わり、それまでの道程が無となれば
 悲嘆が始まったあの場所へ帰ることになるのだろうか?
 自分に与えられたアイデンティティをまたも散逸させ
 別れを告げ、旅立つことになるのだろうか?

本文を匂わせるような詩に違いないだろうと思いながら、薄々しか知らない南米のネルーダというノーベル賞詩人の詩はこれか、と肝心の本の中身を読む前に目と頭と心にこの詩が入ってしまった。
これは先にパブロ・ネルーダという人の詩から読まねば。また図書館を検索して、詩は詩人の田村さんの解説付きの詩集がいいと借りてきた。


詩集の表紙に代表作というかネルーダの詩が二編、こんな詩があったのかと、読みながら愛されるわけに頷きつつ。

マチュピチュよ おまえは
石の上には石を 土台には襤褸を敷いたのか
石炭のうえに石炭を 底には涙を
燃え立つ黄金 その中で震えているのは
大粒の赤い血の滴か

  (詩集 大いなる歌から マチュピチュ山頂)

歴史の下に沈んでしまったかつては生活があった町。産物も枯れ略奪と侵攻の跡はうずもれ、歴史の石や土や砂の底に眠ってしまった、写真などで見るたびに恐ろしく物悲しい遺跡をこんな言葉にした、埋ずまった風景を想い感じることができる。この詩を読んだ人たちもなにか厳粛な思いに気がつく。
ごく若いときに書かれた詩(「詩集 二十の愛の詩と一つの絶望の歌から」)は、セクシーで美しい、限りなく湧いてくる言葉を授かって生まれた人なのだと、この詩からも感じる。直諭暗喩を自在に使いこなす詩人はここから生まれたようで、女性の体を勢いよく詩にして今も読み継がれているという。

女の肉体(からだ) 白い丘 白い腿
その身をまかせたおまえの姿は 地球にも似て
おれの荒々しい農夫の肉体は おまえを掘りおこし
大地の底から 息子を踊りださせる

(詩集 二十の愛の詩と一つの絶望の歌)

膨大な抒情詩集、政治的な詩集、人々に呼び掛けた詩、ソネット、などの多くの詩集を残した。
ガルシア・マルケスは崇拝したネルーダについて、すごく困難な路地に入り込んでしまいながら,政治詩とか、戦争の詩とか彼が書いたもののなかにはいつも偉大な時があった。と語っている。
チリの政治を変えようとしてクーデターで亡くなったアジェンデにも触れて親友の死の後に亡くなったことを悼んでもいる。

自分の詩情に埋もれがちな詩人は多いがこうして外に目を向け実際に関わった活動的な詩人を知った。
もう少し多くの詩が引用されていたらなどと欲張ってみたが、田村さんの詩人論は心に残る詩人の姿を教えてくれた。勉強になった。

最後に、面白い詩を見つけたので。

たまねぎ
光っている丸い塊
ひとひら ひとひらの花びらで
お前の美しさは形づくられた
ガラスの鱗がお前を大きくしたのだ
そして 黒い土の神秘の中で
おまえの露の腹部は丸みをおびた
土の下での
奇跡であった

(……)

またわたしは忘れないだろう
おまえの存在がいかに
サラダの愛を豊かにするか
まるで 天が
おまえにあられのなめらかな形を与えて
トマトの半球体の上で
みじん切りにされたおまえの明るさをたたえているようだ
また 民衆の手にも届いて
油をそそがれ
わずかに塩をかけられて
険しい道で働く日雇い人夫の空腹を癒す
貧乏人たちの星
妖精の代母

(……)

長い詩なのでちょっとだけ引いてみましたが
この後
たまねぎを賞賛する 天然のクリスタルガラス
と続く

苦く悲しい哀悼の言葉を読んだ後は、こういう詩(たまねぎへのオード・海へのオード)を書いた楽しい詩人の時間を感じながら本を閉じたい。
 
 
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「奇妙な動物の話」

2021-05-23 | 読書
 
小心者なのに怖い本が好きで読んできた。 子供の頃に読んで、今でも思い出すたびに背筋が寒くなるのは、「猿の手」と御伽婢子の「牡丹燈籠」だ。
あの時も1989年出版のこの本を読んだのかもしれない、表紙は三本足の八咫烏(たぶん)のようで顔は耳が尖った狐だった。以後八咫烏もちょっと怖い。
 

コレコレと読んでみた。

名作「猿の手」については、題名が上がっていたり、引用されたりしていたので今では怖さもほどほどに薄まってきた。円朝作の「牡丹燈籠」は最近ドラマを見たがアレンジが過ぎたのかストーリーの陰になって恐怖感は薄れていた。

かもめ通信さん主催のコミュニティー文学部生物係に気がついて、「犬」か「猫」かと考えた時、題名のように動物が色々出るこの本を思い出した。犬も猫もいなくて「猿の手」があった!ということで(;^_^A

これも児童書かと思うくらい読みやすい。訳も相応にシンプルにしているのかと「青空文庫」を開いて比べてみたが内容について表現は違っても変わりなくて、かえって現代文のこちらがよかった。

いつものように雰囲気だけでもちょっと。

*ポー「黒猫」
気の優しい動物好きの男が豹変する。それも酒を飲んでは残酷に変身して、という、今時の理性を失うほど「キレる」男の象徴のような、心理描写にすぐれた話。ポーらしい。最後のシーンに戦慄する。

*マリアット「狼人間」
農奴の父が人を殺し、子供を連れて森に逃げ込んだ。呪われた森だった。そこで暮らしていた三人兄妹は、馬で通りかかった娘と父が結婚し、恐怖の生活が始まる。

*宮沢賢治「よだかの星」
醜い「よだか」は「たか」という名前のために虐められる。名前を変えろと迫られるのも悲しい。心優しい「よだか」は口に跳び込む虫を食べているが虫だってかわいそうで辛い。泣きながら空に昇り、力尽きて星になった。夜の風景描写も美しい。

*ジェイコブス 「猿の手」
三つの願いをかなえるという猿の手の話。
一度願いが叶いお金を得たので、手の呪いを信じて事故死した息子を呼び戻す願いをかけるが。

*キプリング「けものの印」
猿の神の像を汚した。その像の後ろから白い男が現れ抱きつかれた後で、胸に斑点が現れた。男は獣のようになってしまった。みんなでまた現れた白い男を捕まえて打ち据えると。

*フォルヌレ「草むらのダイアモンド」
蛍の幻想的な光が効果的。ホタルが光る小屋で逢っていた男が草むらで死んでいた。それを見た女も死んだ、二人の命が灯のように淡く儚く消えていった。

*エーヴァース「クモ」
向かい合った窓から見える女に惹かれていく男の心が徐々に死に近づいていく。これは曰くのあるホテルで、先に住んだ男たちが次々に死んだ謎を解こうと住んでみた男の話。カーテン越しに見える向かいの女に操られる様子が現実的で、究極の恐ろしい最後のシーンが印象的。

*森鴎外「蛇」
森鴎外が?怪談を書こうとしたのか偶然そうなったのか、よくわからないけれど、蛇嫌いなので、想像するだけで気味が悪い。
旧家の若婦人は気がふれた。仏壇の位牌の上にとぐろを巻いている蛇を見て、亡くなった姑をいじめた呪いかとおもったのだ。旧家に世話になってこんな話を聞いた。まだ蛇がいるという。新人類(?)の客は棒を持ってきて蛇を捕まえ、若婦人には精神科の医者を呼ぶように言った。

古い人間関係がつくりだした因習も絡めた鴎外の珍しい作品。こういうものを書いたことも知らなかったが、ほかにもあるのだろうか出典はない。

と調べたらなんと
『蛇』は鴎外の妻と母親、つまり嫁姑の不和を描いた『半日』の続編と言われている。森家の嫁姑の不和はよく知られたところで、家長たる鴎外は大いに頭を悩ませていたことだろう。


ということで「青空文庫」でも読める有名な作品だった(;^_^
 
 
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「影」 カーリン・アルヴテーゲン 柳沢由美子訳 小学館文庫

2021-05-21 | 読書

 

 

ノーベル文学賞を受けた作家の持つ光と影、その家族と、かかわった人々の人生。カーリン・アルヴテーゲンの5作目

 

カーリンの著作はシリーズになっていないので、順不同で手に入った順に読んできた。そしてここまできて、彼女の作品の拠り所というか底を流れる形が分かり掛けてきた。

 

まず何か障害にぶつかった後にそれを乗り越え、読者を安心させる。

生きていれば訪れる大小の逆境と思われる時期、人生の闇に落ち、憎悪し、悲哀の淵に沈むとき、その絶望と辛くも乗り越えてきた再生の過程などが形を変えて作品になっている。

小説というものはそんなテーマを繰り返しで、読者は主人公と共に悲喜こもごもの時間を過ごす。

 

ところが同じ作家の文章やストーリー運びに慣れてくると、ちょっと休みたくなる。

こんなことを言うと作品ごとに目新しい世界を作り上げるのは作家にしても苦しい仕事に違いない。よくわかっているが、そんなわがままでこの作家を一休みしていた。

図書館本の期限が来て、あとに誰も続いてないことで少し延滞しやっと読んで書き始めた。

 

「影」という題名もカーリンの世界だろうと想像した。

偉大なノーベル賞作家の持つ「影」だ。作家の名前を持つ家族、作家の栄光の陰で生きていく不自由な欺瞞の多い暮らし。そしてついに檻が崩壊して、落ちていく家族の姿がある。

 

子供の頃から、本はたくさんあった。ほとんど叔父たちの古い教科書や参考書、好みの文学書など。一冊だけ回し読みをしている月刊雑誌。そこには切れ切れの文豪作品の読みどころがあり、海外小説の翻訳本もあった。本は大切にし、床に置かず跨がず名文は覚えて朗読をする、そんな田舎暮らしだった。作家は見たことのない世界を作りだす偉大な創造主のように見え、成長して図書館の本棚に出会って驚き、少ない小遣いをはたいて溜めた本は、宝物のようだった。

 

作家が尊敬され、ましてノーベル文学賞を受けて世界に認められ、出す本は次々に売れてファンが群れ、生活は豊かになっていった、人々の想像通り偉大な世界を持つ偉大な作家になった時、人間離れをした実体が作られる。

現実の影はどんなものだろう。時が経ちそんな作家も作家でなくなる時がある。

影の真実の姿が出てくるときその顔は、予想した通りもうすでに光を失ったしなびた老人だった。

作家の栄光の余波で生きてきた家族、息子、嫁。

孫は陰におぼれて死んでしまい、同じように年取って頑迷な老婆になった妻はまだいた。

 

世評を覆すような過去が、長く使えていた家政婦から引き出されてくる。彼女は作家を尊敬しあがめていたが、大きな秘密を抱えて孤独に亡くなった。そこに後始末をする管財人の女性が部屋を訪れる。

秘密の顔はそこから徐々に現れてくる。

 

栄光と影を持つ偉大な世界的な賞は大きな光に照らされる。しかしそれは広く照らす光のわずかな一隅かもしれない。

 

大きな世界を作り出す文学作家、創造主に近づこうとする科学者たち。

それを探り超えようとする人間の知恵が顕彰される、ノーベル賞の影を描き出した作品。

人間の卑小な一面を見る濃い不幸を書き出している。

 


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