空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

百田尚樹 「永遠の0」 講談社文庫

2010-09-14 | 読書
NHKスペシャルや終戦関連のテレビをたくさん見た。
いろいろの思いがあるが、改めてこの本の感想などを。


零戦の名パイロットだったが特攻機に乗って亡くなったという実の祖父(宮部久蔵)のことを孫の姉と弟で調べていく話である。

調べるといっても、生き残っている人たちは少なくすでに高齢であった。
だが幸い、話を聞いた人たちに、祖父はしっかり記憶されていた。

「生きて妻子の元に帰る」と臆せず言い続けた祖父は当時は臆病者で、恥ずべき人卑怯者のように思われていた。
言葉通り出撃しても必ず帰ってきた、たまには無傷で。

激戦地の南方の島々を転戦して生き残ってきた。
部下にも「命を無駄にするな」といった。
当時生きることにこだわることは恥だった、神国日本を背負い天皇陛下のために喜んで死ぬのが美徳であり、海軍に志願した若者の、潔さ、それが日本人の魂だった。
戦いも終盤になり、前線では、大本営の人海作戦として次々に敵に向かって突っ込んでいく特攻隊が編成された。
太平洋から撤退し沖縄に追い詰められても特攻は続けられた。
彼は地上では、若く、中には幼い飛行兵を訓練していたが、戦局は絶望的だとみんな感じていた。

アメリカの豊かな兵器と次第に進歩する技術の前で、開戦当時は敵を震撼させた先鋭のゼロ戦も歯が立たなくなっていた。その上物資不足で機体の整備も十分でなくなった、そんな戦闘機で飛び立った若者はほとんど帰ってこなかった。
「発動機が壊れたら必ず近いところに不時着せよ」と彼はいった。

そんな彼はなぜ特攻隊として死んだのだろう。

生き残ったゼロ戦のパイロットたちの話から、彼の心の動きがわかる。

南方の島々の悲惨な戦いの様子。戦闘機のパイロットの戦い方。最前線にいる人たちの悲劇。

途中までは、二人が調べて訊き出してくる話には臆病な祖父の姿しかない。

「生きて帰る」という執念で生きていた彼は、なぜ沖縄で特攻機に乗ったのか。
戦いの後で知る命の尊さに胸を突かれる。途中までの戦地や戦艦や戦闘機に関する話は胸に迫る。主人公を誇りに思う孫たちの姿はここから生まれた。

彼の生き方は、生き残りの人たちの話とともにかかわった人たちに大きな影響を与える。
それが国策だし自他共に戦いに命をささげることを賛美する世界に落ち込むのが戦争である。祖父の勇気は命と引き換えに孫にも響いた。とこの話は締めくくられる。

ただ、一億玉砕という掛け声のなかでも、個人の心の奥では真実の声があったのではないか、ただそれを言える強さがなかったのではないかという冷静な思いは、現在やっと平和な生活の戻った時に、生き残りの人たちの中にある。

本人の意思とは別に投げ込まれる戦いというものは想像できるが、生きて帰るという個人的な意思とはまた次元が違うのではないか。
大勢に呑み込まれる人の弱さを見ないでこの物語を語ることができない、個人や肉親の情と、国情を同じ線上に置くこの作品や、その後の百田さんの作品にも少し共感できないものが多いのが残念。物語を創りその中に自分を没入し語るジャンルはあるが、こういう作品では冷静な距離をもってほしい。



今更だけど在庫整理でリライト。


コメント
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