倉田百三の「俊寛」
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし。驕る平家の世わずか20年。
平家物語巻二、三の中で描かれた三人は、流配になった鬼界が島で暮らし始める。
百三の「俊寛」は取り残された島で苦しみもだえて滅びていった俊寛の惨めな最後を書いた物語(戯曲)で、舞台の背景や信仰心まで捨てなくてはならなかった死ぬ前の人間のあがきが重苦しい、必衰の無常観を増幅させて描き出している。
また、赦免使が現れるところではむき出しの欲に人間の尊厳などかなぐり捨てた究極の浅ましさを描きだしている。
向こうは薩摩灘、左手の湾を隔てて硫黄が嶽が煙を上げている。 成経は日がな一日海を眺めて船を待ち、康頼は岩の上で卒塔婆を作っている、悲願の千本を流し終えると願いが叶うと望みを賭けている。
康頼 毎日見ても船は来ませんよ。とすげない。
成経、来なくても希望はあります。 康頼 神仏でなくては船は呼べないのです。
成経 だから卒塔婆を作って流しているのです。 二人はささやかな望みを託して浜に出て白帆かと見まがう白波を見続けている。
俊寛は蜻蛉のように痩せ空虚な目つきをし、絶望を紛らすためだけに権現に見立てた社を巡っている。 受けた災いを嘆き、受けた屈辱を繰り返し思い出し、父が死に際に見せた怯懦の表情までも思い出す。
二人も、今の境遇を繰り返し嘆いている毎日。 ここでもし救われるときは皆一緒だと誓い合っている。
赦免の舟が来る。俊寛の名がない。二人は即座には納得できず、帰るに帰れずためらい、俊寛の同行を願い出るが、しきたりに縛られ保身による赦免使は聞き入れない。 浜辺で暮らした実りのない会話、過去の恨み、三人が奪い合った一羽の小鳥、その行為を恐ろしいと思い、まだ自省の念もあり、せめて人らしく生きたいと願い、固く誓い合った暮らしを思い出す。二人は俊寛も共にと縋りつくが。
残るなら残れという赦免使の様子に慌て浮足立った二人、成経と康頼は、口先だけの約束を叫びながら船に乗る。 きっと迎えをよこす。都につけば復讐ができる。 伝言はないか。 使いはすがる俊寛の手を刀の背で打ち据え、しがみついた両手を引きはがす。
残った俊寛の希望は尽きようとし、変化のない日々、語りも嘆きも同じ繰り返し。
有王が登場。 岩陰から出てきた俊寛の面変わりに驚きつつ懐かしさに慟哭し駆け寄る。請われるままに、都は盛んな平家の天下で、帰っても望みはない、赦免もない。ここで生きる限り世話をするという。 俊寛は有王の世話で命をつないでいたが既に絶望が体を蝕み朽ち始める。 月の夜に岩に上り頭を打ち付けて砕き倒れる。有王は亡骸を背負い岩から身を投げる。
同時代に同窓であった菊池寛、芥川龍之介之の作品を読んだ後は、倉田百三のこの俊寛はたとえようもなく惨めで自己崩壊し、死ななくてはならない状況を作り出している。 素行不良で人生の回り道に苦しんだ自画像かもしれず、これが俊寛の現実であったのだろうか。前向きの菊池作品に対して、後ろも向けず復讐を誓ったまま滅ぶに任せた俊寛を描いている。 餓鬼道に堕ち身も世もなく船の前では許しを請う。救いのない俊寛を倉田百三は書いている。
のちの「出家とその弟子」がベストセラ―になり倉田百三は今に残った。読んではいないがなんだか重い肩が少し軽くなった。やれやれこの「俊寛」はしんどい。