将軍や大名に碁を指南する名家に生まれた渋川晴海は、譜面にある碁を打つことに飽いていた。
彼は、奉納の絵馬の中に算額というものがあるのを知る。
そこで、算術と衝撃的な出会いをする、掲げられた算額にてんでに答えを書き込んであるのだが、中でも「関」という人物が即答して、出題者は「明察」と書いてある。彼は問題と回答を見て心身が震えた。
こうして晴海は算術と深く関わることになる。碁の相手は、江戸の家老であり老中であり、時には将軍の御前での展覧試合だった。
「暦」編纂の下地になる、北極星を目標にして全国の地を歩く、天文観測をするメンバーに選ばれる。
そして、当時使われていた「暦」が実情に合っていない、多少のずれがあるを確認する。
800年前に制定された「暦」は使っている間に一年のわずかなずれが重なって、結局は大きく二日の誤差を生んでいた。
それは、「暦」のずれが農業に関わることで有り、日食、月食が予想とずれることでもあった。
彼は、不動の北極星の角度から得意の算術で、各地の緯度と経度を測定する。
それを元に作り出した「暦」は自信作で公にも賞賛された。しかしまだ誤差が生じた。
なぜか、そして辛苦の末に、ついに基本になっているのが、中国の「暦」であることに気づく。
中国との距離と時間の差を埋めるべく彼は新しい「暦」大和の国の「暦」の編纂を始める。
ストーリーのあらましをメモしたが、彼とともに「暦」編纂に加わった人々との交わりは爽やかで熱く胸を打たれる。
難しい算術や天文観察から割りだされる各地の位置計算などはさらりと流され読みやすくなっている。
和算の天才「関孝和」の話も、まさに天才とはこういうものだろう、一筋に打ち込む才能が、文化を深め、大衆を導いた様子が感動的だった。
若いころ、小学生と「旅人算」や「和差算」「鶴亀算」などを解いたことがある。
数学は苦手で特に幾何は悪夢だった。今でも穴の開いた二つの桶に水を入れる計算は苦手だ。ただ言葉の意味がわかる分大人になったということのようでw。
小学生向けだったが、即答できないで、こっそり代数で解き、途中でその意味を考えたこともある。
小学生達の受験はかわいそうだ、いつ遊ぶのかと公立育ちは内心首をひねったが。
この時代に、こんな難しい言葉のものを解いたのだろうか、読むさえ難儀するものを、と舌を巻いた。
読みやすく、人情話を交えて、言葉遣いも現代的、新しい世界を見たような、一冊だった。
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