3月20日、働き方改革という言葉も忘れかけていたが、休日が多くなるたびに主婦の仕事も多くなると気がついた。
昨日の発表でコロナウイルスが変異して再再燃し始めてくると、奈良の知事さんは大阪からのコロナ変異株の持ち込みOFF宣言をした。
これからは大阪ナンバーで走るのも気が引ける。
幸い22日に「桜も咲いたし、早朝なら密でもないでしょう」ということで休日の一日を有効に使うことにした。
奈良方面行の高速は空いていてガラガラ、ヤッタネ!
子供の頃から見慣れた興福寺の五重塔も変わらない元気なことで、国宝殿には目当ての阿修羅像が一歩前に出て、センターの位置で待っていてくれた。憂い顔の少年はさすがに人気があるようで、片手でなくちゃんと両手を合わせて礼をした。もちろん無事にコロナが終息しますように、お釈迦様にも、千手観音にも、脇侍の方々にも深く一礼。
国宝の写真、解説はパンフレットから、忘れないようにメモ代わりに。ピンボケばかりで失礼になるかも。
国宝館
パンフレットの表紙も阿修羅像
旧食堂の本尊 木造千手観音立像
大昔の仏師がどこからどう見ても増殖のイメージに捕らわれていた。バランスの造形に執心を持っていた。そのことを考えながら一面十八臂のかんのんを観る。千手がほぼ光背と化した最後の観音に至るまでのまだ途中だが、宝輪蓮華鏡斧剣などの持物を多く所持し、五指の表情でもってひとつひとつの違いを持った九手と九手がその起点を両肘としつつ虚空の花のように群がり開く。どのてのひらもかおの大きさよりやや小さめなので、重くもなく軽くもなく花のように昆虫のように空間に群がる。 山尾悠子「飛ぶ孔雀」より。十八臂観音の世界も千手観音の世界もじっと見ると不思議に似た幻想的な世界が広がっていく。
木造天燈鬼立像・龍燈鬼立像(鬼彫刻の傑作)
踏まれている鬼が立ち上がり守護神となったようなユーモラスな珍しい作例。龍燈鬼は運慶の子康弁の制作。水晶をはめた玉眼がイキイキした効果を発揮している。いつも踏まれているが立っているのは初めて見た。
銅造灯篭
興福寺南円堂にあった灯篭で藤原真夏が発願し、弘仁7年(816)に制作された。火袋の扉の文章は弘法大師、書は橘疾勢と伝えられる。東大寺大仏殿前の燈篭に続いて古く形が美しいことから「南円堂形」と呼ばれる。
木造板彫十二神将像
木造板彫十二神将像
日本の浮彫のけっさくとして著名な11世紀の作。ユーモラスで親しみやすい姿を示すが、浮彫とは思えないほど表現には立体感がある。なかには歌舞伎役者のように激しい動きを止めて誇張する像、顔と体を正面抜きに表現する像などもあり、バラエティーに富んでいる。
伐折羅大将 ファンなので(^▽^)/)
珍しい穏やか風味の表情で、歳を経て丸くなったのかも。なんかほっとする姿。伐折羅大将も笑うんだな。
木造金剛力士像。檜材・寄木造・彩色・玉眼
右 阿形145.0センチ、 左 吽形153.7センチ 12~13世紀 鎌倉時代
通常仁王門などに安置されるが奈良時代には道内の須弥壇上に置かれる場合が少なくなかった。写実性、激しい動き、力強さが顕著で、強い風が意識され、筋肉が隆起し、血管が浮き上がるなど迫真的な鎌倉彫刻の神髄を見ることができる。その姿は後世の金剛力士像の規範となった
国宝館
中金堂
五重塔と南円堂(重要文化財)
こんな時でなかったら、ピンボケで無いましな写真を撮り(?)ゆっくり周りの建物も見られたのだが。急ぎ過ぎて桜も見てこなかった。
重要文化財も多くて、隆盛を誇った藤原氏の勢いが感じられる。多くの国宝、重要文化財が天平文化に想いを馳せることができた。
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