
面白かった。小品しか知らない「シューマン」という作曲家をこんなに愛する人がいるのか、シューマン論に打たれた。
その上、ミステリで、青春の追憶で、最後まで読まないではいられない、手法、物語の巧みさに、何度も読み返したくなる本だった。
図書館に返してしまったが、文庫になれば買ってもう一度読みたい。
作者のシューマン論は、音楽の雰囲気を楽しむだけの、ただの音楽好きの私には、こういった楽譜やコードについての分析はわからないままだけれど、それなりに音楽の世界についての知識を深めさせてくれた。
この物語は、読んだ後になって、納得できる部分が少なくない。
そしてシューマンの生き方や、音楽論の中に、作者の深い意図が隠されているという、素晴らしい構成になっている。
ドイツに留学した友人からの便りで始まる。
右手中指の先を失った長嶺修人が、シューマンを演奏するのを聞いたというのだ。その上指が揃っていたのを確かめたといってきた。
それを契機に語り手の回想が始まる。
まるでシューマンの生まれ変わりであるかのような長嶺修人は、すでに名のあるコンクールで優勝もし、公にも知られる存在だった。
長嶺修人が指を失った事件が起きる。
彼が美青年で天才であるに関わらず、あまり見栄えのしない彼女を連れていた。
そして、師事している先生とは男色関係にあると思われた。
彼と同じ高校で私は、彼に傾倒し、彼への関心はある意味で狂気を帯びていた。
長嶺修人のシューマンを三度聞いた、と何度も延べられる。
高校の音楽室で長嶺修人の弾く「幻想曲 作品17」を窓の外で立ち聞きする。
そのときプールで女学生が殺される。
後年、便りがあったように、無くなったはずの長嶺修人の指はどうなったのか、肉体再生の秘話なども披露されているが。
このプール脇の殺人のあとは、犯人当ての楽しみも生まれてくる。
「シューマンの音楽には、いつも違った世界が響いているような気がする」という意味の言葉を含め、長嶺修人と私の、一時期の濃密な交わりが詳細に記されていく。
それは、二人のピアニストがシューマンにとり憑かれた物語である。
回覧して、いつか本にしようとした5冊のノートの後、途切れていた記述は、6冊目になって私の最後の文章で埋められていく。
一度だけでなく読み返したい、優れた音楽小説でありミステリだった。
実に素晴らしい謎が、重層な物語になっている、これを作り出した、同じ作者のものもっと読んでみたいと思った。
読書
50作目 「シューマンの指」★5
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