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「越境」 コーマック・マッカーシー 黒原敏行訳 早川書房

2017-05-19 | 読書



図書館にこの単行本があった。狼の表紙を探したが文庫になっていてこの書影とは違ってしまっていた。やっと見つけて、何度も見直しながら感想を書くことにした。

まずは少年と狼の物語に胸がつぶれそうなくらい感動した。

国境三部作の二冊目にあたる。
主人公ビリー・パーハムは16歳でニューメキシコのアニマス山の麓に両親と弟とともに住んでいた。羚羊を襲う狼をつかまえる罠を仕掛けているが何度も逃げられていた。ついに前足を罠に挟まれた牝狼をつかまえる。ビリーは子を孕んだ狼に対峙したとき不意に故郷に帰してやろうと思う。親にも告げず前の右足をなくした狼の首に縄を撒いてメキシコ国境を越えて何日も辛い旅を続ける。これが一度目の越境。
国境で狼は警官に連れていかれ、祭りの見世物になり、次は闘技場で犬と闘わされていた。ビリーは二匹の犬を相手に二時間もの戦いに力なく横たわる狼をついに見つけ出して、撃った。毛皮商人にライフルと引き換えに狼を譲り受け、狼の故郷と思われる山の麓まで馬の鞍に乗せて運んでいく。
地面に座って血にまみれた狼の額に手を当てて自分も目を閉じ、狼の瞼を閉じてやる。
そこにはあらゆる生き物の匂いが空気の中に豊饒に満ちて狼を喜ばせ狼は多と切り離されずに彼らの一員として存在していた。ビリーは落ち葉の上から狼のこわばった頭を持ち上げたが、彼が持ち上げようとしたのはむしろ手に取ることができないもの、今はすでに山の中を駆け回っているもの、肉食の花のように恐ろしいと同時に非常に美しいものだった。
それは手に取ることが絶対にできないものであり花ではなく敏捷に走り回る女神であり風すらが恐れるものであり世界が失うことのありえぬものであった。

ここでビリーは言葉ではなく世界と自然の中にいる自分を感じる、コーマックはここで彼の世界を、狼の死と自然と、これからのビリーの歩む未来を描き出す。

彼は又国境を越えて故郷への道をたどるが、疲れ果て襤褸にまみれた姿を見て、老人が話しかける。
たとえ孤児であっても放浪はやめてどこかの世界に落ち着かなければいけない。世界と人間は一つだ。
ビリーは自分は孤児ではないと言い、馬を進めた。故郷に戻ると、両親は殺され馬は全部盗まれていた。生き残った弟を連れて馬を探す旅に出る。

荒れ地を抜け廃墟を通り過ぎ、少女を助けてまたメキシコに入る。そこで盗賊に襲われ弟が撃たれついにはぐれてしまう。重症の弟を見つけ出し手当を受けて一命をとりとめるが、弟は少女とともに彼の元から去る。二年後探していた弟は死んでいた。今度はその亡骸を故郷に埋めようと国境を超える。

困難な旅の途中の飢えと寒さ、疲労した体を引きずって帰郷し弟を生まれた地に埋葬する。

変わらない詩的で乾いた描写が冴えている。ビリーの過酷な運命と、すれ違う放浪の民や貧しい人々がより貧しく哀れに見えるビリーを休ませ食べさせて衣服を与える。そこには自然と同化した人たちがビリーを共同の命として受け入れる行為が、自他ともに生きることの意味が、書きあらわされている。

なかなか読み勧められなかったのは、ビリーが通り過ぎていく荒れ地に住む人たちや、すれ違う人が語り掛ける物語が彼の運命についての予言や寓話になっている。その物語は象徴的で、彼らが生きて来た人生の、見舞われた不幸の源についての発見であったり、長い幻想的な空間にそれも幻のように現れる寓話であったりする。言葉少なくただ旅を続けるビリーの心に広がる世界を、これらの荒れ地に一人で住む老人や、かつて兵士であった盲目の老人や、ジプシーが引く骨格だけになった飛行機の逸話がそれぞれに厚みを持たせて、それが作者が乗り移ったかのように読ませる。その世界観や人間の持つ命の不思議や、人種の混交の中に見える定住しない人たちの、命の継承に過ぎないという、運命を受容している形や、少年が辿る過酷な環境、時に荒々しい自然、それが本人の気づかない尊い輝きを見せている。すべては大いなる運命が見せる一時の幻かもしれず、作り出すものは物語の一つかもしれないけれど、言葉の紡ぎだす風景や大いなる世界の中を漂う感じは、読むのに時間がかかったけれど今でも何とも言えない大きな感動を受けた。

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