うちの近くに「鉢森神社」があります。
数十年前に移転して、現在に至っています。
ある書物に記されていました。
「前田萬太郎伝 風ニモ負ケテ 雨ニモ負ケテ」(非売品)
お世話になった会社の創業者の生い立ちの物語です。なので、販売はされていません。(と、思いましたが)
筆者の森勇夫氏は下北の風俗や慣習、歴史などの書物がたくさんあります。図書館にも並べられています。
この中で、「鉢森神社」の記載があります。
もう、鳥居が腐りかけて、倒れそうになっています。大丈夫かな・・・。かといって、町内会費では建て替えるのは困難。
天明7年(1787年)社殿建立を歓請。ようは社殿を立ててよろしいですか?と申請を出したらしい。
その以前の80年も前から、この稲荷信仰は広がっていたらしいです。
ところが、明治19年11月下旬に大火災に見舞われて、焼失。
社殿再建立のため、田名部神社の小笠原宮司と菊池平四郎氏の尽力のおかげで知事に申請、そして建立に漕ぎついた。
天明元年に始まったとしても、もう300年の時が過ぎています。(すべて、森勇夫氏の「前田萬太郎伝」より)
当時の寄付の記録を見ても、大平村、大湊村、東通りの大利・目名・蒲野沢・田屋・下田屋・鹿橋・老部・尻屋・岩屋、女舘、岡前、柳浦。さらに、脇野沢本村・新井田・蛸田・瀬野・木浪など下北全村にわたっているそうです。
当時の寄付の記録を見ても、大平村、大湊村、東通りの大利・目名・蒲野沢・田屋・下田屋・鹿橋・老部・尻屋・岩屋、女舘、岡前、柳浦。さらに、脇野沢本村・新井田・蛸田・瀬野・木浪など下北全村にわたっているそうです。
そして、バイパス沿いにあった鉢森神社は少し山側に社殿が移転されました。
平成7年に現在の土地に竣工建立されました。
小高い丘で「緑ヶ丘団地」の守り神として、そして下北を見守る神として、信仰されています。
と、いうのが、この書物に書かれています。
このほかに、関連して、稲荷信仰のこと、マエダのニシキヘビ騒動のこと、下北の歴史にも触れており、しばらくぶりに読み返すと、感心することが多かった。
わが家に近くに由緒ある神社がありました。ただ、このことはあまり知られていないようですね。神社がある、というのは認識していても、その由来や由緒はなかなか・・・。