68年9月25日生まれ・53歳。
アメリカ出身。
でに朗やパチーノ、ジャック・ニコルソンは「キャリアの濃さ」を理由に二夜連続構成。
人気者のスミスだって「そこそこのキャリア」だが、彼らに比べたら濃ゆくはない。
ないにも関わらず二夜連続にする理由はただひとつ―今年の春に起こった、あの騒動について書きたいから。
というわけで。
第一夜は、映画キャリアについて一切触れません!!
本年3月27日夜、第94回アカデミー賞が開催された。
プレゼンターのひとり、スタンダップコメディアンのクリス・ロック(スミスとは旧知の仲)は、スミスの妻ジェイダ・ピンケットの丸刈りスタイルについて言及、
アメリカンジョークの一種だが、
それに腹を立てたスミスがロックにつかつかと近寄り、いきなりビンタした、、、という騒動。
自分の見解を記す前に、その後の流れについて軽くおさらいしておく。
4月1日―「多くの人を傷つけ、アカデミーの信頼を裏切った。私はアカデミーから退会するとともに、今後のアカデミーの判断を受け入れる」とスミスが謝罪。
4月8日―協会は今後10年間、スミスの「授賞式への参加を禁止する」処分を決定、スミスもそれを受け入れたことを発表する。
ただし、この夜に受賞した主演賞は剥奪しない、、、とのこと。
さらにいえば、ロックへの処分は「なし」。
「えっ、一切なしなの?」と疑問を抱いた多くは日本人で、「そりゃ当然よ」と思っているのが大半の米国人である…という感じ。
さて自分の見解を。
自分が初めて米オスカー賞授賞式に触れたのは、87年度(第60回)だったと記憶する。
坂本教授が『ラストエンペラー』(87)で作曲賞を受賞した年。
その2年後、黒澤が名誉賞を受賞。
受賞作の嗜好だけでいえばカンヌ映画祭のほうが「はるかに」好みだが、「きらきら度」はオスカーのほうが何倍も輝いていた。
スターが最も輝ける場。
スクリーンの向こう側に居るスターたちが、ほんの少しだけちかく見える舞台―それが自分にとってのオスカーなんだと思う。
モハメド・アリが登場したり、
オバマさんがビデオ出演したり、エミネムが大ヒット曲を歌唱することはあっても、それで喝采を浴びることはあっても、それでも脇役に過ぎなくて。
この夜の主役は、あくまでもノミネートされているスターたちなんですよ。
アリなんかは、そのことをきっちり理解している。
スライのスピーチ中に突然現れ、「キミは盗作をした!」と散々からむが、スライが謝辞を送ると「そんなことはいいから、早いとこ進行を」と促しているでしょ?
※1分20秒くらいの動きを見よ!
コレなのよコレ、
ロックがどれだけ偉くとも、この夜の主役はスミスのはず。
まずここを前提として話を進めるべきなのです。
オスカーを取ったら人生が変わる。
すでにスーパースター、しかもグラミーだって取っているスミスにとっては「さほど大事なこと」ではないかもしれないけれどね。
それは置いておいて、だ。
今年「いちばんの夜」になるはずだったスミスにミソをつけたのはどっちだ、、、結局はこれに尽きると思う。
「気持ちは分かる、でも暴力はいかん」という声も多い。
「そういう思考は結局、戦争につながる」なんていう暴論まで。
果たしてそうかな。
じゃあさ。
『ダイハード』(88)のラストでマクレーンの妻ホリーがリポーターをぶん殴る場面で、あなたは顔をしかめたの?喝采を送ったのではないの?
というツッコミには、
「だから暴力の返しは、映画だけにしておこうと」
ほぉ~、と少しバカにしながら感心してみる。
そんな風に「あっちはあっち」「こっちはこっち」と分けて考えられるひとが羨ましい。
自分はそれが出来ない。
出来ないひとは、みんなスミスを批判することも出来ないんじゃないだべか。
米国に住む裕木奈江ちゃんは「ロックはビンケットの脱毛症を知らなかった説がある」とTwitter投稿、
さらにスタンダップコメディという表現への理解により、ロックへの批判は少数だったと結ぶ。
そういう背景は理解しているつもり、だが。
だがだがだが。
個人はそれでいいよ、しかし主催が10対0のジャッジを下すのはどうなのか。
しかも映画の祭典で起こった騒動で。
これでは「スターよりも、賞よりも、プレゼンターのほうが大事」といっているようなものではないか。
以前のコラムでも述べたとおり、原因がなければ結果は起こらない。
そのことを有耶無耶にしたままのアカデミー協会に、たいへん失望した。
これからだって、米オスカー授賞式は生放送で観ると思う。
映画史の第一級資料として無視するわけにはいかないので。
けれども。
もう以前のように楽しめないだろうな…と考える自分も居る。
受賞結果の予想も、それらを賭けの対象にして楽しむことも不可能になっちゃった。
だって「乗れない」のだもの!!
「後始末。」を完全に失敗している。
自分は、そう考えている。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『令和版・海外俳優列伝(31)ウィル・スミス、後半』
アメリカ出身。
でに朗やパチーノ、ジャック・ニコルソンは「キャリアの濃さ」を理由に二夜連続構成。
人気者のスミスだって「そこそこのキャリア」だが、彼らに比べたら濃ゆくはない。
ないにも関わらず二夜連続にする理由はただひとつ―今年の春に起こった、あの騒動について書きたいから。
というわけで。
第一夜は、映画キャリアについて一切触れません!!
本年3月27日夜、第94回アカデミー賞が開催された。
プレゼンターのひとり、スタンダップコメディアンのクリス・ロック(スミスとは旧知の仲)は、スミスの妻ジェイダ・ピンケットの丸刈りスタイルについて言及、
アメリカンジョークの一種だが、
それに腹を立てたスミスがロックにつかつかと近寄り、いきなりビンタした、、、という騒動。
自分の見解を記す前に、その後の流れについて軽くおさらいしておく。
4月1日―「多くの人を傷つけ、アカデミーの信頼を裏切った。私はアカデミーから退会するとともに、今後のアカデミーの判断を受け入れる」とスミスが謝罪。
4月8日―協会は今後10年間、スミスの「授賞式への参加を禁止する」処分を決定、スミスもそれを受け入れたことを発表する。
ただし、この夜に受賞した主演賞は剥奪しない、、、とのこと。
さらにいえば、ロックへの処分は「なし」。
「えっ、一切なしなの?」と疑問を抱いた多くは日本人で、「そりゃ当然よ」と思っているのが大半の米国人である…という感じ。
さて自分の見解を。
自分が初めて米オスカー賞授賞式に触れたのは、87年度(第60回)だったと記憶する。
坂本教授が『ラストエンペラー』(87)で作曲賞を受賞した年。
その2年後、黒澤が名誉賞を受賞。
受賞作の嗜好だけでいえばカンヌ映画祭のほうが「はるかに」好みだが、「きらきら度」はオスカーのほうが何倍も輝いていた。
スターが最も輝ける場。
スクリーンの向こう側に居るスターたちが、ほんの少しだけちかく見える舞台―それが自分にとってのオスカーなんだと思う。
モハメド・アリが登場したり、
オバマさんがビデオ出演したり、エミネムが大ヒット曲を歌唱することはあっても、それで喝采を浴びることはあっても、それでも脇役に過ぎなくて。
この夜の主役は、あくまでもノミネートされているスターたちなんですよ。
アリなんかは、そのことをきっちり理解している。
スライのスピーチ中に突然現れ、「キミは盗作をした!」と散々からむが、スライが謝辞を送ると「そんなことはいいから、早いとこ進行を」と促しているでしょ?
※1分20秒くらいの動きを見よ!
コレなのよコレ、
ロックがどれだけ偉くとも、この夜の主役はスミスのはず。
まずここを前提として話を進めるべきなのです。
オスカーを取ったら人生が変わる。
すでにスーパースター、しかもグラミーだって取っているスミスにとっては「さほど大事なこと」ではないかもしれないけれどね。
それは置いておいて、だ。
今年「いちばんの夜」になるはずだったスミスにミソをつけたのはどっちだ、、、結局はこれに尽きると思う。
「気持ちは分かる、でも暴力はいかん」という声も多い。
「そういう思考は結局、戦争につながる」なんていう暴論まで。
果たしてそうかな。
じゃあさ。
『ダイハード』(88)のラストでマクレーンの妻ホリーがリポーターをぶん殴る場面で、あなたは顔をしかめたの?喝采を送ったのではないの?
というツッコミには、
「だから暴力の返しは、映画だけにしておこうと」
ほぉ~、と少しバカにしながら感心してみる。
そんな風に「あっちはあっち」「こっちはこっち」と分けて考えられるひとが羨ましい。
自分はそれが出来ない。
出来ないひとは、みんなスミスを批判することも出来ないんじゃないだべか。
米国に住む裕木奈江ちゃんは「ロックはビンケットの脱毛症を知らなかった説がある」とTwitter投稿、
さらにスタンダップコメディという表現への理解により、ロックへの批判は少数だったと結ぶ。
そういう背景は理解しているつもり、だが。
だがだがだが。
個人はそれでいいよ、しかし主催が10対0のジャッジを下すのはどうなのか。
しかも映画の祭典で起こった騒動で。
これでは「スターよりも、賞よりも、プレゼンターのほうが大事」といっているようなものではないか。
以前のコラムでも述べたとおり、原因がなければ結果は起こらない。
そのことを有耶無耶にしたままのアカデミー協会に、たいへん失望した。
これからだって、米オスカー授賞式は生放送で観ると思う。
映画史の第一級資料として無視するわけにはいかないので。
けれども。
もう以前のように楽しめないだろうな…と考える自分も居る。
受賞結果の予想も、それらを賭けの対象にして楽しむことも不可能になっちゃった。
だって「乗れない」のだもの!!
「後始末。」を完全に失敗している。
自分は、そう考えている。
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明日のコラムは・・・
『令和版・海外俳優列伝(31)ウィル・スミス、後半』