Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(264)

2018-06-15 00:10:00 | コラム
サッカーW杯の開催にあわせて、今回の初体験シリーズは「初めてのサッカー」でいってみたい。


最初に、サッカーを題材にした映画について。


同じ球技で括ってみると、増えたとはいえ野球映画に比べて「まだまだ」少ないサッカー映画。

横長のスクリーンとサッカーグラウンドは、相性がいいと思うのだけれども。。。

ただ攻守がはっきりと分かれる野球とちがい、ドラマ展開は作りづらいのかもしれない。


『オフサイド・ガールズ』(2006)

イランの名匠パナヒによる、技ありの佳作。

女子は、スタジアムで生観戦することは出来ない―という現実の高い壁を、様々なアイデアで突破しようとする大胆さと健気さに打たれる。



『シュート!』(94)

森くんまで顔を出している、SMAP主演映画。

物語は・・・ごめん、覚えていない。

『勝利への脱出』(81…トップ画像)

おそらく、最も有名なサッカー映画。

戦時下という舞台背景、試合のどさくさに紛れて(捕虜たちが)脱走するという発想が、じつに映画的で面白い。

『少林サッカー』(2001)

サッカーに「まるで」興味がないひとでも楽しめる、やりたい放題のコメディ。

それでいて最後には、なんだか知らないが感動も出来る。



『チャンピオン鷹』(83)

ひょっとしたら『少林サッカー』の原型は、『キャプテン翼』プラス、この作品だったのかも。



ユン・ピョウのキレッキレのアクションを堪能しよう。

『ベッカムに恋して』(2002)

女子競技に焦点を当てる、世界的に見ても珍しいサッカー映画。


根本的に自分、「球」と団体競技が苦手である。

自分が「やる側」になったときの話ね。

だからこそ格闘技や自転車が性にあっているわけだが、小さめの球(卓球や野球)も大きめの球(サッカーやバレー)も上手に扱えない、肥満児で体育の成績が「1」だった過去からくる先入観や恐怖感(?)も手伝い、遊戯程度ならぎりぎりOK、しかし「少しだけマジ」の草野球でボロが出てしまうレベルなのだった。

そうなってくると「観る側」もイヤになりそうなものだが、そこだけはちがって、むしろ「大」好き。
自分がうまく出来ないことから、逆に憧れを抱くっていうね。

というわけで、ゴルフを除くすべての球技を観るのが好き。


よく野球とサッカー、どっちが好き? なんていう話があるが、国内に限定すれば野球(楽天推し)、世界にまで広げればサッカーだろうか。(メッシの動きは、ドシロートが見ていても面白い。Jリーグのことについては、よく知らない)


野球は物心ついたころには、すでに好きだった。
まだ肥満児「なりたて」だったというのもあり恐怖心もなく、父親とキャッチボールしたり、友達と草野球もしていたと記憶する。

キックベース(形は野球、球はサッカーボール)に興じることはあっても、サッカーそのものには興味を抱いていなかった。



※画像は、「みねっ子ブログ」さんより拝借


それが突然、学校中にサッカー熱が吹き荒れ始める。

もちろん、あの漫画の影響だった―。

つづく。

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明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(265)』
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炭と美白

2018-06-14 00:10:00 | コラム
先日―。
とあるビルの階段を上っていたら、まったく面識のない男性(30代くらい)が近づいてきて、

「腕、ずいぶん焼けてますなぁ!」

と、話しかけられた。

「(作り笑い)えぇ、まぁ」
「自転車ですか? 自転車でしょう、グローブ着用しているから、手だけ白いもん」
「そのとおりです」
「この時期で、すでにこの色って! 夏には炭になっちゃうんじゃないですか、あはは!!」

と笑いながら、ものすごい勢いで階段を下っていった。

その馴れ馴れしさ、「圧」の強さといったら、千原兄弟のお兄ちゃんのようだった。




いつもは自分が相手を圧倒するほうだから、圧倒される側になるのは新鮮で面白かったし、それに、いっていることだって正しい。

自分も、8月には炭肌になっているような気がする。


肌の、炭化―うん、元がキッタネー男なんだから、それもいいと思う。


ここからは、趣味の話。
男の肌は炭のように黒く、女の肌は白ければ白いほどいい。

というわけでトップ画像は、誰だか知らんがネットで見つけた美白美人にしてみた。


理想のタイプは? と聞かれると・・・

きまって「小柄」「童顔」「美白」と答える。

それは昔っからで、
初恋相手の陽子ちゃんも、
中学時代に好きになった果代子ちゃんも真理ちゃんも、
18歳のころに大恋愛した亜希ちゃんも、
30歳のころに恋して、しかしアタックのしかたを完全にまちがえて嫌われてしまった麻子ちゃんも、
みんなみんな、美白だった。

好きな顔だったとしても、日焼けしている時点で恋することはなかったと記憶する。


だから。
歌っている聖子ちゃんが小麦色ではないじゃないか! と、この名曲にツッコむこともしないのであった―。



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明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(264)』
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小津のことば

2018-06-13 00:10:00 | コラム
今週土曜より、小津安二郎の映画を4K画質で上映する企画が新宿で始まる。



とりあえず『晩春』(49)と『東京物語』(53)を観る予定。


自分は、あまり「小津映画の、よい観客」とはいえない。

作品そのものも、30%・・・いや20%くらいしか理解出来ていないのではないか。

それでも、高校生のころよりは分かっているつもりでいる。

当時は黒澤ダイナミズムに感激し、
俳優たちが怒鳴り散らし、それに呼応するかのように天気も大荒れ、
これが映画だ、映画のすべてだ! と思っていたところがあったから。

あったから、小津が紡ぐ物語は退屈に感じた。

天気はのどかだし。
俳優たちは、怒鳴ることなんかないし。

なんかいっつも、家庭で起こる些細な話ばっかりだし。

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「私は豆腐屋のような映画監督なのだから、トンカツを作れといわれても無理で、せいぜいガンモドキぐらいだよ」

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自虐的でありながら、それでいて自尊心の強さをも感じさせる、じつに魅力的なことばだなぁ! と、いまなら思える。


この映画は、この監督は、じつはとんでもないことを成し遂げたのかもしれない―そんな風に戦慄したのは、28歳くらいのころ、『東京物語』を再鑑賞したときだった。

それまで退屈と思っていたこの物語が、冒頭から緊張感に包まれていることに気づいた。

そうして、小津作品のほとんどを再見し始めた。

自分はなにを観ていたのだ!? とショックを受けたなぁ。


小津映画で、登場人物が死ぬことは「まず、ない。」とされてきた。

しかし。
『東京物語』では、平山周吉(笠智衆)の妻・とみ(東山千栄子)が死ぬ。

「ありがと」のアクセントが、とってもかわいいおばあちゃん。


この展開を作った小津は、映画を発表して以降もずっと「ばあさんを殺してしまった…」と悔いていたという。


胸を打つエピソードだなぁ・・・。


いままで短編を含めて40作ほどシナリオを書いてきたが、自分は、自分が生み出したキャラクターに対し、そこまで愛情を抱いたことがないのだもの。

だから。
このエピソードを知って以降は、自分のダメさ加減を痛感するために『東京物語』を「何度も何度も」観るようになったのだった―。



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明日のコラムは・・・

『炭と美白』
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にっぽん女優列伝(62)大原麗子

2018-06-12 00:10:00 | コラム
46年11月13日生まれ・2009年8月3日死去、享年62歳。
東京出身。

亡くなる少し前のこと、だったのかしら・・・
ワイドショーかなにかで、インターホン越しに大原麗子(おおはら・れいこ)さんを取材するリポーターの映像を観たことがあります。

内容はすっかり忘れてしまいましたが、麗子さんはほとんど泣いていて、女性リポーターも気の毒な顔をして相槌を打つことくらいしか出来なかったと記憶しています。

ギラン・バレー症候群の再発だとか、うつ病だとか、いろいろいわれていましたが、あんなにかわいらしいひとがどうしちゃったのだろうかと思ったものでした。

いわゆる「男が放っておかない」タイプの女性、しかし誰にも知られず息を引き取りました。
(死後3日経って発見)

だからでしょうか、個人的に飯島愛とかぶってしまうところがあるのです。


そして。
映画版の『それから』(85)で三千代を演じたのは藤谷美和子でしたが、自分がプロデューサーだったとしたら、まちがいなく麗子さんを起用していたと思います。


※演出は市川崑監督



<経歴>

父親は、老舗和菓子屋『田月堂』の経営者。


最初の旦那は渡瀬恒彦、



2番目の旦那が森進一。


60年代東映映画のアイドル的存在として、多数のプログラムピクチャー「的」作品に出演する。

実質的な映画俳優デビュー作は、65年の『孤独の賭け』。

【65年】
『可愛いあの娘』『いろ』『かも』『地獄の波止場』『夜の悪女』

同年、『網走番外地』シリーズに参加、準レギュラーとして初期作品に連続出演する。

麗子さんは共演した高倉健を慕い、以降の女優人生を支えてくれる大きな存在になったようです。

『北海篇』(65)
『荒野の対決』(66)
『南国の対決』(66)
『大雪原の対決』(66)
『決斗零下30度』(67)

【66年】
『太陽に突っ走れ』『浪曲子守唄』『夜の牝犬』『昭和最大の顔役』『女犯破戒』『非行少女ヨーコ』『男なんてなにさ』『赤い夜光虫』『ボスは俺の拳銃で』

【67年】
『続 浪曲子守唄』『北海遊侠伝』『河内遊侠伝』『喜劇 急行列車』『柳ケ瀬ブルース』

【68年】
『続決着』『あゝ予備練』『不良番長』『大奥絵巻』

同年、『(秘)トルコ風呂』で初主演。
共演はもちろん(?)夜の帝王・梅宮のアニキでした。


『三匹の牝蜂』(70)、『座頭市あばれ火祭り』(70)、『奇妙な仲間 おいろけ道中』(70)、『経験』(70)、
『喜劇 トルコ風呂 王将戦』(71)、
『湯けむり110番 いるかの大将』(72)、『喜劇 黄綬褒章』(73)。


東映の契約が切れた70年代前半からは他社の映画でヒロインを演じたりもしましたが、どちらかというとテレビドラマを中心に活躍。
橋田壽賀子がその演技力を買っていたからです。

なるほど、それで知名度の割には映画的な代表作が挙げ難いのですね。


『獄門島』(77)、『柳生一族の陰謀』(78)、『火の鳥』(78)、『男はつらいよ 噂の寅次郎』(78)、
『セカンド・ラブ』(83)、『居酒屋兆治』(83)、『おはん』(84)、『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(84)、『新・喜びも悲しみも幾歳月』(86)、
最後の映画出演作は、92年の『勝利者たち』。

映画キャリアを眺めてみて、やっぱり『おはん』が代表作になるのかな、、、って思います。


ギラン・バレー症候群のほかに乳がん手術を受けたり、整形手術が失敗して「ひきこもり」になったこともありました。

そして2009年8月6日―。
自宅で亡くなっているのが発見される。

死因は、不整脈による脳内出血。
死亡推定日時は、8月3日。

享年62歳―寂しい最後ですが、ヒトゴトっぽくいってしまうと、これもまた映画的ではあるよなぁ、、、なんて思います。


次回のにっぽん女優列伝は、大政絢さんから。

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明日のコラムは・・・

『小津のことば』
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にっぽん女優列伝(61)大場久美子

2018-06-11 00:10:00 | コラム
60年1月6日生まれ・58歳。
埼玉出身。

公式ブログ


永遠の性的アイコン。
少なくとも自分にとって大場久美子(おおば・くみこ)さんはそういうひとで、ガキのころはこのビデオパッケージを見てドキドキしましたし、



50代になって披露したグラビアに触れて、おや! まだまだいけるじゃん!! と感心しましたし。




はっきりいって映画女優としては、これといった代表作はないように思います。
しかし「ひと」として「おんな」として、じつに面白いキャラクターで、無視するわけにはいかない存在であると。

だってそうじゃないですか、
一時的に歌手業をやめましたが、その理由を「あたし音痴だから」と、身も蓋もないことをいってしまえるアイドルって、なかなか居ないと思いますもの。

実際、音痴ですし笑




<経歴>

堀越高等学校卒業。

10歳で芸能界入り、児童タレントとして活動を始める。
本格始動は77年(17歳)で、この年に歌手デビュー、そして『HOUSE/ハウス』で映画女優デビューも果たす。

歌手業におけるキャッチフレーズは、「一億人の妹」。

「千年にひとりの」とか「○○すぎる」というフレーズの原型は、この時代にあるのかもしれませんね。

78年―TBSのドラマ『コメットさん』で2代目ヒロインを好演、これによりトップアイドルへ。


ここからは、映画のキャリアに限定して・・・

といっても、

『東京からきた女の子』(78)、『ひめゆりの塔』(82)、『丑三つの村』(83)、
『武闘派仁義』(93)、
『破線のマリス』(2000)、『スワンズソング』(2002)、『バッシュメント』(2005)、『さよなら夏休み』(2010)・・・長い芸能人生に反比例して、このくらいしかないのですよね、ちょいと寂しいなと。


しかしながら。
その少ない映画キャリアをカバーするかのように、

ヌード写真集を発表したり、
実家がもらい火で全焼してしまったり、
自己破産したり、
パニック障害を患ったり、
心理カウンセラーの資格を取得したり、
林寛子とお笑いコンビ「○1○2」(まるいちまるに)を結成したりと、

まぁちょっとひとくくりにしてしまうには気の毒な内容も含まれますが、話題に事欠きません。


松尾スズキの信条「彼ら彼女らが芸能人であるかぎり、なんでも面白がりたい」に同調している自分にとっては、大場さんってやっぱり面白いひとですし、無視出来ない存在でありつづけるのです。

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明日のコラムは・・・

『にっぽん女優列伝(62)大原麗子』
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