UNA GIORNATA ORDINARIA

こんなわたしのありふれた一日

吾妻山までドライブ。

2015年08月19日 | ドライブ

8月15日、晴れ。

その朝の天気予報では明日から崩れるというので、ドライブしようということになり出発、朝10時。

目指すは庄原のまだ北にある吾妻山。

3時間以上走って到着し、車を降りると、「チョー涼しい!」

吾妻山の頂上は、ここから歩いて1.2キロ、標高1000メートルほどの山であるが、今日は歩く準備をしていないので、途中で買ったおむすびをこの広く青々としたなだらかな草原でほおばると、なんとも幸せな気分。

国民休暇村となっていて、キャンプも出来る。

ここからは星空が綺麗だろうな~と想像できる。

ここの施設に色々なパンフが置いてあり、それによるとこの近所に温泉があるらしいので、帰り道に寄ってみたのが、ここ。

比和温泉あけぼの荘。

パンフには建物の外観は載っていなかったのだった。

何ともレトロ、そして営業してるの?といった雰囲気。

恐る恐る入ってみると、何とも愛想のいい施設の男性で、ひとり300円、激安だった。

更衣室も狭くロッカーも少なめ、立派な鏡やアメニティはない。

お風呂も小さく、洗い場も3つくらいだがきれいにしてある。一応シャンプーなどはある。

でも、いくら小さな浴室でも、一人っきりとなると話は別!

誰もいないのだ。お湯だけがザアザア流れている。

サイコーの気分、貸切状態で、ザブザブいい気持ち。

上がってロビーに置いてある椅子に腰かけていたら、さっきの男性が「どうでしたか?」と言いながら扇風機を付けてくれた。

ここは市がやっている施設なので、入浴料も安いんだそうだ。

お昼の2時ごろからの営業らしいが「早めにいらっしゃれば、貸切状態で入れますよ」とのこと。

そう話をしていると、近所の人と思われる人たちがぞろぞろ入ってきた。

夫が出てきた。

聞いてみると、「ワシ、ひとりじゃった」

男のクセに長湯の夫はご満悦。


8月6日に思う。

2015年08月06日 | 日記

昭和20年8月6日、広島に原子爆弾がアメリカによって落とされて、今年で70年となる。

毎年参加しているわけではないが、区切りの年だし、これまで最後まで式典を見たことがなかったので行ったのである。

会場となる平和公園の芝生に、今年から仮説の屋根が付くことになった。

もしかしたらそこに座れるか?などど思った方が間違いで、そこへいくことすらできないくらいの人、人、人。

警察や市の職員がロープで中に入れないよう仕切るところに陣取る。

それでも次から次に人が寄ってきてすし詰め状態。

そういえば平和公園に入ったとき「冷たいおしぼり」配ってたなぁ、などど悔やみながら、ボーイスカウトの子たちからもらった今日の式典のパンフに目を通す。

「これで折鶴をお願いします」と一枚の青い折り紙が挟まれており、立って折り紙。

横の青年たちは、外国人。その向こうも外国のファミリーで、みな短パン、サンダル。でも、えらいなぁ、よその国のこういう式典に参加しようと思うんだから。

30分くらい待って、式典開始8時ちょうど。

市長をはじめとする献花が始まり、いよいよ8時15分の黙とう。

平和の鐘とセミの鳴き声で時が止まったかのようだった。

広島市長の平和宣言、放鳩、こどもたちの平和の誓い、そして総理大臣のあいさつ。

話しはじめると同時に「帰れ~!」の声があちらこちらから上がりつづけ、もう少し遠いところからはデモなのか大きな叫び声がしている。

今日は原爆が落とされた日。

いくら戦争とはいえ、こんな酷い武器を一般市民に向けたアメリカに言うならともかく、同じ国民でありながら気持ちが分かり合えないでいる現状が情けなくてならない。

日本の国民として、広島の市民としての責任。

それは、これからも絶対に戦争をしないことであり、その姿勢をアジアの国々に見せていかなければならないということ。

そういう態度なら、戦争の経験の無い若者にも出来ることだろう。

平和、平和と声高に叫ぶだけでなく、真の歴史を学び真摯な姿を見せて賢い国になってほしいと思うのだ。

実はこれは、現在のドイツの平和教育の実情を見てのことで、ドイツでは学校で挙手するとき、レストランで給仕を呼ぶときも上に真っ直ぐ手を上げてはならないんだそうだ。

そういう姿勢をあらゆる面に見せないといけないらしいのだ。

戦争責任のない子供たちまでもが、学校で人差し指だけの挙手をしている。

日本でこういうことが出来れば、「君が代」や「日の丸」は素直な気持ちで歌い見上げることが出来るだろう。

 


浜田、益田のドライブ旅。

2015年08月04日 | 旅行記

そのお宿は、日本海スレスレの所にあって、全室海側、露天風呂も海にあるかのようだった。

春のフラワーフェスティバルでもらった島根県の温泉マップでみた写真が素敵で、一度行ってみたいと思っていたら、先月末急に夫が「8月2・3日は連休よ」と言うので電話したら、取れた。

せっかく行くのならと水着も持って、まずは海水浴で有名な浜田を目指す。

最近は、途中に立派な道の駅があり、トイレの心配も無くなって遠出も楽しい。

片道約3時間で浜田に到着。

どの浜辺でもみんな海水浴、しかしちょっと車を停めるところがないのである。一日千円。

ウロウロと辺りを見てまわり、浜田のお魚センターへも立ち寄って、3時のチェックインには少し早いが、宿へ行った。

国道9号線から山陰線の高架をくぐって細いうねうねとした道を行くと、本日のお宿「荒磯館」があった。

すぐそばに海岸があり、大勢が海水浴を楽しんでいる。

私は海には入らないが、夫は今年初泳ぎと言って旗のあるところまで行ったり来たり。

一応私も水着を着たのだが、このあたりの人はお店で売っているような水着を着ていないのだ。

最近は日差しがきつく日焼けしないためなのかもしれないが、女性みんな長袖・長めのパンツで水の中へ入っている。

3時過ぎ、宿に戻ってお楽しみの温泉へ。

このお宿、2時までは日帰り客も入れて、3時以降は泊り客オンリーなのである。

そしてなんと、そのとき私ひとりなのであった。

中にある湯船はそう大きくないが、ガラスの向こうはすぐ海。

そして露天風呂に入ると、お湯が日本海側にも溢れ出て、まるで海のすぐそばにいる感覚。

そして、モゾモゾと動くフナムシが・・・いっぱい上がってきている・・・。

1時間近く楽しんで、6時前から夕食。

 

1階の食堂で取るのだが、これがなかなか。

地元のイカあり、サザエやアジ、イサキのお造り、パリパリのカレイのから揚げなどウマいったらない。

そうこうしているうちに宿の人が下りていたロールカーテンを上げると、今ちょうど沈みゆく太陽という景色が目の前に広がっていた。

沖に雲があって、まん丸のお日さまは見られなかったけど、こんな海に沈む夕日なんて見たのははじめてのことだった。

すっかり日も落ちて、辺りが暗くなると今度は遥か沖に烏賊釣り船の漁火がぽつりぽつりともり始めた。

夕食後にまた温泉へ。

浴室は照明を落としてあり、その漁火が沖合に灯って幻想的であった。

朝食は8時からということで、6時に起きてまずはお風呂。

朝もいい感じで、露天はどの時間も潮の匂いがして気持ちがいい。

昨日はたくさんの海水浴客でにぎわっていた浜も、今朝は人っ子ひとりおらず静まり返っていた。

ぐるっと散歩後、これまた待望の朝食を宿で。

 

アジの干物やイカの刺身、海苔の佃煮やモズクなど豪華である。

チェックアウトして、浜田のお魚センターへ戻って干物を買い、益田に戻ってから191号線で家に戻ったのだった。

そして。

家で夕食後、たまたまチャンネルを替えたら津和野が映った。

そこから山陰線で向かったところが、なんと私が泊まった宿だった。

お風呂がいいお宿として紹介された。

もう一度、あのステキだったお風呂をテレビで見ながら、頷く私であった。

 

 


グッドタイミング。

2015年07月21日 | ドライブ

数日前から、テレビなどで紹介されている「君田のひまわり」。

君田は広島県北部、三次市にある町である。

20年くらい前から休耕田にひまわりを植え、今では5ヘクタール、100万本のひまわり畑になった。

(これは今朝の新聞記事から)

「海の日」の昨日。

来た人は誰でも自由に切って持ち帰られるというので、混雑しているだろうけどダメもとで行ってみることになった。

三次から向こうはあまり通過するしか車を走らせたことが無いので、地図やナビで確認しながら走っていたら山道で急に前の車が列になって動かなくなってしまった。

カーブした小高いところから下を覗くと、向こうに黄色くなっているところがある。

「あれかぁ、それでこの渋滞か・・・」

その畑へ行くには、どうもずいぶん向こうに見えている細い橋を渡らないといけないようで、離合できないのでなかなか前へ進まないようだった。

とにかく全く車は動かず、途中でしびれを切らしUターンする車もある。

少しずつ動いていくが、これでは車を停めるところもないだろうと諦めても、この道しかないので並んでいるしかない。

そのうち、するすると進み始めたわけは、警察の誘導が始まったのだった。

ちょうどお昼時でお腹も空いたので、この道の先、君田の道の駅でご飯を食べて温泉に入ろうと「ふぉれすと君田」を目指すが、ここも大渋滞。

平素、平日に利用している我々には驚きの混雑で、ここも諦めてそのまま走ること数分、「高瀬の湯 鮎の里公園」という道路標識が見えた。

どうだろうねと行ってみると、宿泊施設で日帰り温泉もあり、気軽に遊べる綺麗な川もあり、多くの大人や子供が泳いだりもぐったりして遊んでいる。

小さな施設だが食堂もあり、他に2組が食事を終えたところだった。私たちは天ざる蕎麦を食べた。

休日だというのに、さっきのあの混雑がウソのような静けさだった。

フロントで食事の会計とお風呂の料金(ひとり500円)を支払って、薄暗い廊下を奥へ進むと小さな脱衣場があり、備え付けのロッカーも一台、洗面所は3つと狭い。

肝心の浴場は、民宿程度のお風呂の大きさなのだが、誰もいない!

貸切状態、なのだ。

お湯は源泉かけ流し、つるつるとしたいいお湯で、ぬるめなのでのぼせない。

浴槽の向こうは大きな窓が開いていて、涼やかな風と山々の緑が眺められてまるで露天風呂のよう。

浴槽のどこへ動こうと、わたし一人。

いいわ~、ひとりで、の~んびり。

上がって着替えていたら、年配の女性二人がようやく入ってきて、

「どうです?ここ?」と言う。

聞けば、同じルート「ひまわり」「ふぉれすと君田」を辿って来たそうだが、どちらもすごい車と人で、

「ここでご飯を食べればよかったよね」とぽつり。聞けば大混雑の中、あの道の駅で食事をし長時間待たされたと話した。

ロビーにある冷房と扇風機で汗が引くのを待っていたら、いい時間なのかぞろぞろお客さんが入り始めた。

 

 

 

 


被爆電車に乗って。

2015年07月02日 | 日記・エッセイ・コラム

今年は、広島に原爆が落とされて70年となる年で、NHKなどでも特集番組を放送しているが、TBS系列の地元放送局RCCが広島電鉄とコラボして、当時広島の街で市民の足となっていた市内電車をもう一度走らせている。

今、市内を走っている電車は、スマートで車高が低く乗りやすく音も静かな車両が多い。

高校生の時には毎日通学で乗ったものだが、満員なので入口の階段の所にでも入り込んで乗ったこともあった。床も木製、椅子は別珍のような緑色の生地で、当時はエアコンはなく、暑い夏には窓全開だったような記憶がある。

さて、今回のこの企画は戦前、広島の街を走っていた電車は何色だったのか、というところから始まったようだ。

現在でも見られる古いタイプの電車は、グリーンとベージュのツートンカラーが多いように思うが、戦前は違っていたようだ。

だが戦後70年も経ち、当時の電車のことを記憶している人が僅かになっているし、残っている写真は白黒で、何色だったのかが分からない。

そして、被曝した電車をレストアしていたら下から青い色の層が出てきて問題解決、そして被爆電車は完成した。

この電車に乗るためには予約が要り、8月までの週末のみ、一日2回の運行と知って慌ててインターネットで予約したら、ご丁寧に速達で「乗車証」なるものが送付された。

広島駅前から西広島駅前、そして折り返し広島駅前まで、途中乗り降りなしで一人500円。

6月28日、日曜日、朝10時30分、広島駅を出発進行。

車内は、当時の電車を再現して木製の床や建具、真新しいのだが雰囲気はある。

電車の運転も昔のタイプ。聞けば、このタイプはまだ今でも走っているそうだ。

各所に大型テレビが配置され、この企画の説明や被曝当時の映像などが説明されていて、見入ってしまった。

車窓から見える景色は見慣れた広島の街なのだが、ここだけ異空間のような気がする。

通常のルートを通っているので、停留所や道の所々では記念に収めようとカメラを向ける人も多く、特に相生橋付近では原爆ドームと一緒に写せるであろう場所に大型のカメラを構えた大勢の人が待ち構えていた。

西広島駅に到着したのは11時ちょっと過ぎで、安いけどゆっくりで有名な電車は誰も乗せなければ30分でここまで来れるんだと実感。

ここで10分少々の休憩ですと言われ外へ出た。

夫が「写真を撮ってあげる」というので電車の前でポーズをとっていたら、若い男性に声をかけられている。

スマホである。

きっとさわったこともないであろう、「撮れるんかいな?」と思いながら近づいたら、英語で何やら会話中。

外人さんなの?

聞けば香港から広島に来ているとのことで、電車と歴史に興味があって乗ってみたんだそう。

20年前に行きました、とか憶えている香港の街の名前、昔の空港のことなど夫と一緒になって話したら「11歳でした」と言われた。

帰りも同じルートを戻り、広島駅に着いたのが12時。

昔の停留所などが記載された地図をお土産にもらって電車を降りた。

香港の「彼」にもバイバイした。

現在に戻された気分になった。