今月に入り親しかった松本敏之さんが80歳で旅立った。
膵臓癌で亡くなった方を多く知っている。自分の最期も、痛みさえ抑えられるのであればこの病がいいとさえ思ったりしている。
そんな折に松本さんと知り合った。温厚篤実な彼は大手の広告代理店から地元で独立し、テレビ・ラジオ・新聞媒体を相手に社名もスマートな横文字で、時代の先端を走って宣伝広告を生業にしていた。
彼はその後計画通り自社のスタッフに会社を譲り、田舎の生家に移り住んで一人住まいの父親の介護に暮らし向を変えたと聞いていた。
この地で商いの道に足を踏み入れた頃知り合った同年輩の方だった。それから50年もお付き合い頂いたので友人と呼んでも許されそうだ。
膵臓癌が命を奪った、奥様の言葉では昨秋発覚したと言っていた。
膵臓癌で亡くなった方を多く知っている。自分の最期も、痛みさえ抑えられるのであればこの病がいいとさえ思ったりしている。
人は余命が分からないから終活が難しい訳で、一年以内に確実に亡くなると知ればやる事が明確になる。
私ら同世代が生き生きとして、地域社会にデビューした昭和50年代って、戦後処理後に訪れた高度経済成長が20年も続いた終わり頃であった。
年に10%もGDPが伸長した時代だ、100万円の定期が10年後複利で倍になったことを思い出す。
そんな折に松本さんと知り合った。温厚篤実な彼は大手の広告代理店から地元で独立し、テレビ・ラジオ・新聞媒体を相手に社名もスマートな横文字で、時代の先端を走って宣伝広告を生業にしていた。
お互い若くして会社を起業していたので、経営に対する考え方も似通っていて、60歳で社長業は能力あるスタッフに譲るんだと申していた。
彼はその後計画通り自社のスタッフに会社を譲り、田舎の生家に移り住んで一人住まいの父親の介護に暮らし向を変えたと聞いていた。
棺に横たわっていた彼の姿は、一時代を精一杯やり遂げ、楽しかった時代に活躍できた幸せに満ちていた。
=おわり=