(徳川茶会の会場の徳川美術館・・・曇り、時々秋時雨
)
10月9日(月、祭)に令和5年度・徳川茶会へ出かけました。
10月8日(日)から11月3日(金、祝)中の開催日(8日間)を表千家、裏千家、石州流、宗徧吉田流、大日本茶道学会が持ち回りで担当しています。
念願の茶会の一つでして、社中M氏が茶券の手配をしてくださり、この度初めて参席できて嬉しいです。
茶会の会場も主催も徳川美術館で、本席・濃茶席(餘芳軒)、副席・薄茶席(山ノ茶屋)、点心席(宝善亭1F)、道具飾席(宝善亭2F)が設けられていました。
(同席の皆さまと本席の外待合へ向かいます)
M氏が開館1時間前から並んでくださったので、運よく第1席目(18名)の本席・餘芳軒へ入ることが出来ました。
寄付(後で入る薄茶席の山茶屋にあり、ちょっとわかりにくい・・・)の床には徳川家康の書状、「茶壷口切・・云々・・長原弥左衛門尉宛」が掛けられていて、口切の季節の到来を思わせます。
さて、本席の床には「応無所住」、
鎌倉時代に来朝した中国の高僧・一山一寧(いっさんいちねい)の墨蹟です。辺りを祓い清めるような凛とした気迫と、枯淡を感じる筆遣いに圧倒され、惹きこまれて、その意味するところと共に「応無所住」がM氏と私に迫って来ました。
伝来は徳川家康の遺品(駿府御分物)として尾張徳川家・初代の徳川義直へ伝わりました。署名も落款もないそうですが、徳川家康のお気に入りだったとか・・・。
M氏が昨年準教授を拝受した折にM氏にふさわしい禅語と思い、お贈りした軸が「応無所住 而生其心(おうむしょじゅう にしょうごしん)」でした。
「ここでこのような素晴らしい墨蹟に出合うなんて! これだけでも来て良かった!」と思いました。
床の青磁浮牡丹の花入に西王母の蕾が一輪、生けられています。
床脇には唐物茶壷(銘「安国寺」)、こちらも伝来は徳川家康から尾張初代・徳川義直です。
・・・そして、炉に掛けられた釜(芦屋、松竹梅)がもう~垂涎でした。釜肌や蓋のやつれた風情と言い、芦屋の持つ高雅な文様、釜の気品存在感が上り立ち、しばし見惚れてしまいました。(独り言・・・こんな釜を懸けてみたい)
その釜の湯で表千家流のお点前で薫りよく濃茶が練られました。主茶碗は会記に書かれた副茶碗の高麗雲鶴が用いられ、拝見にも回されました。濃茶は蓬左の昔、とてもまろやかでよく練られ、美味しゅうございました。久しぶりに表千家流のお点前を拝見できたのも嬉しく心に残りました。
主菓子は銘「玉兎」(栗きんとん)で、両口屋是清製です。織部の銘々皿(幸兵衛窯)でだされ、皿はお持ち帰りでした。
(心空庵・・・徳川美術館の茶室の一つ)
濃茶席(餘芳軒)のお道具はどれも素晴らしく(流石!徳川茶会!)、記念に会記を記します。(太字は道具飾席に展示されていました)
本席 餘芳軒
床 一山一寧墨蹟「応無所住」 伝来 徳川家康ー尾張家初代・徳川義直
床脇 唐物茶壷 銘 安国寺 伝来 徳川家康ー尾張家初代・徳川義直
花入 青磁浮牡丹
香合 呉須赤絵 扇 遠州流八世・宗中箱 伝来 尾張家二代・徳川光友
釜 芦屋 松竹梅
長板 真塗
水指 染付 獅子麒麟 象耳
杓立 古銅 柑子口 金森宗和箱 岡谷家寄贈
飾火箸 砂張 椎頭 岡谷家寄贈
茶入 大名物 瀬戸 銘 筒井 伝来 筒井順慶ー尾張家初代・徳川義直
仕覆 角龍金襴 雲麒麟金襴
茶杓 豊臣秀吉作 共筒 銘 ひがし山ごぼう
茶碗 大名物 大井戸 銘 大高麗 伝来 安宅冬康ー尾張家初代・徳川義直
副 高麗 雲鶴 歌銘 高浜 松尾流六代箱
建水 唐銅 銀象嵌
蓋置 唐銅 七宝透
御茶 蓬左の昔
菓子 銘 玉兎 両口屋是清製
器 銘々皿 幸兵衛窯製 以上
令和5年度 徳川茶会へ・・・(2)へつづく