(山ノ茶屋の副席)
山ノ茶屋の副席(薄茶席)へ回りました。
薄茶席は山ノ茶屋と呼ばれるように、どこか風流な作りになっていて、開け放たれた窓辺から庭の緑が美しい茶席でした。茶室は上段、中段、下段によって構成され、床は奥に行くほど高くなり、天井や柱なども違うそうです。
床には二代将軍・徳川秀忠筆の和歌色紙が掛けられていました。「神風や・・・」の和歌は読めませんでしたが、色紙と書はとても美しいなぁ~と。
席主さんの説明によると、徳川家歴代将軍の中でも徳川秀忠は書に優れ、和歌をたしなむ方だったそうです。
床には秋の花がいっぱい・・・ススキ、紅水引、鉄線、男郎花、野紺菊が絵高麗の侘びた風情の花入に生けられていました。
絵高麗槌形花入、武野紹鴎所持と伝えられています。花の持つ力でしょうか、秋の花たちと絵高麗槌形花入がぴったりとお似合いでお互いを引き立て合っています。
槌形とは俵を横にした形の胴に口と高台がつけられていて、「俵壷(ひょうこ)」とも呼ばれています。白釉を掛けまわした上に、中央に牡丹文、両脇に唐草文と草花文の鉄絵が描かれています。とても風雅な侘びた印象の花入で、秋の花もお似合いだけど、武野紹鴎はどのような花を入れたのかしら?・・私だったら??・・・と想像するのも楽しい!
本席同様に副席の釜も垂涎ものでした。会記に「達磨堂 尾垂 下間庄兵衛」と書かれています。大徳寺塔頭・芳春院の達磨堂にあった香炉(八角形?)を尾垂釜に仕立てたそうです。胴に達磨堂の鋳込みがあり、細長い鐶が釜の上部に付いていて香炉鐶というそうですが、初めてお目にかかりました。
鉄絵・兎雲鶴模様のある水指は名残りの茶会にふさわしく、欠けた壷の上部を切り取って水指に作り直したそうですが、説明を伺わなければわからない出来でした。
主茶碗は渡辺又日庵作の黒楽が使われ、拝見にも回されました。
上段の間の、昔は川を眺めたという窓辺の席で菓子と薄茶をいただきました。濃茶の後の薄茶はとても美味しく喉を潤していきました。
薄茶は濃茶と同じ松柏園詰の「初昔」、菓子(吉光製)がえ~っと?思い出せません・・・。
副席から点心席(宝善亭1F)、道具飾席(宝善亭2F)へ回りました。
その後に徳川美術館へM氏と行きましたが、常設展と特別展をしっかり見て回るのは大変で、つい急ぎ足で・・・。
さすがに見ごたえがありました。特に次の4つの展示品が心に残っていて、今も思い出すたびにときめいています。またいつか、お目にかかれるかしら?
① 国宝 太刀 銘 来孫太郎作(花押) 正応五年壬辰八月十三日
徳川家康所持 鎌倉時代 正応5年(1292)
② 猿面茶室の展示品の内
芦屋籬に秋草文甑口釜 室町時代 15-16世紀
伯庵茶碗 岡谷家寄贈 江戸時代 17世紀
(ここで伯庵茶碗に逢えるなんて! 前に調べた伯庵茶碗10個のうちの一つ、岡谷家寄贈伯庵・徳川美術館蔵でした)
(昔から大好きな図でしたが、徳川美術館蔵とは知らず、今回感動の初対面で・・・感激一入でした)
記念に副席の会記を記します。
副席 山ノ茶屋 (太字は道具飾席(宝善亭2F)に展示されていました)
床 二代将軍・徳川秀忠筆 和歌色紙「神風や」
伝来 藤田家ー森川如春斎
花入 絵高麗 槌形 裏千家十一代 玄々斎箱
伝来 武野紹鴎ー尾張家茶頭 山本道傳家
香合 鎌倉彫 仙人
香木 伽羅 伝来 三代将軍・徳川家光ー尾張家二代光友正室・千代姫
釜 達磨堂 尾垂 下間庄兵衛作
風炉 古銅 遊鐶
水指 鉄絵 兎雲鶴 遠州流八世宗中箱
茶器 葵紋散蒔絵 棗
茶杓 織田道八作 共筒 銘 こなた共六本の内
茶碗 萩 三島写 俵形 伝来 尾張家二代・徳川光友
替 渡辺又日庵作 黒楽 安井家寄贈
建水 塗曲
蓋置 竹
御茶 初昔 松柏園詰
菓子 芳光製 以上
(晩秋の野の花を生ける・・・我が家の床ですが)
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