暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

2024年「炉開きと口切の会」・・・(3)後炭と薄茶

2024年11月22日 | 暁庵の裏千家茶道教室

 (後炭・・・最後に点炭を置いているところ)

 

つづき)

濃茶の第1席目が終わってから、M氏が炭の様子を見て後炭をしました。

いつ後炭をするかは決めておかずに、担当のM氏にお任せしていました。

瓢の炭斗と灰器がが運ばれ、釜が上げられました。初履きで客一同が炉を囲み中をのぞき込むと、初炭できれいに置かれた炭はほとんどが灰となり、かろうじて胴炭が残っている状態でした。

胴炭がすぐに割れ、M氏が下火を中央に寄せてから灰器を炉縁に置き、匙香を焚き、湿し灰を撒きました。香は初炭と同じ「露葉」(山田松香木店)です。中履きをし、炭を継ぎます。下火の様子やこれからの次第を考えて炭を継ぐところが後炭の亭主の腕の見せ所(?)でもあり、面白いところです。

輪胴が置かれ、丸ぎっちょ1個が初炭とは反対に(反時計回り)置かれました。

次は、丸管&割管&枝炭を一度に逆手で持って炉中へ置きます。とても難しく後炭のハイライトの1つであり、日頃の修練の見せ場でもあります。息を詰めるように見つめていると、M氏は枝炭2本を丸管と割管の上に置き、見事に下火の上に置いたのです。枝炭2本を一緒に持って置いたの拝見するのは今回が初めてです。炉を囲んでいる皆様からも嘆声が・・・・。最後に点炭が置かれ、詰から席へ戻りました。

後履きをし、釜が上げたところまで引かれて、灰器を下げ、腰黒薬缶が運ばれ、釜が清められました。釜は霰唐松真形釜、霰釜なので濡れ茶巾でポンポンポンと叩くように清めていきます。後炭はいろいろ見どころ満載ですが、この清めの風情もその一つです。本来は釜を水屋に引いて、湯を一部変えたり、水を足したりするのですが、その所作を席中で見せている・・・と伺っています。

釜が元のように掛けられ、蓋を切り、炭斗を引き、茶道口で挨拶して後炭が終わりました。

箕にのった干菓子(「紅茶琥珀」と「季子ごよみ・秋」)が運ばれ、薄茶になりました。

薄茶点前はY氏、三客までの薄茶を3碗点てていただき、四客から七客までは水屋からお持ち出し、最後に自服していただきました。

お代わりの方もいらしてY氏は大忙しだったことでしょう。そんなことを感じさせない真摯なお点前や温かなおもてなしぶりは流石でございました。

   (薬器を二引きで清めています)

暁庵も三客でお席に入り、正客Fさまと次客SKさまと親しく歓談しながら干菓子と薄茶を頂きました。干菓子は「紅茶琥珀」と「季子ごよみ・秋」(いずれも松江市・三英堂)、薄茶は「星峰」(星野園)です。

SKさまが虫明焼がお好きだとのことで、虫明焼大好きな暁庵はこの時・・・とばかり三碗並べました。一碗目は琵琶色に芦雁図の詫びた茶碗で「むしあけ・真葛」の印があります。二碗目はお祝いに頂いたススキ画の茶碗で岡部紫山作、三碗目は森香泉作の十二ヶ月茶碗の11月「紅葉」で「むしあけ」の印があります。「紅葉」とありますが、画には雨が入っているので「時雨」と呼んでいます。

他には京焼の三碗「吹き寄せ」「蔦絵」「仁清写・白玉椿」と、雲堂手と黄瀬戸の茶碗を使いました。

暁庵も虫明焼「時雨」茶碗で熱くまろやかな薄茶を頂戴しました。おしゃべりして喉が渇いていたので、一段と美味しかったです!

薄器は根来薬器、茶杓は紫野雲林院の藤田寛道師作で銘「紅葉狩」です。

 

薄茶タイムでは茶碗のこと、お点前のこと、干菓子のこと、花や抹茶のことなど・・・話題が尽きず、楽しい語らいが続きます。

最後に後座の亭主M氏からご挨拶があり、これにて「2024年炉開きと口切りの会」が無事に終了しました。

帰りには「時雨」も上がり、ゲストのお二人を社中数人がお見送りしました。

本当に来てくださってありがとうございました。

お客様、社中の皆様のお陰で、緊張感のある中にも楽しく素晴らしい「2024年炉開きと口切りの会」になりました。 

 

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                        炉開きと口切りの準備に勤しんで