暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

「野の花を愛でる」茶会・・・(1)

2017年06月09日 | お茶サロン&ご近所さんと茶会
 
 捩花 (ねじばな)または捩摺(もじずり)とも言う (季節の花300)

頭のどこかで次の歌声(独特の節回しで)が茶事の間中、聞こえていたような・・・。
            
   みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに
       乱れそめにし 我ならなくに
     河原左大臣(古今集)


6月4日に第5回お茶サロン・「野の花を愛でる」茶会を無事に終えることが出来ました。
その日は小田急線が一時不通になり、お客さまは大変な思いをされながら馳せ参じてくださって、感謝です。

詰・Wさまの打つ板木の音で茶会がスタートしました。
半東・Fさんが白湯と文旦ピールを汲み出し(蛍透かし)に入れてお出しし、露台の腰掛待合へご案内しました。
蹲踞を清め、自身を清め、枝折戸を開けて、無言の迎え付けです。
ここでお客さまと顔を合わせるのですが、初めてのお客さまもいらして久々にドキドキしました。

 
      摘んできた野の花や茶花がいっぱいになりました

素敵なお客さまは6名様、嬉しい「出会い」を感じながら記念にプロフィールを記しておきます。

正客・・・佐藤愛真さま(裏千家流、佐藤愛真料理教室を主宰。時々、暁庵の茶事で懐石をお願いしていますが、この度はお客さまとして楽しんでいただければ・・・と願っています。そのプロに手づくりランチをお出しするのですから「どうしょう!・・・?」、強力な助っ人の半東・Fさんが頼りです)

次客・・・Rさま(裏千家流、佐藤愛真料理教室の生徒さんでもあります。古美術が好きな父上さまの蒐集品に囲まれて育ち、自然に古いものが好きになったとか。茶花が大好きで、花と向き合う時間を大切にしておられます。郷里山形市の鈍翁茶会のお話をサロンで伺わせてください)

三客・・・Kさま(裏千家流、不思議なご縁で初めての御目文字です。京都から東京へ移転し、お茶環境を整えるのに苦労していらっしゃいますが、お茶に対する姿勢にパワーと情熱を感じます。金剛流仕舞を習っていて「半蔀」の舞拍子の発表会があったばかりとか)

四客・・・Hさま(裏千家流、暁庵の茶友で、一緒にいると心が癒される方です。いつも元気を頂いていますが、今日は元気をさしあげられたら・・・と思っています。淡交会役員を誠心誠意を持って修行中で、心から応援し尊敬しています)

五客・・・KSさま(暁庵の茶道教室の生徒さんです。半東見習いなど暁庵の茶事を手伝ってくださる、頼もしい方です。今日はお客さまとして参加してもらいましたが、茶会を楽しんでくださると嬉しいです。茶道より書道の勉強が長いようです)

詰・・・Wさま(裏千家流、ブログの愛読者で第4回お茶サロン「春は名のみ」の茶事に続いてお出ましくださいました。「端午の節句」の茶事ではじめて亭主を務められたそうで、今、茶事に燃えている様子が窺えます。今回は詰をお願いしました)

 

 
ここで閑話休題、
最近、或る本を開くと冒頭に「ふむふむ!」と深く頷く一文に「出会った」ので、忘れぬよう記しておきます(追って本の題名と作者を記載します)。

・・・・(前略)・・・・
フランスで暮らしていた頃、お客を招く時のご馳走とは食べ物ではなく、「人」なのだ、ということをよく感じさせられた。
気持よく調えられた室内、適当な音楽といった気遣い方もむろんするが、何といっても「相客」という「人」に勝るご馳走はない。また、自分自身という「人」を最上の状態で呈することが、他人を招くための最低の条件であることは言うまでもない。
「出会い」が何よりのもてなしなのだ。よき「出会い」をより楽しくするために、おいしいものを用意するのであって、それ自体が目的ではない。

生活の機械化が進み、人間不在の文化などと言われる時代になればなるほど、私たちは「人」ほどかけがえのない「贅沢品」もない、ということをよくよく考えさせられる。
情報化社会とかで、通信発達に伴って、人と人とがじかに顔を合わせないでも、意志の疎通はできるようになっているはずなのだが、そこが文明の皮肉とでもいうのか、私たちはますます人どうしが出会うことの大切さを知らされている。
・・・・(後略)・・・・



       「野の花を愛でる」茶会・・・(2)へつづく    募集記事へ


初風炉の茶事に招かれて・・・

2017年06月02日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)
                 
                         (我が家の金魚たち・・・茶事の写真がありませんので)
                
5月22日、「桜の森の満開の下で」の茶事にお招きしたHさまから茶事のお招きがあり、いそいそと出掛けました。

何度も茶事のお招きを受け、茶友の方が数人、いつも半東や水屋を手伝っていらしたのですが、
今回は一人亭主でなさるとか。
暁庵も3年前までは一人亭主が大好きで修行していたのですが、京都を去る時に卒業することにしました。
卒業を決めたのは、体力的に大変になったこと、他力本願で長く茶事を続けたい・・・と思ったからです。
Hさまの大変さを思いやると同時に、やり遂げた後の爽快感や達成感を思い出し、羨ましい気も・・・。

11時過ぎに駅で正客T氏と次客Oさまと合流し、Hさま宅へ向かいました。
そこは都内の3LDKのマンション、一室を素敵な茶室に改造しています。
その日の待合はリビング、「虚心」(大徳寺・大亀和尚筆)という掛物がありました。
心に染みついた浮世の苦楽を解き放ち、無の心境になってください・・・と受け止めましてございます。

半畳の畳2枚が敷いてあり、風炉先屏風の前に瓶掛けが置かれ、鉄瓶が掛かっています。
詰を仰せつかっていたので、汲み出しに香煎を入れ、白湯を注いでお出ししました。
汲み出しは白磁に赤い金魚やメダカなどが描かれ、増田窯(横浜?)とありました。

                 

席入りすると、壁床に「歩々是道場」の御軸、優しく温か味のある筆は淡々斎です。

茶室は三畳台目向切、躙口のある本格的な茶室ですが、随所に散りばめられた工夫が面白く、
何回伺っても新しい発見があります。
今回の発見は茶室に掛けられている扁額でした。
「どなたの書でしょうか?」
とお尋ねすると、Hさまの師匠が書いてくださったとのこと。
優しく風流な味わいの扁額はきっとHさまの大事な宝物なのでしょうね。

ご挨拶の後、手作りの懐石となりました。
一汁三菜、汁椀の替は金色で・・・など、とても参考になりました。
柔らかい鮑の煮物や八寸のカラスミが絶品で、一同何回も舌鼓です。

向切の炉の時と違い、風炉の初炭手前は定法通りでした。
香合が出され、灰器と炭斗が引かれると、いつも垂涎のまなざしで見つめる白鳥の座履きです。
座掃きが持ち出され、サラサラと点前座が掃き清められました。
Oさんと私は前にも拝見しているので、つい騒いでしまうと、
正客T氏が「白鳥の座掃きかと思いましたが、ちらっとチュールのような布が目に入りましたが・・・」
さすがT氏です・・・それはHさまお手製の白鳥を思わせる座掃きでした。
香合は大徳寺古材で作られた錫縁香合、誠中斎作。
風雪にさらされた古材の荒々しさと古材を取り巻く細工の繊細さが対照的な作りに心惹かれます。

                 

後座の席入りをすると、薄暗い茶室の壁に京鹿の子と大山蓮華の蕾が生けられていました。
白い蕾の清らかさとそれを引き立てる高取の筒花入(鬼山雪山造)が今も目に焼き付いています。

たっぷりの濃茶を三人で頂きました。
香り佳く、しっかり練られた、まろやかな濃茶・・・・客一同、異口同音に感激して味わいました。
濃茶は遊亀乃昔、伊藤園詰でした。

続いて薄茶になり、地元の陶芸クラブの友人作という茶碗で二服も薄茶を頂きました。

・・・ここまで筆を進めながら他の事に忙しく呆けておりましたら、その日の茶事で一番大切なことに気が付きました。
それは亭主と客、相客同士の相性がとても素晴らしかったことです。
特に客三人は時が過ぎてゆくのも気づかないほど、茶事にどっぷり溶け込んで愉しませて頂きました。

一人亭主でしたが、懐石もお菓子も心を込めて手作りしてくださったHさま。
Hさまのお茶の魔法にかかって幸せなひと時を過ごさせて頂き、感謝いたします(アリガトウ!)。