最近、日本の大学改革のニュースが時々、報道されます。例えば、2013年10月11日には、「日本オープンオンライン教育推進協議会(JMOOC)が設立され、大学レベルの講義を無償で一般に公開する「大規模公開オンライン教育」の推進が本格化するとのニュースが報道されました。
高等教育を担当する大学と一般の方(国民)との、新しい関係の誕生です。
この「大規模公開オンライン教育」は、米国の主要大学で始まった「MOOC(Massive Open Online Courses)」の日本版といわれています。WebなどのIT(情報技術)の進展によって、大学の役割が変わり始めていることの象徴です。
さらに丁度、一週間前の2013年10月12日土曜日に東京大学政策ビジョンセンターが主催したシンポジウム「国立大学法人法施行から10年 大学改革とイノベーションへの貢献」という壮大なテーマのシンポジウムが開催されました。
東京大学の本郷キャンパスの会場に約350人が集まり、2004年4月に施行された国立大学の国立大学法人化によるその後の進化などの議論を拝聴しました(そのパネルディスカッションのパネリストとして、東京大学大学院教授の菅 さんが登場してミニ講演された話のさわりは、弊ブログの20013年10月17日編でご紹介しました)。
本当は、このシンポジウム「国立大学法人法施行から10年」の議論を拝聴した話で感じたことを解説する予定でしたが、テーマがあまりにも大きいので、変更します。
2013年10月18日に発行された朝日新聞紙朝刊の中面の教育欄に掲載された見出し「学長主導へ 改革どこまで」という比較的長い記事を拝聴した感想をご紹介します。
日本の大学で学長がリーダーシップを発揮できる体制をつくろうと、大学組織のルールを改める動きが盛んになっています。特に、2004年4月に文部科学省の“出先”ではなく、“国立大学法人”という独立行政法人化した国立大学で、この動きが加速しています。
この学長のトップダウンの意志決定態勢を目指す動きは“ガバナンス(統治)改革”と呼ばれ、大学教員の関心事になっています。
今回の記事は、国立大学法人山口大学学長の丸本卓哉さんが「学部長の指名制度を提案し、山口大教職員組合などが反対する動きを表明している」という内容です。
各国立大学では、これまでは各学部の教授会などが選んだ学部長を、学長が追認するという選出法を続けてきました。学部教育に関することは、その当該学部の教授会が権限を持っているという伝統が守られてきたからです(現在は、大学の学部と大学院の専攻などはほぼ一致していますが、ここは一般の方には複雑なので省略します)。
これに対して、「国立大のガバナンスが発揮できないのは、学部などの部局中心の考え方という伝統から抜け出せないからだ」といわれています。米国の有力私立大学は、大学の学長や学部長は“経営”の専門家が就任し、大学の経営の財務基盤などを安定させていたり、優れた教員や学生を集めるなどの手腕を発揮しています。
この点から考えると、大学のガバナンス改革は、日本でも有力私立大学で始まってもいいのではないかと考えています。しかし、日本では研究能力に優れている“研究大学”といえる存在は、日本でも“旧帝国大学”をはじめとする20大学ぐらいの国立大学法人です。この点が、明治政府がつくった大学の在り方が尾を引いているのです。
10月12日に東京大学政策ビジョンセンターが主催したシンポジウム「国立大学法人法施行から10年」でも、その議論の前提は現在の“研究大学”を対象に話をしていると感じました。副題の“イノベーションへの貢献”を前提にすると、“研究大学”の大学改革が主な議題になるからです。
以上の話は、一般の方にはその前提条件が伝わりにくく、生煮えの解説になっています。かなり、複雑な話だからです。日本が今後、優秀な学生をどう育てるのかに関わり、かつ日本企業が国際競争力をどう維持するかという“イノベーションへ”につながる話です。大まかにいえば、現在の安倍晋三内閣が進める“成長戦略”の将来像に関係しています。
高等教育を担当する大学と一般の方(国民)との、新しい関係の誕生です。
この「大規模公開オンライン教育」は、米国の主要大学で始まった「MOOC(Massive Open Online Courses)」の日本版といわれています。WebなどのIT(情報技術)の進展によって、大学の役割が変わり始めていることの象徴です。
さらに丁度、一週間前の2013年10月12日土曜日に東京大学政策ビジョンセンターが主催したシンポジウム「国立大学法人法施行から10年 大学改革とイノベーションへの貢献」という壮大なテーマのシンポジウムが開催されました。
東京大学の本郷キャンパスの会場に約350人が集まり、2004年4月に施行された国立大学の国立大学法人化によるその後の進化などの議論を拝聴しました(そのパネルディスカッションのパネリストとして、東京大学大学院教授の菅 さんが登場してミニ講演された話のさわりは、弊ブログの20013年10月17日編でご紹介しました)。
本当は、このシンポジウム「国立大学法人法施行から10年」の議論を拝聴した話で感じたことを解説する予定でしたが、テーマがあまりにも大きいので、変更します。
2013年10月18日に発行された朝日新聞紙朝刊の中面の教育欄に掲載された見出し「学長主導へ 改革どこまで」という比較的長い記事を拝聴した感想をご紹介します。
日本の大学で学長がリーダーシップを発揮できる体制をつくろうと、大学組織のルールを改める動きが盛んになっています。特に、2004年4月に文部科学省の“出先”ではなく、“国立大学法人”という独立行政法人化した国立大学で、この動きが加速しています。
この学長のトップダウンの意志決定態勢を目指す動きは“ガバナンス(統治)改革”と呼ばれ、大学教員の関心事になっています。
今回の記事は、国立大学法人山口大学学長の丸本卓哉さんが「学部長の指名制度を提案し、山口大教職員組合などが反対する動きを表明している」という内容です。
各国立大学では、これまでは各学部の教授会などが選んだ学部長を、学長が追認するという選出法を続けてきました。学部教育に関することは、その当該学部の教授会が権限を持っているという伝統が守られてきたからです(現在は、大学の学部と大学院の専攻などはほぼ一致していますが、ここは一般の方には複雑なので省略します)。
これに対して、「国立大のガバナンスが発揮できないのは、学部などの部局中心の考え方という伝統から抜け出せないからだ」といわれています。米国の有力私立大学は、大学の学長や学部長は“経営”の専門家が就任し、大学の経営の財務基盤などを安定させていたり、優れた教員や学生を集めるなどの手腕を発揮しています。
この点から考えると、大学のガバナンス改革は、日本でも有力私立大学で始まってもいいのではないかと考えています。しかし、日本では研究能力に優れている“研究大学”といえる存在は、日本でも“旧帝国大学”をはじめとする20大学ぐらいの国立大学法人です。この点が、明治政府がつくった大学の在り方が尾を引いているのです。
10月12日に東京大学政策ビジョンセンターが主催したシンポジウム「国立大学法人法施行から10年」でも、その議論の前提は現在の“研究大学”を対象に話をしていると感じました。副題の“イノベーションへの貢献”を前提にすると、“研究大学”の大学改革が主な議題になるからです。
以上の話は、一般の方にはその前提条件が伝わりにくく、生煮えの解説になっています。かなり、複雑な話だからです。日本が今後、優秀な学生をどう育てるのかに関わり、かつ日本企業が国際競争力をどう維持するかという“イノベーションへ”につながる話です。大まかにいえば、現在の安倍晋三内閣が進める“成長戦略”の将来像に関係しています。