ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

日本経済新聞紙「私の履歴書」の利根川進さんの“日本の大学論”を拝読しました

2013年10月30日 | 日記
 日本経済新聞紙の最終面である文化面の看板コラムの「私の履歴書」は、2013年10月は分子生物学者・米国マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授の利根川進さんが執筆しています。

 1987年に、ノーベル生理学・医学賞を受賞したというハイライト部分の話が終わり、その後は日本の理化学研究所が1997年に新設した脳科学総合研究センターの研究機関としての設立にかかわった話に入っています。

 2013年10月28日に掲載した「私の履歴書」では、「日本の大学 ピラミッド型が問題」との見出しで、日本の大学の在り方を自己流で分析しています。日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版では見出し「日本の大学 ピラミッド型が問題」として掲載されています。 



 利根川さんは「日本では大学の序列がピラミッド型に決まっている点が問題です。しかもいわゆる上位に『上位』にいると思い込んでいる大学ほど、優秀な学生を他の大学に出したり外の優秀な学生を採用したりする意欲がひくくなっています」と印象論的な感想を述べています。
 
 これに対して、「米国の大学はピラミッド型ではなく台形のような構造です」といい、「教授から学生まで研究者は非常に流動的です」と続けます。

 日本の大学も、企業に就職する学生はそれほど他大学に移るという流動性は少ないですが、日本の大学の『研究者』は流動的になっていると感じています。利根川さんの分析は、やや古いステレオタイプの印象論と感じました。

 しかし、2013年10月30日に朝日新聞紙朝刊の一面トップに掲載され、そのWeb版である朝日新聞 DIGITALでは、見出し「『天の声』で入選差し替え 日展書道、事前配分」として掲載された記事が気になりました。



 同記事は「国内最大の公募美術展である日展の「『書』の審査が『派閥の論理』でゆがめられていた。会派幹部の証言からは、入選数を会派ごとに割り振る慣行が続いていたことがうかがえる」と報道しています。

 “村”社会の有力者による派閥政治によって、書の評価が部分的にゆがめられていたという内容です。

 この記事を読んで、日本のピラミッド型の大学の序列による、大学内の“有力者”による支配が残っている可能性もあるかもしれないと感じました。

 日本の大学が、大学の研究者を公正に評価しているかどうか、なかなか微妙な問題にようにも感じました。かなり難しい問題です。しかし、日本の科学技術を支える大学の実情に直結した課題であるため、しっかりとした分析が必要な問題です。