ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

“壮年起業”を実践されている方をお訪ねしました

2010年10月24日 | 汗をかく実務者
 加藤石生(いわお)さんは“壮年起業”を実践した方です
 ある大手化学企業にお勤めしていて、定年が近づいた58歳の際に、加藤さんは技術営業を売り物とする“技術”商社のセラミックスフォーラムを起業しました。これまでに研究開発者として培った人脈を生かし、自分の力で定年後の人生を切り開こうと考えたからです。


 9年前の平成13年(2001年)8月にセラミックスフォーラムを数人の仲間と創業しました。その当時から、加藤さんは代表取締役として猛烈に仕事をされています。大手企業のサラリーマン(従業員)の時と違って、経営者として自分の責任で最善の手を決断し、事業を運営することは「とても楽しい」とのことです。定年後に関連企業などに再就職しても、仕事内容が自分の意のままにならないのであれば、「思い切って数100万円の資本金で会社を創業することをお薦めしたい」といいます。自分が得意で気に入ったことを仕事にできるからです。自分が好きな仕事ならば、厳しい局面でも楽しく仕事ができるようです。

 加藤さんは「当社を無闇矢鱈(むやみやたら)に大きく成長させない」と宣言しています。そして、「できるだけ借金をしないことを心掛けている」そうです。着実に企業を成長させていくことで、従業員をリスクにさらさないように心掛けているようです。同社は現在、加藤さんなどの常勤役員と従業員を併せて5人のこじんまりした会社です。創業後にいただいた電子メールでは、事業実績を社内で公表し、各人の給料を話し合いで決めているとのことでした。

 セラミックスフォーラムはガラス溶解技術やガラスシーラント、炭化ケイ素(シリコンカーバイド)などの特殊な材料とその関連技術などを輸入する技術商社です。ガラス溶解技術はチェコやフランス、ハンガリーなどの欧州の企業と提携し、国内企業に提供しています。炭化ケイ素はドイツ企業からウエハーを輸入し販売しています。

 炭化ケイ素ウエハーは、10年数年前に加藤さんから見せていただいた記憶があります。当時の加藤さんは大手化学企業のセラミックス開発事業の責任者から子会社の商社に異動されたころでした。開発技術者から事業の営業などを担当されていたように記憶しています。この事業の営業担当者としての経験が、結果的に起業に役に立ったのではないかと推定しています。欧州の先進技術を持つ企業群をパートナー企業にできた点が加藤さんの人脈のすごさです。

 加藤さんが“セラミックスフォーラム”という少し変わった企業名を創業した会社に採用した理由は、元々は仲間たちと企業の枠を超えて、毎月、セラミックスの勉強会を開催していたことに由来します。そのころは、“セラミックスフォーラム”という自主勉強会に何回か参加させていただきました。同社は現在でもガラスやセラミックなどの先端技術についての勉強会を約2カ月ごとに開催しています。加藤さんが先端技術についての勉強を続けることが自社の事業を強化すると考えているからです。同時に、先端技術を目指す者同士の人脈を大事にされているからと思います。

 日本はベンチャー企業の創業数が米国などに比べて少ないといわれています。加藤さんは「“壮年起業”は事業をつくるスキルを持ち、販売などで信頼を得られる人脈を築いている壮年の方に薦めたい」と加藤さんは力説します。日本型のベンチャー企業の起業の薦めとして、加藤さんの実践は説得力を感じます。

 セラミックスフォーラムは創業当初はJRの神田駅近くの神田富山町付近にオフィスを構えられました。その後、秋葉原駅近くの台東区台東のビルに引っ越され、今年10月2日に江東区青海の「the SOHO」というビルに引っ越されました。今回、セラミックスフォーラムにお邪魔したのは、このthe SOHOという新しいオフィスを見学させていただくためでした。


 ゆりかもめのテレコムセンター駅から徒歩5分の距離でした。

 the SOHOビルは、SOHO(Small Office/Home Office=スモールオフィス・ホームオフィス)と呼ばれる小規模事業主向けのオフィスを約350区画備えたビルです。このビルは有名なインテリアデザイナーの片山正通さんがデザインしたことで知られています。片山正通さんは株式会社ワンダーウォールの代表として、話題の販売店のデザインを手がけ、繁盛店にすることで有名な方です。

 the SOHOビルのSOHOオフィスはフィットネスやバーラウンジなどを備え、入居者同士が共有スペースで交流し、何かを産み出す場として働くようにデザインされています。ビルの内側は中庭があり、内部が中空な構成です。各階のSOHOオフィスの通路側は多彩な色に塗られた独自の空間でした。中空空間は多彩な色が美しい絵になっています。




 元々のビルのコンセプトから、デザイナーやクリエーターなどが集まる拠点のようです。ここを拠点に、創造的な仕事をする方の事業が花開くことで、コンテンツやソフトウエアなどの新産業が盛んになればいいと感じました。
 
 

下関市長府は城下町の面影をよく残していました

2010年10月23日 | 旅行
 長府毛利藩5万石の城下町として栄えた下関市長府に行ってきました。
 長府は、城下町としての面影を残す努力をしていました。壇具川(だんぐがわ)は下流に錦鯉が放流され、その上流はホタルの名所です。ゲンジボタルが住む清流の小川としてよく整備されています。小さな清流沿いに10数分歩くことは、とても気分が良かったです。

 上流の功山寺(こうざんじ)から下流に向かって長府藩侍屋敷長屋まで10数分で歩けます。団体の観光客はバスを下流側に停めて、観光案内の方を先頭に10数人が川沿いを登っていきます。比較的お年寄りの方が多いのですが、皆さんゆっくりと登っていきます。周囲の住宅街の景色がそぞろ歩きを誘います。

 現在ホタルの生息数は、かなり少なくなっているようです。壇具川ホタル保存プロジェクト委員会によると、ホタルは今年はほとんど飛ばなかったとのことです。ホタルがごく普通の住宅地に生息することの難しさが伝わります。住宅地から排出されるものや、道路を走る自動車の排ガスが影響しているとのことです。

 上流側にある功山寺は鎌倉時代に創立された長府毛利家の菩提寺です。日本最古の禅寺様式を残す曹洞宗の古刹(こさつ)です。国宝だそうです。


 功山寺は、戦国時代の弘治3年(1557年)に毛利元就(もうしもとなり)に追われた大内義長(おおうちよしなが)が自害した地であり、江戸時代末期に高杉晋作(たかすぎしんさく)が挙兵し、明治維新のきっかけをつくった地です。歴史の重なりがすごいです。

 周防灘に流れ下る壇具川も、弥生時代に神功皇后が出陣する際に、ここに壇を築いて祭事を行い、祭事に使った道具類を流したという故事にちなんで壇具川と名付けられたとのことです。神話時代の感じです。歴史の重みがすごいです。

 功山寺の北東側には長府毛利邸(ちょうふもうりてい)があります。長府毛利家の14代当主の毛利元敏(もうりもととし)が明治36年(1903年)に建てた邸宅です。大正8年(1919年)まで長府毛利家の本邸として利用されたそうです。母屋は質実剛健な内装でした。


 見所は日本庭園です。池泉回遊式庭園は石灯篭、楓(かえで)、池などが絶妙に配置されているそうです。花期が途切れ、紅葉には早い時期でした。紅葉に時がお薦めだそうです。


 今回感心したのは城下町としての面影を残すために、住宅の周囲の塀をできるだけ統一し、昔の面影を残そうとしてることでした。長府毛利邸の東側から伸びている古江小路(ふるえしょうじ)は外壁が統一され、江戸時代の感じを保っています。


 この古江小路の途中には。侍医(じい)・侍講(じこう)職を務めた家柄の菅家の長屋門(ながやもん)があります。観光地として打ち出すために、できるだけ城下町としての面影を残そうと努めている姿勢に感心しきりでした。

 花期ではないため、少し離れた長府庭園には足を運びませんでした。サクラ、ツツジ、ハナショウブなどが四季折々を飾るそうです。歩けば10数分の狭い地域で、古い町並みを残す努力を続けている成功例のようでした。

山口市の“ういろう”はほんのりとした甘さです

2010年10月22日 | グルメ
 山口市の和菓子の「ういろう」は美味です。
 ほんのりとした甘さで、ソフトで滑らかな食感がたまりません。

 和菓子の「ういろう」(外郎)といえば、やはり名古屋市のものが有名です。小田原市や京都市のものも知られています。そして、山口市のものも名菓として有名です。例えば、新幹線の新山口駅の土産コーナーには、ういろうを売り物としている和菓子店がいくつか並んでいます。

 山口県山口市を中心とするういろうも、元祖・本家を自称する和菓子店がいくつかあるようです。元々、山口市などでういろうを売り物にしていた和菓子店の“福田屋”が後継者不足で廃業してしまい、その再現を目指していくつかの和菓子店が手がけるようになり、名菓に育った経緯があるそうです。山口市のういろうのルーツは室町時代からとの説もあり、日本のういろうの源流の一つのようです。以前は、山口市周辺の地域でも「○○ういろう」と、その地方の名称を冠して売られていたとのことでした。

 山口市のういろうは、ワラビ粉(ワラビの根からとったデンプン)を加えている点が特徴です。


  砂糖、小豆に小麦粉などを加えて蒸してつくります。抹茶などを加えたものもあります。ほんのりとした上品な甘さです。「わらび餅」とどう違うのかは分かりません。名古屋市のういろうは、もちもちしたお米を感じさせます。京都市のういろうも、名古屋市のういろうを少し硬くしたお米系の食感だったとの記憶があります。小田原市のういろうもだいぶ前に食べたのですが、覚えていません。商業面では、新大阪までの新幹線の開業に合わせて、全国的に売り出した名古屋市のういろうが大成功を収めています。

 山口市のういろうの一つに、「豆子郎」(とうしろう)という名称で売っているものがあります。御堀堂(みほりどう)という和菓子店が販売しています。


 JR西日本の新幹線駅である新山口駅では、「豆子郎」を売るお店が並んでいました。面白いのは、ういろう好きの方が、山口のルーツである福田屋のういろうを再現しようと努力し、ういろう好きの“シロウト”がつくったということを踏まえて、「豆子郎」と名付けたそうです。

 山口市のういろうに魅せられたのは、数年前に山口市の温泉街として有名な湯田温泉に泊まった時です。温泉街の中心部にあった和菓子店にういろうを買いに行ったら、「当店のういろうは午前中に売り切れてしまいます」といわれ、買えませんでした。そのお店のういろうも日持ちするものもあるのですが「美味しいのはつくった当日しか持たない生もの」との話でした。「明日午前7時からお店を開けますので」といわれ、翌日早朝に買いにいきました。このほかにも湯田温泉駅近くの和菓子店で食べたういろうも美味でした。

 今回は湯田温泉にまで行く時間がなく、そのお店への訪問は断念しました。購入したういろうも賞味期限は2~3日です。

 和菓子のういろうを楽しめる現在は、平和でいい時代です。以前に、和菓子が豊富な島根県松江市に行った際に、江戸時代に平和が続き、お茶の文化が育って和菓子の文化が開花したと思いました。この点では、金沢市も同じです。和菓子が楽しめる世界に生きている幸せを感じます。



宇部市のときわ公園は白鳥などの水鳥の楽園でした

2010年10月21日 | 旅行
 宇部市にある、ときわ公園の常盤湖では白鳥などの水鳥が多数いました。
 常磐湖の一部は白鳥湖と呼ばれ、その名の通りに白鳥などが多数いました。説明によると、白鳥は渡り鳥として飛来するのではなく、約350羽が“定着”して住んでいるとのことです。エサが豊富なので、季節ごとに渡りをする必要がないのでしょうか。




 一見、どれも同じ白鳥に見えますが、実は「コブハクチョウ」「オオハクチョウ」「ナキハクチョウ」「コハクチョウ」などのいろいろな種類の白鳥がいるとのことです。見たところでは、区別がつきませんでした。

 白鳥以外に黒鳥やペリカン、いろいろなカモ類が多数、水面を泳いでいます。カラスやハトも近くの岸に留まっています。白鳥に対して投げられるエサを横取りするためです。ペリカン向けには、別の場所に小さな島がつくられています。ペリカンが中心ですが、アオサギなども住んでいるようです。


 山口県宇部市則貞にある、ときわ公園は面積が約100ヘクタールもある広大な公園です。ときわ公園は、山口宇部空港のすぐ側にあるため、着陸・離陸時には常磐湖がよく見えます。山口県初の「登録記念物(名勝地関係)」に登録されているそうです。

 その中心部にある広大な常磐湖を巡る遊歩道は1周が6キロメートルもあり、多くの方が運動のために歩いたり、走ったりしていました。結構年配の方も体力維持のために歩かれていました。ここは「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に選ばれているほどです。NHK(日本放送協会)が募集した「21世紀に残したい日本の風景」では、総合公園として全国で第1位に選ばれたほどだそうです。

 ときわ公園の広大な園内には四季折々の花々が咲きます。ウメ、サクラからはじまり、ツツジ、シャクヤク、シャクナゲ、ハナショウブ、アジサイなどの名所が散りばめられています。このため「日本の都市公園100選」「日本さくら名所100選」にも選ばれているそうです。


 また、「UBEビエンナーレ」(現代日本彫刻展)として入賞作品などの作品が展示された丘もあり、自然と芸術が調和した景観が広がっていました。ときわ公園近くに住んでいる方は、自然の四季折々の花々が楽しめ、うらやましい限りです。野鳥もヒヨドリとセグロセキレイを中心に多彩な鳥が鳴いていました。いろいろな渡り鳥が来そうな楽園です。

横浜はぶらぶらとした散歩が楽しい街でした

2010年10月20日 | 旅行
 横浜市の街中は文明開化の薫りが漂っていました。
 10月19日に横浜市の日本大通り界隈に行きました。山下公園から神奈川県庁側のビル街のエリアです。ここで、明治・大正時代を感じさせるいくつかの歴史的な建物にお目にかかりました。例えば、横浜市開港記念会館は大正6年(1917年)に横浜市開港50周年記念として建てられたものです。


 当時の市民の寄付金によって建てられたものです。横浜市が明治時代に世界の窓として海外に開かれた街であることを示す記念碑的な建物の一つです。現在は公会堂として使われています。

 横浜市には“キング”“クイーン”“ジャック”との愛称で呼ばれる歴史を感じさせる建物があります。横浜市開港記念会館は“ジャック”だそうです。

 “キング”は神奈川県庁本館です。重厚な感じの建物である県庁の上に設けられた塔屋がキングと呼ばれる由縁だそうです。


 この塔屋は日本のお寺の五十の塔に似せて建てられたそうです。和洋折衷のデザインのようです。昭和5年(1930年)と比較的新しい建物ですが、威厳があり、歴史を感じさせます。

 “クイーン”は横浜税関庁舎です。やはり、上に乗っている塔が“クイーン”と呼ばれる経緯だそうです。


 神奈川県庁本館から山下公園側に立っています。キングもクイーンもジャックもイチョウ(銀杏)の街路樹に似合う、味のある建屋です。歩道にギンナンが(銀杏)が落ちていました。このほかにも、日本新聞博物館(ニュースパーク)の建物は中も味のある廊下や階段があり、重々しい雰囲気です。この建物の2階にあるレストランはお薦めです。

 神奈川県庁本館近くの花屋では、ハローウイン向けのカボチャのディスプレーなどを売っていました。なかなか味のある飾り物です。




 こうした粋なものが街角に並ぶことが、横浜が楽しい街であることを伝えています。美味しいサンドイッチを出すカフェも近くにあります。体重増を考えると、横浜市はなかなか危険な街ともいえます。日本で「アイスクリーム」という高脂肪な危険な食べ物を普及させた街です。少し先にある中華街はもっと危険な場所です。秋はなぜか、つい食べ過ぎてしまいます。