ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

レアメタルの話題はやはり人を集めました

2010年10月19日 | イノベーション
 産業技術総合研究所は第5回産総研レアメタルシンポジウムを開催しました。
 このシンポジウムを聴いて、レアアースなどの資源確保は30年ぐらいの長期間をにらんだ長期戦略が不可欠ということを学びました。日本は長期戦略を打ち立てられるか、次世代に安定供給を提供できるのかが問われているとのことでした。

 10月18日午後1時から東京都港区赤坂で開催された同シンポジウムは、最近話題を集めている「レアメタル」「レアアース」関係の講演会だけに、参加希望者が多く、すぐに満員になったそうです。主催は産総研サステナブルマテリアル研究部門です。毎年このころに開催するレアメタルシンポジウムは、9月の尖閣諸島での中国との紛争問題の影響で、中国が日本に対してレアアースの輸出を事実上止めただけに、先端製品向けのレアメタルの安定供給という点で注目をかなり集めたようです。

 サステナブルマテリアル研究部門は、経済産業省と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)から「希少金属代替プロジェクト」として、インジウム(In)、ディスプロシウム(Dy)、タングステン(W)、白金(Pt)族、セリウム(Ce)、テルビウム(Tb)とユーロピウム(Eu)などの使用量を削減する、あるいは代替する研究開発を受託しています。また、既に産総研を含めたレアメタルタスクフォースを組織し、日本のレアメタル問題の解決に当たっています。

 中国は現在、レアメタルの原料となるレアアースという鉱物資源の97%を寡占しています。最近新聞などで報じられたように、日本へのレアアース・レアメタルの輸出量を減らされると、ハードディスク・ドライブ向けなどの高性能モーター用の高性能永久磁石(ネオジム・鉄・ホウ素磁石)や液晶向けのガラスなどのハイテク製品の製造に支障を来します。この結果、欧米や韓国、台湾などのユーザーや製造業企業も困ることになります。世界的に材料・部品・製品を相互に依存する供給体制が崩れてしまいます。

 中国がレアアースなどの希土類鉱物の資源生産で、世界の約90%を握るようになった経緯は、中国が希土類鉱物を安い販売価格で輸出し始め、米国などの鉱山会社はレアアースの採掘が採算割れになり、閉山しました。この結果、中国が大部分を供給するようになったそうです。ここまでは、事業競合の結果です。さらに、中国自身も国内での自動車や電機製品の市場が拡大するなど、BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)などの新興国の市場が拡大し、資源消費量が増えていますい。携帯電話機やパソコン、液晶テレビ、自動車などの消費台数の伸びはここ数年、急伸しています。サステナブルマテリアル研究部門長の中村守さんによると、2010年には中国は携帯電話機を7万台生産する見通しです。自動車の生産量も中国は米国、日本を抜いて、世界一になっています。


 中国国内の資源消費量が急増したために、中国はレアアースに輸出税を課しレアアースの輸出価格を値上げしました。さらに、輸出数量枠を設定(「EL」と呼ぶそうです)し、輸出量を減らし始めました。中国1国にレアアースを依存するカントリーリスクの高まりです。このことは実はこれまでにも指摘され、危惧されてきましたが、そのリスクを理解する一般の方は少なかったとのことです。レアアースの埋蔵量は、中国分は約30%に過ぎないことから、他国のレアアース採掘が採算割れに追い込まれたことによって事業中止に至ったことが分かります。

 この結果、日欧米などでは打開策として採掘を再開したり、新しい鉱山を開発するという解決策が浮上しています。ゲスト講演者の石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)や三菱商事の方々は、「新鉱山開発には20年~30年かかる。採掘費用や鉱物を販売して投資額を回収するまでに、レアアースの価格が高値であり続けるかどうかが課題になる」と解説しました。価格が下落すると、採算割れになるリスクがつきまとうからです。


 今回、新鉱山を見つける探鉱会社(「ジュニアカンパニー」と呼ぶそうです)は、日本企業がないことを知りました。こうした探鉱企業は“一攫千金”(いっかくせんきん)を狙って設立されたベンチャー企業だそうです。資金調達や20年~30年間という長期間の事業運営態勢を築けるマネジメントができる人材を獲得できる国に探鉱会社が設立されています。カナダに1000~1500社、オーストラリアに300~500社、南アフリカに60社、それぞれ設立されているそうです。日本は、高度なマネジメントを担える人材と資金を供給できる組織が無いようです。残念なことです。石油天然ガス・金属鉱物資源機構などは外国の探鉱企業と提携しているとのことです。日本にベンチャー企業が発生しにくいことに関連していそうです。日本人はほどほどの安定志向なのでしょうか。

 このシンポジウムでは、既存製品に使われているレアメタルを回収する資源リサイクルの実証実験あるいは実証事業の結果報告もありました。例えば、携帯電話機からレアメタルを回収するリサイクル事業などです。日本の大手鉱山会社がリサイクル事業を検討しています。その事業採算の解析結果は、金(Au)や銀(Ag)、白金(Pt)などの貴金属回収は採算が採れるが、レアアースは採算が採れないということでした。採算割れの時には、国家が資源確保の施策として実施するかどうかということになりそうです。これも、20年~30年先の市場動向をにらんで戦略を立てることに他なりません。この長期戦略を解く人材が求められています。


 

小さな、良くできたイノベーションの仕組みに感心しました

2010年10月16日 | 汗をかく実務者
 東京工業大学大学院で開講された「ノンプロフィットマネジメントコース2010」の公開講座を拝聴しました。
 10月15日夜から東工大の大岡山キャンパスでノンプロフィットマネジメントコース2010の授業が始まりました。受講する学生に加えて、公開講座として一般の方にも公開しています。「Chenge the World」というキャッチフレーズの下に、社会起業家による社会イノベーションの実践事例を学ぶ授業です。第1回目の授業の聴講者数は約40人で、半数以上が学生の方でした。

 授業を担当するのは、渡辺孝教授です。6月4日の本ブログで紹介させていただいた芝浦工業大学大学院工学マネジメント研究科の科長・教授です。以前から東工大教授も兼務されています。渡辺さんは2009年度と2010年度に東工大大学院社会工学専攻で「国際的社会起業家養成プログラム」を実施され、社会起業家を育成されました。この時は「アジアでの社会起業家育成が中心になったため、留学生の方の参加が多かった」と伺いました。

 今年度からは「ノンプロフィットマネジメントコース2010」という名称で、社会起業家の育成を図っています。その第1回目の授業の講師は、NPO法人「育て上げ」ネット理事長の工藤啓さんです。同NPO法人のWebサイトのトップページの右下に工藤さんの顔写真が載っています。


 工藤さんは講義の中で、よくできた仕組みの小さなイノベーションを説明されました。その出来映えに感心しました。小さなイノベーションを説明する前説がやや長いのですが、以下お読みください。

 工藤さんは不登校児童やニート、引きこもりなどの人間関係がうまく築けない若者(15歳から35歳まで)の就業支援などの事業を展開している方です。工藤さんによると、厚生労働省の調査データからニートは63万人、引きこもりは70万人もいるそうです。若者が持続的に社会に参加し、経済的に自立するようにする就業支援は、日本にとっての重要な社会投資だそうです。

 日本では高齢者化と少子化が同時並行で進み、労働人口の不足が大きな社会課題になり始めています。この点で、働く若者が増えれば、日本の社会の安定につながります。逆に、若者の中に非就労者が増えて、自活できない社会人が増えると、社会不安が高まります。そして、若者の非就労者が将来、ホームレスの老人にまで進んでしまうと、仕事の仕方などを教えることが事実上できなくなり、「ホームレス対策の社会コストがかなりかかる事態に陥るだろう」と説明されます。

 ニートや引きこもりの若者は、他人とや社会との付き合い方が下手なだけなので、人との付き合い方を教えると同時に、仕事のやり方を教えることによって、経済的自立が可能になり、自分の将来に希望がもてるようになるとのことです。

 同NPO法人は受益者負担事業として、ニートや引きこもりの若者に仕事のやり方を教える「ジョブトレ」などを実施しています。1カ月当たり4万円の“月謝”で、若者に就業支援の訓練を行います。当該の若者との事前面談を経て、地元商店街から頼まれた作業・仕事を経験することで、いろいろな仕事を体験します。商店街やビルなどの清掃活動を、仕事の“ウオーミングアップ”に取り入れているそうです。さらに、スーツを着て企業に簡単なデスクワーク体験に出かける企業実習も体験します。農家から頼まれた援農も体験します。この結果、20件ぐらいの仕事をグループで継続的に体験することで、当該の若者は継続的に仕事をするスキルを会得するようです。このジョブトレを経て、就職できれば、任務終了です。就職しても、すぐに辞めないようにも支援します。

 重要な点は、受益者負担事業を有料の事業として行っていることです。NPO法人はボランティア団体ではありません。そこで働く職員・スタッフは仕事として支援事業に携わります。負担金を出すのは、若者の母親が多いそうです。現在、同事業の希望者が多く、待機していただいているとのことです。ニートや引きこもりの若者が36歳以上の中年になり、「両親がその若者を支えられなくなる前に、就業してもらいたい」と、願う母親が多いようです。父親は仕事に忙しく、自分の子供の問題に対応できないとのことです。

 これからが今回知った小さなシステムのイノベーションの本論です。工藤さんは「キフホン・プロジェクト」という仕組みを考案しました。


 本などの物販事業のWebサイトであるAmazonサイトは、中古本を販売する仕組みを持っています。長野県上田市のバリューブックスは、この中古本の仕組みを用いて、中古本販売の事業を展開しています。

 工藤さんはNPO法人が進める若者への自立・就労支援のために寄付金を求めています。受益者負担事業に応募できない貧しい親や若者本人も中にはいます。こうした若者は寄付金という善意のお金で就業支援をしたいからです。でも、「寄付金をください」とお願いしてもなかなか応じてもらえないとのことです。そこで、工藤さんは「読み終わった不要な本をNPOに寄付してください」ということならば、応じやすいと考えました。

 漫画や雑誌以外の単行本(正確にはバーコードISBNが付いている本)が5冊以上になったら、バリューブックスに電話すると、ヤマト運輸の宅配業者が当該本を集荷に来ます。寄附された単行本を受け取ったバリューブックスは、中古本としての値付けをし、その収益の中からNPO法人「育て上げ」ネットに寄付金分を渡します。

 同NPO法人は「キフホン・プロジェクト」の仕組みがあることを広報する以外は、何もしないで寄付金を受け取ることができる仕組みです。重要なことは、「キフホン・プロジェクト」が成立するように、バリューブックスとヤマト運輸と話し合って仕組みを築いたことです。よくいわれるWin-Winの関係が構築されています。こうした社会システムを組み上げ、Win-Winの関係を築くことが社会起業家の任務です。

 工藤さんは協賛企業を増やすには、「その企業にとってメリットがある仕組みを提案することが重要」といいます。そうしたWin-Winの関係の仕組みを提案することが社会イノベーションであり、社会起業家の使命になっているとのことです。単なる善意では持続的な仕組みを構築できません。持続的な社会システムを産み出す社会起業家が増えると、「地域社会の課題が解決できる」といいます。

凸版印刷の印刷博物館に行ってきました

2010年10月15日 | イノベーション
 凸版印刷が運営する印刷博物館に念願かなって行くことができました。
 東京都文京区水道にある印刷博物館に以前から一度行ってみたいと思いながら、なかなか行く機会がつくれなかった所でした。


 この博物館の存在を知ったのは、2階にあるトッパンホールに演奏を聴きに行った時でした。トッパンホールは、ほどほどの大きさの優れた演奏会場です。室内楽の演奏を何回か聴きました。

 印刷技術はコミュニケーション手段として発達し、最近は大量生産の手段として大発展しています。例えば、半導体のIC(Integrated Circuit、集積回路)の回路は印刷技術でつくられています。現在は“ナノプリンティング”という先端技術の研究開発も盛んになっています。

 印刷博物館は地下1階にありました。博物館の入り口から「プロローグ展示ゾーン」にまず入ります。ここは「ビジュアル・コミュニケーション」の発達の歴史を示している導入部です。フランスのラスコーの洞窟壁画の展示から文字や絵の発達を伝える経緯の説明から始まります。続いて、漢委奴国王印などの判子・印の歴史が説明されます。その後、お経の写経などが展示され、やっと紙幣などの木版による印刷物が登場します。ドイツでグーテンベルグの「42行聖書」が1455年ごろに登場し、印刷技術が発達し始めます。その後は、貴重な本や浮世絵、ポスターなどの印刷物の展示が並びます。最後はデジタル時代の印刷物として、CD(コンパクト・ディスク)やICカードが展示されていました。

 今回、新聞記者などが「プレス」と呼ばれる理由をやっと理解できました。印刷用に発明されたプレス機械の展示品をみたからです。木版も金属版も判型を紙に押しつけるために、プレスをします。このため、印刷業と報道業は以前は一体の事業だったからだと理解しました。

 初期のプレス機械は印刷機械としてまず発達し、現在主流の金属加工のプレス機械はその後に発達したようです。手動でネジを回すことによって、判を紙に押しつけて印刷する米国製のプレス機械が展示されていました。


 現在の“平台”と呼ばれる印刷機の原型だと思いました。これが輪転機になると、あまり面影はありません。手動によるプレス機械は、現在でも銅版画の世界で活用されていることも知りました。

 現在の判をいくつも重ねる多色刷りを高度に発達させたものの一つが日本の浮世絵です。その浮世絵制作の工程を分かりやすく展示してありました。日本の職人技が生きた量産技術です。




 このほかにも、活字のつくり方の展示が興味深かったです。鋳造法に加えて、エッチングによる活字のつくり方が分かりやすく説明されています、活字をつくる成形加工法が印刷技術を支える要素技術になっていることを痛感しました。印刷技術がプレス成形という成形加工技術を発達させ、活字をつくる成形加工技術が印刷技術を高度に発達させているという相互関係が分かりました。

 

新幹線「はやて」の車窓から田園風景を楽しみました

2010年10月14日 | イノベーション
 東北新幹線の「はやて」号に八戸駅から乗りました。
 八戸駅から東京駅まで、約3時間しかかからない点に、改めて驚きました。移動時間の大幅短縮を実現した“新幹線システム”という鉄道イノベーションを強く感じました。
  八戸市の観光案内のパンフレットは、はやては「八戸・東京間を2時間50分」と表記されていました。


 正確には、八戸を出発し、盛岡、仙台、大宮にそれぞれ停車し、東京に着く場合の最短の時間です。これしか止まらないのは、始発の「はやて2号」だけです。乗車時間は2時間46分です。このほかの「はやて」は二戸駅と上野駅に止まる場合があります。この時の乗車時間は3時間1分~4分と微妙に違います。盛岡駅で秋田新幹線「こまち」と接続するための処置時間が微妙に違うのでしょうか。

 驚いたのは、八戸駅を出て約40分で盛岡駅に、さらに1時間で仙台駅に着くことです。なんと速いことかと、感心しました。盛岡駅を出るとすぐに北上川沿いを走ります。


 北上川は、このすぐ先で、雫石川(しずくいしがわ)と合流し、下流の北上川となります。

 気がついたのは、盛岡駅も仙台駅も在来線の駅に隣接して新幹線の駅を設置したため、線路が大きく曲がることです。このため、両方の駅の手前でかなり減速します。確か、仙台駅は新幹線の線路をできるだけ直線上にしたいので、新駅を別につくる案もあったと、新聞記事で読んだ記憶があります。

 
 仙台駅を出発してすぐ見える仙台駅東口です。30年前は住宅街でした。今は、電機量販店やホテルなどが並びます。まだ街づくりの最中です。変われば変わるものです。

 八戸駅と東京駅は距離が約632キロメートルです。東京駅と新大阪駅の距離が約553キロメートルですから、新幹線「のぞみ」なみに速いといっていいような気がします。八戸駅から仙台駅までは車内はがらがらでした。仙台駅で、多数の方が乗ってきて一気に満席になりました。

 東北新幹線の良さは車窓から田園風景が楽しめることです。東海道新幹線では、静岡県のお茶畑とか、浜名湖の風景とか、岐阜県関ヶ原付近から京都駅までの田園風景程度しか、のどかな風景の車窓は楽しめません。これに対して、八戸駅から関東地方に入る那須高原までは、主要な駅近く以外は田園風景が広がります。日本の米どころが次々と出てきます。日本が瑞穂の国であり、米を主食にする文化を持つことを感じさせました。

 岩手県の一ノ関駅の前後や宮城県のくりこま高原駅の前後はよく区画整理された大規模な田畑が続きます。長方形によく区切られた田畑です。


 これに対して、福島県郡山駅を過ぎると、地形に従った田畑が多くなりました。長い間かかってつくられたパズル的な模様です。

 当然、ほとんどが稲刈りを終えていました。稲刈り後の田んぼは、土が見えているものが多いのですが、時々、青々した新芽のようなものが生えた緑色の田んぼ(?)があります。何が生えてきたのか、分かりませんでした。裏作の麦とは思えないのですが、判断する自信がありません。日本の原風景ともいえる、里山近く田畑が楽しめる約3時間の旅でした。飛行機では決して楽しめない車窓風景でした。

十和田湖で遊覧船に初めて乗りました

2010年10月13日 | 旅行
 十和田湖の遊覧船は、子の口から休屋(やすみや)まで、約50分かけて移動します。
 十和田湖には何回か来たことがありましたが、これまでは遊覧船に乗る機会がなく、初めての体験でした。というのも、遊覧船は1回当たり1400円とまあまあの運賃で、しかも片道移動なのです。往復すると、運賃が2倍の2800円になり、しかも時間も2時間かかります。ある程度、観光時間に余裕がないと、遊覧船を楽しめません(休屋からは周遊の遊覧船も出ているそうです)。

 これまでは十和田湖はなぜか秋田県側の湖岸を多く走っていました。観光面では、乙女の像で有名な休屋か、奥入瀬渓谷の入り口の子の口が中心のようです。遊覧船はこの2カ所を結びます。


 子の口から出港した遊覧船は、十和田湖の東湖、中湖、西湖と、岸沿いに進みます。御倉半島から中山半島への岸沿いをなぞって進みます。


 十和田湖は標高401メートルにある二重カルデラ湖だそうです。湖の周囲は約46.2キロメートルあるそうです。湖は青森県と秋田県の県境で二分しています。数年前には、秋田県弘前側の山道から十和田湖の湖岸に出て、子の口まで走り、奥入瀬渓流を下りました。湖岸沿いの道路は半島の形をなぞるので、くねくねしていて意外と時間がかかりました。以前に、御鼻部山の展望台から、紅葉の季節に湖面を進む遊覧船を見ました。この時に、機会があれば、一度乗ってみたいと思いました。こうした経緯があったため、今回、乗ってみました。

 当然、10月中旬は紅葉には早い季節です。でも、十和田湖の周囲の山々は少し色づき始めていました。ハゼの葉が赤くなり始め、少数派ですが部分的に黄色に色づいた広葉樹もありました。湖岸の周囲はブナ林だそうです。紅葉の先駆けが部分的に始まっている感じでした。




 遊覧船が着いた休屋(秋田県小坂町)は、夏の観光シーズンが終わったためか、活気があまりありませんでした。休んでいるレストラン・お土産店もあります(休業なのか、廃業なのか、よく分かりませんでした)。奥入瀬渓谷を下っていく八戸行きの観光バスよりも、青森方面に行く観光バスの方が数は多かったです。でも、不景気のためか、休屋全体に活気がない感じが漂い、活気のある観光シーズンが過ぎた観光地という感じでした。紅葉の季節に活気を取り戻すのか、興味があります。それとも、不景気の影響なのでしょうか。

 十和田湖までの道路網を調べると、東北自動車道の十和田インターチェンジか小坂インターチェンジ側からの方が、八戸自動車道の八戸インターチェンジからよりも時間がかかりません。この結果、従来のように青森県十和田市側から十和田湖に向かうよりも、秋田県小坂町側からアプローチした方が利便性が高くなりそうだ。観光面で青森県と秋田県が競合する場面も出てきそうと感じています。一方、新幹線は八戸市から青森市まで12月に伸びます。鉄道では青森県の八戸駅か青森駅から、高速道路では秋田県の小坂町からが便利になります。交通網の変化がどう響くか、興味は尽きません。高速道路利用料の休日1000円の施策も影響しそうです。