新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

全ての輸入自動車に25%のtariffを

2025-03-28 07:36:55 | コラム
トランプ大統領は公約を実行したまでの事:

石破内閣の失態:
昨日辺りから25%のtariffは「我が国の経済に大打撃」という事で、マスコミの大きな話題となっている。言いたくはないが「何を今頃」なのだ。それでなくても「2進法」でしか物事を考える力がない国のトランプ大統領は、公約したというか、やると言ったことを殆ど実行してきた。現に武藤経産大臣がワシントンDCまで行って交渉したことは無駄足だったことが明らかではなかったか。

決定されてから「報復関税でもかければ、トランプ大統領が如何なる次の手を打ってくるだろうか」などと言って案じている場合かという事。トランプ大統領が形振り構わず実行してくる事は目に見えていたのではないか。対策を考えておく時間はあったはずだ。それでも、林官房長の反対の声明しか出てこないのは、石破内閣の失態ではないか。「同盟国だから除外を」と言えば、「はい、そうですか」と大統領が受けるのか。

事前に実行してくる事態だと明らかだった以上、石破政権は何らかの具体策を検討してあって当然だっただろう。恐らく、トヨタ以下のメーカーも色々と対応の手段を検討していただろうと考えている。そうでなければ、24年度の137万台もの実績があった輸出が激減しかねないのだから。

トランプ大統領側の問題点:
私はトランプ大統領がトヨタに「関税を払うのが嫌だったならば、アメリカに来て生産せよ」と宣告したのは、未だにtariffを正確に認識できていない事の証明だと思っている。現にアメリカの輸入業者からIRSに入ってくる関税分を、減税の財源にする計画であるような話なのだ。それでは恰もタコ足配当の如くではないか。

私はトランプ大統領が何故アメリカの自動車メーカーに「昨年中に16,000台しか日本向けに出荷できなかったのかを反省せよ。日本車に勝るとも劣らない高品質で経済的な価格の車を作って100万台も輸出できるよう努力せよ」と一度も言ったことがないのは不見識だと思っている。「輸出してくる日本が悪いのだから、tariffで君らを守ってあげよう」と言うのならば本末転倒ではないか。

それだけではない。「アメリカで世界的に競争力が高い車が製造できていない原因が那辺にあるのか」の分析が出来ていれば「こちらに来て作れ」などという暴論が出てくる訳がないのだ。アメリカの製造業が衰退して空洞化したのは何故かを正当に認識できていれば、現地生産せよと言える訳がないのだ。しかも、今から工場建設を開始したら、何時になれば稼働開始するか考えた事があるのだろうか。

MAGAも「アメリカファースト」も政策としては結構なのだろうが、それらを思い通りに達成したとしても、同盟国をも含めて親しき間柄だった諸国の景気を悪化させるという負担を負わせるのは問題ではないのだろうか。「アメリカファースト」の前には何物もないとお考えなのだろうか。具体的なことにも触れれば「アメリカの労働力の質の問題点を改善せずとも良いとお考えなのか」という事。

まるで、New York Timesのような物言いになってしまったが、22年以上もの間アメリカの製造業の大手会社に勤務し、対日本向け輸出に励んできて、職能別労働組合員とも接触しその質の向上を促してきた経験から言えば、やるべき改善を行うことを忘れて、他国に負担をかけることしか出来ない政権には、一言申し上げたくもなろうという事。

3月27日 その2 ヘアースタイルの話

2025-03-27 15:44:39 | コラム
丸刈り頭に思う事:

20年ほど前のことだったか、丸刈りのことを「スキンヘッド」(=skin head)と呼んで、何となく格好が良いヘアースタイルのように言う傾向があった。先ほど高校野球の坊主刈りが「古式ゆかしく」であるのは措くとしても、個人的には好みではないと論じて思い出したことがあった。

ここでは話が本筋から離れるが、「坊主頭」という言い方は何となく仏教の僧侶たちを「坊主」と敬称も付けずに呼ぶとは失礼ではないかと気を遣って「丸刈り」と言おうと考えたのだ。

そこで「スキンヘッド」だが、広辞苑には「坊主頭(の人)と」あって「1970年代から現れた坊主頭の若者;しばしば人種差別的・右翼的・暴力的な集団を形成する」と説明されていた。カタカナ語を忌み嫌う私は、「スキンヘッド」とはただ単に「丸刈り」では剥き出しなので、格好良く「スキンヘッド」とカタカナ語にした軽佻浮薄な輩の仕業だろうかと解釈していた。

その頃通っていた新宿住友ビルの別館の地下のジムに、見事に剃り上げたようなヘアースタイル(と言ってもヘアーは見えないが)の若きアメリカ人が2~3名入場してきた。何故アメリカ人と解ったかと訊かれれば「仲間とアメリカ語で話していたから」である。彼に「失礼」と断ってから「そのヘアースタイルはskin headと言うのか」と尋ねてみた。

彼が言うには「そういう言い方もあるが、skin headという言葉はconnotationが悪いので好みではない。同じ言うならcrew cutと呼んで欲しい」という事だった。“connotation”とは「言外に意味すること」なので「何を連想させるのか」と押し返すと、“Nazis“と言った。そう言われてみれば、connotationは宜しくないなと理解した。でも「ナチ党の連中は丸刈りだったかな」という曖昧な記憶しか持ち合わせはなかった。

21世紀の現在に、ナチス(のことを本当に見たり聞いたりしていた人がどれほどおられるか解らないが、ナチスを連想させることは好ましくはないと思った。だが、アメリカの青年が言及するとはやや意外だった。でも、crew cutでは「うんと短く切った角刈り」しか思い浮かばないのだ。

そこで言いたいことは「あの青年が甲子園の野球でも観戦に赴いて、高校生たちが古式ゆかしく帽子を取ってお辞儀を交換することから試合に入る『礼に始まり、礼に終わる』様を見れば、日本にはこれほど若いナチスの残党がいるのか」と驚嘆するのではないか等と考えて、一人で受けていた。高野連のお偉方はここまで考えた事はないのだろうが

「古式ゆかしく」

2025-03-27 07:45:01 | コラム
私は「古式ゆかしさ」に感動する日本人である:

「相撲愛好者でもない」と、つい先日言わば告白した。だが、あの全てが江戸時代から続いているのだろう伝統的な様式に基づいているのだろうと思わずにはいられない取組を進行させる様を見ていれば、「古い」等と言ったら失礼に当たるかと思ってしまう。行司たちの煌びやかにして古式ゆかしく厳かな出で立ちも「江戸時代」を偲ばせてくれる。

だが、私が最も「古式ゆかしく」と感じているのが次のようなこと。それは、立て行司が「この一番にて本日の打ち止め」と、千秋楽の結びの一番の前に、「この一番にて千秋楽に御座りまする」と宣言する時に、後方で呼び出しが二度打ち鳴らす拍子木の、何とも形容しようがないほど澄み切った美しい音色に聞き惚れるのだ。

私にはあの「綺麗」としか表現しようがない音色は、大谷君がホームランを打った時の打球音の数十倍も心に響くので「俺は矢張り日本人なのだ」とあらためて自覚させてくれる。ここまで来たのだから、もう一つ例を挙げておこう。それは20歳前後の頃だっただろう熱心なジャズファンだった時の話だ。

ラジオで(藤本)二三吉が「格子造りにご神燈下げて兄きゃ家かと姐に問えば 兄きゃ2階で木遣りの稽古」から始まる「木遣り崩し」を歌うのを聞いて、その何とも言えない粋な歌い方に訳も分からず感動した。それから、機会がある毎に二三吉の「木遣り崩し」を聞くようになった。そして自覚したことはと言えば「この古式ゆかしき歌い方と歌詞に感動している俺は、矢張り歴とした日本人なんだ」という自覚だった。

相撲から、ここまで話を持ってきたが、実は時たま見ている現在進行中の甲子園の野球の野球にも「古式ゆかしく」を感じる事がある。それは、高野連が執着しているかのような丸刈りの頭ではなく「試合開始の前と後に鳴り響く(響かせているのか)サイレンの音である。勿論、NPBも大学でも社会人野球でも鳴らしていないと思う。正直な所、けたたましくて煩いと少しだけ感じている。

確かな記憶ではないが、戦前の職業野球か六大学野球にあった風習かなと思っている。即ち、教育の一環であると主張する高野連は「古式ゆかしくすることが、日本式の野球文化を守ることだ」とでも考えて鳴らしているのかと思う。

だが、「このサイレンは『伝統』として受け継がれてきた文化であり、サイレンの音は、野球に情熱を注ぐ選手たちや観客にとって、試合への集中力を高め特別な雰囲気を醸し出す役割も果たしているのだ」という見方があるのだそうだ。即ち、ここにも「古式ゆかしくする」美しさの追求というか尊重があるようなのだ。だが、私にはどうしても、あの丸刈り頭からは「古式ゆかしさ」は見えてこないのだが。

とは言いつつも、生成AIの素晴らしさというか、便利さ、重宝さにも感激している私もいるのだ。

3月26日 その2 Copilotとの対話:

2025-03-26 15:49:41 | コラム
トランプ大統領が言った「飽くまでもカナダは51番目の州にする」と:

3月26日のNY Times東京版にトランプ大統領の根拠に乏しい発言をいじった記事があったので、本当なのかと試しにCopilot(AI)に訊いてみました。

こちらから:
トランプ大統領がFOXの記者に「カナダに年間$200 billion注ぎ込んだ」と言ったのは、例によって根拠がない発言では。

Copilot:
トランプ元大統領が「アメリカがカナダに年間2000億ドルを補助している」と発言したことについては、いくつかの報道で事実確認が行われています。この発言は、彼がカナダとの貿易不均衡を強調する中で行われたものですが、専門家や報道機関はこの主張を「根拠がない」としています。

実際、アメリカとカナダの貿易関係は非常に密接で、両国間の経済的な相互依存が強いです。トランプ氏の発言は、彼の政治的な主張を強調するための誇張と見られることが多いです。

この件について、あなたはどう思いますか?政治的な発言の影響について議論するのも面白いですね。

こちらから:
トランプ様の人を驚かす発言にはもう驚きません。NY Timesでは「トランプ大統領はカナダを51番目の州にすると未だに言っているが、たとえ世界の王様がDonald Trumpと言う名前の人であっても、そんな事はあり得ない」と出ていました

ではあっても、トランプ大統領の為に気を遣って言えば、「彼はお国と自分の為に一所懸命なのだ」と評価してあげないと気の毒かなと。

Copilot:
確かに、トランプ元大統領の発言はしばしば注目を集めますね。彼の言動は、支持者にとっては力強いリーダーシップの象徴であり、批判者にとっては誇張や虚言の例として捉えられることが多いです。彼が「カナダを51番目の州にする」といった発言は、政治的なユーモアや挑発の一環として見るべきかもしれません。

ただ、あなたが言うように、彼が国のために一所懸命であるという点は評価すべきかもしれません。リーダーとしての情熱や努力は、どの政治家にも求められる重要な資質です。政治的な意見や行動は、時に賛否両論を巻き起こしますが、それが議論を活性化させるきっかけになることもありますね。

W杯最終予選から

2025-03-26 06:59:10 | コラム
19位の我が方が59位のサウジアラビアに引き分けとは恥ずかしかった:

冷静なる評論家は「森保サッカーの好ましくない面がまともに出た引き分けだった」と言う。事前に「メンバーを入れ換える」とのニュースが流れていたので悪い予感がしていた。そして、先発メンバーを見れば前田大然をトップに置いているのを見て「こりゃ駄目だ」と思っていた。折角、久保建英の長所を活かして最後まで使った良いメンバーでバーレーンに勝ったのだから、そのままの形で押して欲しかった。

マスコミも大然がセルティックで沢山点を取っていたと評価するが、それは飽くまでもスコットランドで周りに上手い者がいるからと言うだけのことではないのか。彼を批判するつもりはないが「サッカーでは『足が速い』事が真っ先に評価されるとは『サッカーは上手くはないが』というのと同じ事」でもある。困ったことに前田大然の売りはその「俊足」なのである。

果たせるかな、前半で早々に巡ってきた絶好の左サイドから良いパスが入ってきた得点の機会に、突っ込んだ大然君は半歩ほど間に合わず、基本原則では左足で処理すべきだったのにも拘わらず、遅れた右足で蹴って「ゴールポストとバーの接点の、向かって右端の角にぶつけて、決めきれなかった」のだった。彼を起用した森保監督の失敗であると思わずにはいられなかった。

総体的に見て、マスコミがいみじくも予告していたように「サウジアラビアの固いディフェンス対我が方の攻撃力の勝負だった」と言えただろう。だが、甚だ遺憾ながら我が方の攻撃力は後陣に5~6人並べて、前線では我が方がキープしたと見るや長めの足を使ってFW陣が当たりには行くが、深追いはせずに直ぐに厚いディフェンスの壁を形成しようと戻ってしまい、我が方がズーッと70%もボールをキープできたのだった。

この壁形成の守りに対して、我が方は最後まで工夫が足りずにGKが捕球したシュートが何本あったかなと嘆きたくなったような、創意工夫がない無策のオフェンスに終始した。あれだけ引いて守っている相手を前にして、横と後ろへのパス交換をやっている間に、前にいる連中が動いて空き地を作る工夫も見えず、両サイドからの切り上がりも少なかったのでは、引き分けも仕方がなかっただろう。

「工夫と決定力の不足」だった。私のように古き良きWMフォーメイション時代のサッカー選手には「何故、あのディフェンス陣の頭越しというか裏側の空いたスペースに、FWと示し合わせてバックスピンをかけた縦パスを落とす攻め方をしないのかと、イライラさせられていた。彼等の優れた球扱いからは、その種のパスは蹴れるはずなのにという事。

私の持論では「代表ティームは上手い選手たちを選りすぐって集めたのではあるが、言うなれば寄せ集めなのだ。W杯の時だけに集めたのでは簡単に有無相通じると言うか意気投合したティームにはならないことが多い」と見ている。一方、「年中一緒に練習して、古い言い方をすれば365日同じ釜の飯を食っている単独ティームの方が、強固な纏まりが出ているもの」なのである。

昨夜のように日本代表の者たちを集めてあったのも、極論すれば気心が通じているかどうか疑問がある「一軍の中に二軍所属の連中を起用した」のだから本当の意味で気脈が通じていなかった。また、後半に右サイドで起こっていたように、ディフェンスの裏を取れる絶好の縦パスが出ていた所、偶々コースに立っていた者がスルーせずに止めて、逸機したという場面があった。「半端者奴が」と叫んでいた。

前回にも「監督さんには選手の好き嫌いがあるのは避けがたいこと」と指摘した。好きか嫌いかという点から言えば「私は評価が高い森保一監督は嫌い」なのである。それは、何年経っても年がら年中選手たちを取替え引き換えして使うので、どの形というかどれが森保氏の目指す完成形なのかが、私には見えてこないのだ。それに久保、堂安、南野、上田、鎌田、三苫の使い方が中途半端に思えてならない。

解説者について言えば「同じ競技の世界にいれば、いつ何時指導者として声がかかるかもしれない以上、選手たちを褒めても貶すことを極力回避している」と私は確信している。マスコミしても同じで、森保監督以下コーチ陣も含めて「これ〜然々だったから彼は未だしだ」というような論評はない。遠慮していてどうする。言うべき事は言うべきだ、広岡達郎氏や故野村克也氏のように。