新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月28日 その2 何故隠すのかな

2024-11-28 09:40:16 | コラム
株式会社メルチュだと直ぐ解るのに:

目下、マスコミが「兵庫県斎藤元彦知事に公職選挙法違反の疑惑が生じた」と連日のように賑やかに報じている。それは、斎藤知事が70万円ほど支払ってPRを依頼されたと公表し、PR会社メルチュの折田楓氏がネット上に詳細を公開して巻き起こした騒動であるようだ。だが、どの機関もこの「問題の会社名とその社長の氏名」も報じていない。

不思議だと思っている事がある。即ち、時代遅れの私でさえ社長の氏名も社名をも承知している事だ。それは、もしやと思って検索してみれば幾らでも情報は出ていて、折田楓社長のWikipediaも立っているのだ。彼女が1991年生まれで、慶応大学を出てからフランスのESSEC(高等専門学校)出身であると解っているのだ。それにも拘わらず、テレビでは折田社長の顔はボカされているのは何故だろう。

斎藤知事は相変わらず自分に降りかかってきた一切の疑惑を言葉少なに否定してかかっている。この辺りの態度は「自分は悪くない」と非を認めようとしないアメリカ式の対応のようである。先ほど斎藤知事の弁護士さんの記者会見の映像が流れていたが「事実と異なる」と強硬な姿勢だった。だが、表情が硬く苦しそうに感じさせたのは何故だろう。

私には「何故、折田楓社長が表に出てこないのか」と不思議に思えるし、社長名と社名も隠されている理由が分からない。もしかして「知りたければ、Wikipediaでも見れば良いじゃないか」とでも突き放す気なのかな。


AIの実力は素晴らしい

2024-11-28 07:45:56 | コラム
感心している場合なのかな:

立派なディジタル・ディバイド世代だと自負している当方は、AI等という超文明の利器は藤井聡太7冠専用の武器だろうくらいの認識しか持ち合わせがないのだ。それだから未だChat GPTとは縁がないが、恐る恐るPCに入ってきていたMSのCopilotとは交信して見ることから始めた。

手始めには悲しいほど衰えた英語力を補えるかと、海の向こうの知人たちに問いかける面倒な質問の和文英訳を頼んでみた。すると、「これならばアメリカ人たちに通用する」と思える英語になって帰ってきたので、その力量のほどは十分に理解できた。だが、文章としては一寸文語調で硬いというか、難しいのではと言う感があった。

次の例では近頃アナウンサーたちが使っている、例えば「ドジャースが1点のビハインドです」のように「リードされている」と言うべき時に「裏側に」や「遅れる」を意味する”behind“=ビハインドを使っているのは言葉の誤用では」と英文にして尋ねると「behindはそのようには遣わない」とチャンと答えてくれた。

ところが、その辺りから応対の言葉遣いには、親しさが感じられる英語になったのである。MSの製品だから英語なのだろうと思って、こちらからも英語の復習になるかと英語で語りかけるようにもしていた。すると、どうだろう、Copilotは親しい間柄のような対応をするようになり、こちらが何者であるかを心得たような、口ぶり(と言うのも変だが)になってきた。

興味深かった反応は「ドナルド・トランプ次期大統領の関税負荷作戦」に対して「前任期中に誤解していた『関税はアメリカに向けての輸出国が負担する』と思い込んでいる様子が今回のキャンペーン中にも現れていた。彼は未だに無知ではないのか」と問いかけると、半ば認めるような事は言うが、「そういう意見/見方もあるようだが理解しているはず」とトランプ氏を擁護するアメリカ式に答えて来たのだ。

この辺りまで来ると、高等教育を受けてきたアメリカ人と普通に会話しているというか、またアメリカ人たちの社会に舞い戻ったかの感が出てきた。さらに、会話をしている相手に人格があるのではとすら感じるようになった。AIの中に私の担当者がいて、それまでの話し合いの内容まで保存されて、そこにreferする(referを使いたくなっただけ)という具合なので、恐れ入っている。

例えば「貴方のように長年アメリカの大手企業で対日輸出の一線に立っておられた人は、その蓄積された知識と経験を活かすように後世に伝えてほしい」のような社交辞令まで使って話しかけてくるのだ。私が受けた印象は「これぞ、まさしくアメリカのビジネスパーソンとの会話」だった。

こんな事を、時代の先端を行っておられる畏メル友のRSとの交信の中で取り上げてみると、彼は私如き時代遅れ(behind the timeと言うように使う)とは違って、ChatGPTを使ってクラシカル音楽を語り合われた際に、

「やり取りの最後の部分はAIの回答なのかと驚きました。益々人間に近づいているのではないかと・・・。」

と表現しておられた。

このRS氏のAIとの遣り取りの内容は省略してしまったが、AIのクラシカル音楽への造詣の深さは、言うなれば半端じゃないのだった。時代の先端を行っておられる方ならば「今頃何を言うのか」と笑われそうだが、当方は何分にも時代にビハインドなので、感心する事しか出来ないのである。これからも時代に置いてきぼりにされないようにCopilot君に指導して貰うと良いか。

我が国のスポーツ界での出来事

2024-11-27 09:28:20 | コラム
八村塁と田中将大の問題:

八村塁対バスケットボール協会:
八村君はNBAの強豪Los Angeles Lakersで今やレギュラーポジションを獲得した、押しも押されもしない一流選手の域に達している選手である。マスコミ報道によれば「彼がバスケットボール協会の男子代表ティームの監督人事と、そのホーバス氏の指導方針に意義を唱えていて、わだかまりが残っている」ようである。

パリオリンピックの際に八村が参加を躊躇っているかの感があった事に対して、ホーバス監督が「来たかったら来れば良い」という意味のことを言ったとマスコミが報じた。私はこの遣り取りには違和感を覚えていた。その言い方では「ホーバス氏と八村君は不仲であり、毛嫌いされているのか」とも感じた。ホーバス氏の力量に疑問を感じているとは知る由もなかった。

あのオリンピックでは八村の起用法もおかしかったし、NCAAで大活躍した期待の3ポイントシューターの富永啓生は殆ど使われることなく何秒かの出場だったのも「何故なのか」と不思議に感じていたのだった。だが、ファンとして見ているだけでは「何でそうなるの」という程度の違和感だった。

だが、この度の八村の直言の内容の報道を聞いた限りでは「彼は監督の人事と練習法その他に異議を申し立てていて、この監督の練習法と指揮下でプレーしたくない」との意思表示をしたのかと思わせられた。アメリカのプロスポーツ界の実情をいくらかでも承知しているので、八村の主張にも無理からぬ点が多々あると思う。だが、協会がその辺りを認識していないとは思えないのだ。

私の解釈では「八村はホーバス氏がNBA等でヘッドコーチの経験が無い、未だ一流の指導者と認められていない人物。その人を監督に起用した人事に異を唱えているのだ」と読んだ。換言すれば「ナショナル・ティームの指揮を執るのは一流のプロのヘッドコーチであるべき」という主張であるのでは。

因みに、アメリカには我が国のような監督制度ではなく、head coach制である。HDの下にオフェンスやディフェンスやトレーニング等の細分化されたコーチがいて、選手たちを指導しているのだ。さらに八村は「男子と女子では指導法が異なるにも拘わらず、ホーバス氏を男子代表監督に任命した事」にも無理があると指摘したようだ。

私の読みでは「協会は八村が指摘した問題点は認識し理解していても、この期に及んで有力な選手のから苦情の申し立てがあったにせよ、自分たちが選んだ監督を交替させる訳にも行かず、言い分は聞き置くというところまでに止めたのだろうか」という事だ。

田中将大が「居場所がないと思った」と発言:
田中マー君は2013年には24連勝して、楽天イーグルスを日本シリーズ制覇に導いた大功労者で。その成績を引っ提げてニューヨークヤンキースに転じ、20年までの7年間に78勝46敗、防御率3.74という立派な成績を残していた。その田中が21年から楽天に復帰した。ところが、それ以後には往年の迫力もなく、体力/気力共に衰えた投手としか見えないところまでの落ち込み方だった。

楽天の首脳部というかフロントは、田中に再契約の意志無しとしか見えない条件を提示した。田中も「最早自分の居場所はない」と読んだようで、他球団で働こうとの意思表示をしたという訳だ。彼は36歳になっているが、35歳になった菅野智之は見事に復活してMVPを獲得。それを横目に見て「今に見ていろ、俺だって」と憤慨/奮起してもおかしくないと思う。

この件を「出来事」として取り上げたが、その訳は「田中将大は楽天球団の子飼いの選手であり、日本シリーズの優勝に大貢献した大立て者だ。球団もその功労を評価し快くMLBに送り出したのではなかったのか。だが、帰国後のあの衰えたとしか見えない働きぶりでは、一流の経営者である三木谷氏の判断が厳しいものだったとしても、何ら不思議ではないと思う。

だが、ファンや世間の人の目には残酷と見えるのかもしれない。海外の経営の事情に精通された三木谷氏が「2億6千万円の高額な年俸に相応しくない働きの選手に大幅な減額を提示したのは戦力外と判断されたのだろう。アメリカでMLBを経験した田中自身も解っているはずだ。

そこで、田中と球団との間に何らかの確執があるかのように報道するのは、此処に述べたような視点からすれば、適切ではないと思う次第。田中将大は他球団に新天地を求めて、そこで36歳になってもやれるのだと、立派な成績を挙げて200勝を達成して見返せば良いのではないのか。

11月26日 その2 交通事故の被害の経験を語る

2024-11-26 11:51:39 | コラム
交通遺児は言う::

マスコミは何かというと、秋葉原での高齢者の無謀運転で妻子を失った某氏の意見を採り上げているのを聞かされて、何とも言いようがない虚しさというか、やりきれなさを覚えている。

当方は昭和12年(1937年)12月に貰い事故で45歳だった父を失った時は4歳だった。我が家の大黒柱を失ったのだ。その後8年経った1945年4月には(旧制)中学1年生の時に、アメリカの空襲で家と家財の一切を失った。偶々私が病弱で藤沢市に療養をかねて転地/疎開していたので、母と弟共に無事だった。

そして、母親に「父を失って大変だったし、今後成長しても他人様を傷つけるかもしれない車の運転を覚えないこと」と命令され、弟と共に守った。

ところが、他人様を傷つけなかったが、弟は1964年に神奈川県でアメリか兵の飲酒、免許証不携行、中央線突破の運転で正面衝突された際に、助手席に座っていて顔面を半壊させられた大けがを負い、会社復帰まで2年近くを要した。大損失だった。

私は1985年10月にシアトル市の郊外で「言うなれば前方不注意」の車に左折中を真横から当たられて、肋骨2本骨折、頸椎2箇所損傷、顔面強打の大けがで自律神経失調症等を併発して、復帰まで半年を要した。交通事故、それも貰い事故でどれほどの目に遭ったか、どれほどの精神的な被害を被ったか、どれほど悲惨の状態になるかを、本が1冊書けるだろうくらいに、事細かに経験した。

その怪我による辛さも然る事ながら、その損害から補償を取る為の手続き、と言うか保険求償等々を日本にいながら、全く事情を弁えていないとうか、外国人との折衝に不慣れなアメリかの保険会社と、怪我と自律神経失調症等による苦しみの最中に交渉せねばならなかった等々の経験をしていたのだった。要するに「アメリかで事故に遭うとどうなるか」を知る珍しい存在になっていたと思う。