新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我九十一歳にして矩を踰えず

2024-12-31 07:22:30 | コラム
2024年を振り返れば:

国立国際医療研究センター病院の循環器内科でもう13年も診て頂いている主治医の医長先生から「生存(生活)し続けていく為には、日頃の行動範囲を逸脱しないように」と、何回指示されたことだったろうか。2024年も何とかしてその教えを守るようにしようと努めてきた1年だった。だが、齢91歳にも達すれば「矩を踰えるか」などと思うほどの度胸等が残っていなかったのが実情だったと思う。

それほど消極的では面白くも楽しくもないのではないかと言われそうだが、現実にはそんな事はなかった。朝は4時前後には起きて朝食の用意を整え、新聞を読み終え、朝食を済ましてから、このように6時前後にはブログの毎日更新を始めているのだから。さらに、月水金には9時19分に我が家の前を出ていくバスで高田馬場駅前のジムに通うのだ。結構多忙なのだ。

「何だ。大したことをやっている訳じゃないじゃないか」と笑われるかもしれない。だが、毎日のように「次のブログにはどのような話題を持ち出そうかと色々と無い知恵を絞り、記憶を呼び起こすのもまた楽しからずや」なのである。時には、このPCの前に座って「はて、何しようと考えて来たのか」と、材料を忘れてしまっていたこともある。

ジムではストレッチ、1周100mのインドアトラックをその日の調子に対応して70~80秒の範囲内で3~4回周り、マッサージチェアに15~20分かかり、シャワーで浴びて少しは汚れていただろう体を綺麗にしてから、やや大型のジェットバスに10分以内浸かって終わりにする。忘れてはならない事があった。それはサロンでThe New York Timesの見出しだけを音読すること。これだけでも勉強になる。

2015年に3度目の心筋梗塞から立ち直れた後は「心臓に一気に負担をかけるマシンは使わないように」との主治医の指示を守っているので、ウエイトトレーニングは一切やらない。もう、体を虐めるような運動をする時はとうの昔に終わっているのだから。

午後は外で昼食の日もあるが、原則として室内にいてシーズン中はスポーツの中継を見て楽しむなどの娯楽で過ごしている。これ以外には主治医が勧められた「湯治」には昨年の10月以降、毎月のように熱海か湯河原の経済的な価格で泊まれる温泉のホテルに通っている。生涯でこれほど温泉に入った事はなかったが、温泉は血行も良くなるし、衰えた体力の維持には大いに効果があるようだ。

有り難いことがある。それは、92歳に達してしまったこの私と交流して下さる優れた学識経験者の先生方がおられることだ。優れた方々とお目にかかれるか交信して新たな知識を習得できることこそが、当方の古物化した電池の非常に有効な充電になると認識している。感謝また感謝である。

アメリカの元の上司や仲間、友人知己と交信していることで「アメリカの変化の状況」を誰よりも早く的確に知ることを可能にしてくれているのも有り難い。アメリカの知識階級の人たちが語る現状と、マスコミ報道の間には常に相違する点が多々あるので、YM氏やSM氏との情報交換が貴重なのだ。

12月30日 その2 学校制度変換期の回顧

2024-12-30 09:59:36 | コラム
「キュウセイ中学校」って何の事ですか:

私は回顧談の中で屡々「旧制中学校」という表現を使うのだが、最早現代の人たちにはその「旧制」を理解して貰えず、「キュウセイ中学って何の事ですか」と尋ねられてしまうのだ。答えに窮してしまうと言うよりも、長い説明をしなければならない話なので弱い。その説明の一部になるのが、先日取り上げた昭和23年3月の経験談である。再度取り上げておくと、

>引用開始
あの昭和23年3月のあの日、突然湘南中学3年生全員が講堂に集められたので何事かと思えば、卒業証書が配られて「全員が本日を以て県立湘南高等学校併立湘南中学校を卒業する」と校長先生が宣告。呆気にとられました「何だ。これは」と。4月からは湘南高校1年生となるとも知らされました。文字通り「狐につままれたよう」な感。

ところが、栄えある高等学校の1年生になって渡された教科書は「中学3年に逆戻りかよ」と皆で憤ったほど程度が低くて易しいもの。今思えば「GHQの日本の子供を骨抜きにしてしまえ(アメリカ並みの程度にして)という作戦だった」のでしょう。当時の湘南中学には1年生で微分積分をこなしていた奴がいたくらいですから、怒る訳です。英語だって酷いものでした。尤も、勉強が楽になったと余裕を示す連中もいましたが。
<引用終わる

なのだが、ここまででは説明不足の事態が生じていた。それは、我々は(確か)先生方から「何れ学校制度が変更になるので、県立の湘南中学は我々の1期下までで新規の入学はない」と知らされていたようだった。そして、1年下までで募集が終わり、新制の湘南高校になるまでは1年下の人たちは気の毒にも3年間は最下級生の儘だった。

その結果で、我々のサッカー部に入ってきた下級生たちは、3年間(私が嫌いな言葉の)後輩が入ってこなかったのだ。その意味は1年生が我々から引き継いだ練習前の諸々の課題である「ゴールのネット張り」、「ボールの紐をほどいて?チューブを取り出して洗ってからまた入れて空気入れで空気を入れて、チューブを中に入れて口を紐で締める」、「弱っているボールの皮に油を塗って綺麗に手入れする」、「パンクしていれば糊で貼って塞ぐ」等々の雑務を全部引き受けるのだった。

しかも、23年の国体の予選を圧倒的に勝ち上がっていき、福岡にも派遣されたのは3年生から1年生までで、中学3年生は除外されてしまった。即ち、25年の4月になって漸く待望の下級生が出来たという事。当時はネットを張ると言っても、現在のような形ではなく、使い込んで破れてしまった穴だらけのネットを四角いバーの裏側に打ち込んである金具に、飛び上がってかけるという作業。現在では想像も出来ないだろう事態だ。

他の学校のことなど全く気にかけている余裕もなかったが、我が校では我々が3年生になって初めて新制中学校出身者が入学してきたのだ。しかも、他の県立高校の事情は知らないが、男子校だった湘南高校はこの新入生から男女共学に変わり、勇敢なる女子が何名か入ってきた。そこで3年生の軟派師たちが騒ぎ立てた。だが、2年から上は男子校の儘だった。

恐らく、男女共学(coeducation)が当たり前のアメリカから進駐軍に促されたのだろう。今は昔の物語だ。

我が国の報道機関を信じていて良いのか

2024-12-30 08:02:10 | コラム
「裏金」として扱うのは付和雷同ではないか:

彼等、即ちテレビも新聞も朝日新聞に倣って(イヤ、国会議員も一般人も)「政治資金収支報告書不記載問題」を「裏金」乃至は「裏金問題」と呼んで憚らない。私にはとても正常な日本語の理解力を備えているとは思えないし、言葉を誤用していると決めつけたい。

そこで、本日の産経新聞は原英史に「月曜コラム」で「裏金というレッテル」と題して否定する一文を掲載している。敢えて遠慮して言えば“Better late than never.“である。と言うのは、私は去る9月16日のブログで朝日新聞の言葉の意図的な誤用を指摘してあったのだから。岸田前総理も国会で「収支報告書不記載問題、所謂裏金」という表現を使っておられたのだったが。

それから後になれば、情けないことに、他の報道機関が朝日新聞に追随して「裏金」扱いに転じてしまった。これを「付和雷同」と言わずして他に何と言うか。

以下に私のブログの要点を掲載するが、私は3ヶ月も前に広辞苑の定義を引用していたし、検索の結果も載せていたのだ。彼等マスコミは視聴者も購読者も欺いていたのではないのか。その行為をカタカナ語にすれば「ミスリード」辺りになるか。

>引用開始
収支報告書不記載問題を「裏金問題」に変えてしまった:

記憶違いでなければ、我が親愛なるマスコミは当初「政治資金収支報告書不記載」と報じて批判してきた。だが、朝日新聞が独特の批判精神を発揮して「裏金作り」とするや否や、各局・各紙が一斉に「裏金問題」にしてしまったのだと認識している。それどころか、当事者である自由民主党の議員の中には「裏金」と表現する者までが出てきた。「朝日の威力絶大なり」とウンザリさせられた。
私は「裏金」と「収支報告書不記載とは質が違うのにねー」と思っていたので、あらためて「裏金とは」と調べてみた。広辞苑には「取引を有利に運ぶ為に、正式の取引金額とは別に陰で相手につかませる金銭」とあって、朝日新聞は何か見当違いな言葉を遣ったのではないかなと感じた。

だが、Wikipediaに複数の項目があったが、その中からこの問題に関係すると思う項目を取り出してみると、
  • 賄賂(わいろ)などによって動いている金銭。
  • 経理(けいり)上、正式な出入金記録に記載せずに蓄財された金銭。
とあって、定義の後者は「朝日新聞の主張に準えたのかな」のように受け止めた。理屈を言えば、広辞苑とWikipediaの定義の前者から考えると、朝日新聞ともあろう大新聞が言葉を誤用したと思えてならないのだ。

そこで、私なりにこの収支報告書不記載の問題を考えて見た。これは「政治資金パーティ」という名目で「法的に禁じられていたはずの企業団体からの寄付を、形を変えて募ったものであり、金がかかって仕方ない政治を何とか滑らかに運ばせようと意図して資金を集めたのである」と解釈していた。そういう性質の収入であるから、報告書に記載されるべきだったのだろう。

だが、派閥では「貰った資金だから、恣意的に使っても良いのではないのか」と勝手に解釈し、割り当て(何故に思い出すだけでも忌まわしいロシアの「ノルマ」などを使うのか)以上に集めた分の資金を各議員に払い戻しなどしていたのであり、Wikipediaの後者には該当する点があるものの、必ずしも蓄財するのではなく政治活動の資金にしていたのではないのかと思う。(以下略)

産経新聞が原氏の主張を借りて「裏金」が朝日新聞の意図的な言葉の誤用であると指摘したのは良いとするが、それならば当方が9月に朝日新聞を批判してあったのはどうなのだろうかと思う次第だ。まさか、朝日新聞が正しくて、当方は誤解しているとでも認識していたのだろうか。

私は報道機関とは「事態を正確に把握して、正しく視聴者読者に伝えるべき存在だ」と思っている。だが、今日までに彼等は繰り返し「人が犬を噛んだ」かのような形にして切り取り報道するとか、自分らの意図に沿わない話は無視した例があったのではなかったか。そこに、今回の付和雷同である。良く気を付けて貰いたい。

カタカナ語の普及と濫用を戒める

2024-12-29 07:04:57 | コラム
意味が解らない言葉が多くなった:

英語の単語だけを覚えた悪影響の産物ではないのかと言いたい。何もカタカナ語排斥論者だから言う訳ではないが、言うべき事を言っておこう。

国会議員からマスコミから芸人から一般人まで、SNSの利用者が「これは格好が良い」とでも思い込んで広めたのだろう。高齢者の私には「それって何の事」と首をかしげざるを得ない言葉遣いが氾濫している。

その中から22年3月にはキャリーバッグ(ケース)、テンション、ボリューム、キーワードを取り上げて、その正体を解説してみた。だが、これらなどは未だお手柔らかな方で「何故本来は英語だっただろう言葉をカタカナ語にして使うのか。その意味と意図が解らない」と言いたくなる類いのカタカナ語が氾濫している。

ここで、今回はそれらの中から「リアル」(=real)と「リアルタイム」(=real time)を考察してみた。

「リアル」とは:
英語のrealは「実在する、現実(想像ではない)、正真正銘、人工ではない、同時進行、即時」という意味で使われている。Oxfordには「~と装っているのではない」とある。カタカナ語の場合にはYahooの知恵袋のベストアンサーが最も腑に落ちたので引用すれば

>「リアル」って言う言葉は、ほとんど日常的に使っています。 現実的。実在的。実際に存在するさま、真に迫ったさま。 写実的・・・「リアルな語り口」ですね。 使い方は分かっているのに、正確にどういう意味かとなると 説明しにくい「カタカナ」語がよくありますね。

とあった。何の事はない漢字の熟語を使うことを避けているだけのことらしいのだ。言いたくないが「チャンと国語を勉強して漢字を使ってしゃべれよ」なのだ。

リアルタイムとは:
国立国語研究所によれば、
  • 「リアルタイムで」は「即時に」「同時に」「同時進行で」,「リアルタイムな」は「即時の」「同時進行の」と言い換えられる。
  • 定着に向かっている語だと思われ、「リアルタイム」をそのまま用いることにさほど問題のない場面も多いと思われる。ただし60歳以上では、半数以上が分からない語であり、言い換えや説明付与が望まれる場合も多い。
とあった。

私(92歳)には「60歳以上では」に該当するので、非常に解りやすかった。でも、何故「即時に」や「同時に」や「同時進行で」と普通に言わないのかという疑問は残った。

以上、自分でどれほど意義があった解説か解らなくなってしまったが、思うに「難しい漢字を使った言葉を避けて、何か格好が良いと思って貰えるだろうカタカナ語を使っているだけ」なのではないかと指摘したい。何方か反論して下さると有り難いのです。

12月28日 その2 新旧高等学校論

2024-12-28 13:32:55 | コラム
新旧高等学校制度の比較論:

私の旧制高等学校論について、畏メル友RS氏は以下のような鋭い指摘をされたので紹介しよう。

RS氏は、

>平等に公平にしようとしたGHQの方針が今の日本の教育制度の破綻を呼んでいます。

優秀な頭脳と平凡な頭脳を一緒にすること自体が何よりも時間と機会の無駄なことなのです。

平凡な子供には今の教師でも十分ですが、優秀な子供には優秀な先生が必要です。私立や国立にしか残っていませんが・・・。

旧制中学や旧制高校はなくしてほしくなかったですね。

私からの意見は、

>言われる通りだと心から思います。

あの昭和23年3月のあの日、突然湘南中学3年生全員が講堂に集められたので何事かと思えば、卒業証書が配られて「全員が本日を以て県立湘南高等学校併立湘南中学校を卒業する」と校長先生が宣告。呆気にとられました「何だ。これは」と。4月からは湘南高校1年生となるとも知らされました。文字通り「狐につままれたよう」な感。

ところが、栄えある高等学校の1年生になって渡された教科書は「中学3年に逆戻りかよ」と皆で憤ったほど程度が低くて易しいもの。今思えば「GHQの日本の子供を骨抜きにしてしまえ(アメリカ並みの程度にして)という作戦だった」のでしょう。当時の湘南中学には1年生で微分積分をこなしていた奴がいたくらいですから、怒る訳です。英語だって酷いものでした。尤も、勉強が楽になったと余裕を示す連中もいましたが。

今は昔のお話なのだが、現代に生きる方々に知っておいて貰っても良いかと思う歴史である。

だった。