新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

“I gift ball police.”

2022-11-18 08:00:22 | コラム
東京都では高校入試に英語のスピーキングテストを:

今朝ほど4時からのTBSのニュースだったと思うが、その何とも言いようがない内容に衝撃を受けて、何処の局だったか記憶が飛んでしまった。それは、東京都が決定した都立高校だったかと思うが、入試に英語のスピーキングテストを課すということで、それ用の塾での指導の仕方を報じていた。私はその画を見て1997年から個人指導した某大手商社の若手に用いた手法とほぼ同じだったので、驚き且つ呆れた。言いたいことは「極めて高度な指導法」だったのだから。

具体的にいえば、中学生にある画を見せて「その画面を英語で表現して見ろ」なのだった。私が当時25~26歳くらいだった某私立大学出身の精鋭の指導に用いた手法は「私と一緒に街に出て、そこに見えてくる情景をそのまま英語で語って見よ」だった。これは、瞬時にその状況を認識した上に、適切な単語と表現にして言い表す」のであって、単語だけをバラバラに覚えていたのでは、到底何ともならない課題である。文法的な誤りは許さなかった。勿論、彼には「言葉の使い方を流れの中で覚えよ」と予め十分に指導してあった。

時が経つにつれて、彼はこの課題を何とかこなせるようになってきた。言いたいことは「一流の大学出身者で、日常業務で英語に接していても、そんなに簡単なことではなかった」のである。それと似たようなことを、中学生に「画を見せただけで、情景を描写せよ」というのは無理難題以上というか、論外だと思った。

私に瞬間的に見えた画の1枚は「子供が制服姿の警察官にサッカーボール(だと見えた)を手渡していた」のだった。それを見た生徒は暫く悩んでから“I gift ball police.“と絞り出した。それは聞いた講師は「toが抜けている。それだけでも減点される」と言ったのだった。私にはこの講師の一言を論評する言葉が浮かんでこなかった。この絵は非常な難題であり、相当高度な英語力を持っているだろう人でも、瞬時に正解が出てこないだろうと思う。

私は“A boy handed over a ball to a policeman.”か、policemanを“uniformed policeman”としたかった。または“A boy was passing a ball to a policeman.“でも良いかなと考えた。感じたままをいえば「我が国の英語教育で育った生徒には、俗に言う『無茶振り』の類いだろう」なのだ。音声の解説では「このテストが20点で合計120点なので、しっかり勉強しておかないと大きなことになる」とあった。もしも、本当の試験がこの塾での模擬テストのような問題であれば、20点を取れる生徒が出てくれば奇跡かと思わずにはいられなかった。それだけではない、講師はチャンとあの画を描写できるのだろうか。

終わりに何時でも同じ事を言うが「単語をバラバラに覚えさせるだけで、流れの中でどのように使われるかを教えていないから、このような(惨めな?)結果のようになる」のである。そこに加えたいことは勿論「音読・暗記・暗唱」である。“give“には確かに「与える」という意味はあるが「無償」で渡すという感覚である。その名詞形である”gift“が出てきていたのには、寧ろ驚愕した。警察官の絵を見て“police“しか思い浮かばなかったのも「困った教育では」と言いたくなった。

この一例だけを以て、我が国の学校における英語教育を批判するのは無理筋かも知れない。だが、私はこれを氷山の一角だと思うし、「toが抜けているから減点される」との塾の講師の講評には、何を言えば良いのかも解らなかった。かくして、朝から非常に残念であり悲しい思いにさせられたのだった。文部科学大臣の永岡佳子さんは、このような英語教育の実態を何処までご承知なのだろうか。


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