新国立競技場建設問題とカタカナ表記:
私は競技場を「シンプルにするのではなく、簡素か質素にせよ」と主張したいのだ。
どうやら安倍総理もこの案件に乗り出す事態にまでこの問題が煮詰まる方向に進んだ。私は結構であると思う。私はこの新競技場のデザインというか外観は支持しない。オリンピックは主競技場の見せかけの豪華さを競うものではないだろうから。その意味ではあのハディド氏とあの案を推薦した安藤氏に責任がないとは思わない。
私はこの競技場建設案は観客が見やすくするといったような観点から進められておらず、見栄えの良いデザインを売り物にしていたし、売り物にした結果建設費の積算が2,520億円に達したと報じられて批判が集中してきただけだと思っている。そもそもの予算の1,300億円でも出来る競技場があるとの「専門家」の声がある以上、コスト面で現行案よりも簡素か質素にすれば良いと考えている。
テレビに登場するコメンテーターや有識者は「シンプルにして国民の税金が使われる以上云々」と言うが、まさか新競技場建設の為に何か新税を徴収しようというのではないのだろうな。その分の予算枠は確保されているのだろうな。それならそうで、始めから明確に知らせておいて欲しい。下村文科相は東京都に500億円の負担を求めたと聞けば、都民としては新たな税負担が生じるのかと不安になる。森喜朗さん、宜しく頼みますよ。
この件とカタカナ語に如何なる関係があるのかと言われるだろう。私は大いにあると思っている。あの「アンビルドの女王」と言われているイラン生まれの「ザハ・ハディドさん」(ハディッドかハディードの表記もあるようだ)は、Wikipediaによればアルファベット表記では”Zaha Hadid”だとあるし、ロンドンの事務所の看板にも”Zaha Hadid Architects”となっている。
何が言いたいのかと言えば「多くのテレビと新聞がザハ氏と表記するのは、名字ではなく名前に氏を付けているのはおかしい」という点である。我がマスコミは未だに外国人の”first name first”表記が理解出来ず、先に出てくる”first name”=名前を名字=”last name”だと思い込んでいるようだ。私はこの点を何度も指摘してきた、故マイケル・ジャクソン等を例に挙げて。彼らは彼を「ジャクソンさん」か「ジャクソン氏」と呼ぶべきなのである。
その過ちをハディドさんの場合にも犯しているのでは、彼等は幾ら言ってやっても文化の違いを認識出ない連中だと非難したいのだ。私はアラビア語というかアラブの国での氏名の表記がどうなっているかは未だ勉強していない。だが、ロンドンで”Hadid”が後になっている以上、これが名字であるのだろうと解釈した次第だ。これなどは新競技場の建設コスト問題と比べれば微々たるものだが、カタカナ語排斥論者は黙っていられないのだ。
更に上記の「シンプル」というカタカナ語も不適切ではないのか。Oxfordには”not complicaed; easy to understand”とある。複雑ではなく理解しやすい競技場を建設せよとでも言うのか。
私は競技場を「シンプルにするのではなく、簡素か質素にせよ」と主張したいのだ。
どうやら安倍総理もこの案件に乗り出す事態にまでこの問題が煮詰まる方向に進んだ。私は結構であると思う。私はこの新競技場のデザインというか外観は支持しない。オリンピックは主競技場の見せかけの豪華さを競うものではないだろうから。その意味ではあのハディド氏とあの案を推薦した安藤氏に責任がないとは思わない。
私はこの競技場建設案は観客が見やすくするといったような観点から進められておらず、見栄えの良いデザインを売り物にしていたし、売り物にした結果建設費の積算が2,520億円に達したと報じられて批判が集中してきただけだと思っている。そもそもの予算の1,300億円でも出来る競技場があるとの「専門家」の声がある以上、コスト面で現行案よりも簡素か質素にすれば良いと考えている。
テレビに登場するコメンテーターや有識者は「シンプルにして国民の税金が使われる以上云々」と言うが、まさか新競技場建設の為に何か新税を徴収しようというのではないのだろうな。その分の予算枠は確保されているのだろうな。それならそうで、始めから明確に知らせておいて欲しい。下村文科相は東京都に500億円の負担を求めたと聞けば、都民としては新たな税負担が生じるのかと不安になる。森喜朗さん、宜しく頼みますよ。
この件とカタカナ語に如何なる関係があるのかと言われるだろう。私は大いにあると思っている。あの「アンビルドの女王」と言われているイラン生まれの「ザハ・ハディドさん」(ハディッドかハディードの表記もあるようだ)は、Wikipediaによればアルファベット表記では”Zaha Hadid”だとあるし、ロンドンの事務所の看板にも”Zaha Hadid Architects”となっている。
何が言いたいのかと言えば「多くのテレビと新聞がザハ氏と表記するのは、名字ではなく名前に氏を付けているのはおかしい」という点である。我がマスコミは未だに外国人の”first name first”表記が理解出来ず、先に出てくる”first name”=名前を名字=”last name”だと思い込んでいるようだ。私はこの点を何度も指摘してきた、故マイケル・ジャクソン等を例に挙げて。彼らは彼を「ジャクソンさん」か「ジャクソン氏」と呼ぶべきなのである。
その過ちをハディドさんの場合にも犯しているのでは、彼等は幾ら言ってやっても文化の違いを認識出ない連中だと非難したいのだ。私はアラビア語というかアラブの国での氏名の表記がどうなっているかは未だ勉強していない。だが、ロンドンで”Hadid”が後になっている以上、これが名字であるのだろうと解釈した次第だ。これなどは新競技場の建設コスト問題と比べれば微々たるものだが、カタカナ語排斥論者は黙っていられないのだ。
更に上記の「シンプル」というカタカナ語も不適切ではないのか。Oxfordには”not complicaed; easy to understand”とある。複雑ではなく理解しやすい競技場を建設せよとでも言うのか。
また、少しでもそのような生きざまができればと憧れ、できることがないかと思いトライ&エラーの日々を過ごしております。
話を本題に戻しますと新国立競技場のデザイン問題は安藤氏を選考委員の責任者にした任命責任を問うことなく、安倍首相を追い込みたい勢力の時限爆弾が今炸裂しただけのように思います。
親中媚韓に巣づくる人たちが行き場を失いかけ、慌て既得権益を守らんがため、大きな問題にしようとマスコミの異常な報道を見聞きするにつけ、戦後の良しきにつけ悪きにつけ左翼、GHQの平和主義、国連主義から脱却しようと目覚めた普通の日本人が増えたのではないかと思う次第です。
東京オリンピックまで、現実的に残された工期は2年。安倍首相が出てこらせる作戦は成功しているようですが、安倍首相は神風を味方につけているので、升添都知事を含めた方々の思い描いた通りにはならず。
無事、新国立競技場は完成すると私は信じております。
それよりも、マスコミが正確な報道を極力避けている中国のバブル崩壊による東アジアの緊張から起きる紛争へのトリガーを中国自身が引くのではないか。
それにより、戦前の幻の東京オリンピックと同じ命運を辿ることを危惧するばかりです。
とりとめもない長い駄文になりましたことお詫び申し上げ、最後に心臓を大切にされ、いつか機会があればお会いできる時には壮健なお姿を拝見できますことを願っております。
ありがとうございました。