新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

時の流れに逆らえなかったのか

2022-02-11 09:32:48 | コラム
セブン&アイホールデイングスと西武ホールデイングスの決断に見る時代の流れ:

そごう西武の売却:
1月31日にセブン&アイホールデイングスがそごう西武を2,000億円で売却すると発表した。すると、今月6日には西武ホールデイングスが傘下のホテル30ヶ所をシンガポールのファンドに売却するとの発表を行った。1週間と一寸の間に一寸見ただけでは、大決断の如き発表を聞かされたのを当世風にいえば「苦渋の決断」だったかも知れないが、私には特に大英断と見るよりも時の流れを感じさせられただけだった。

振り返れば、私は30年以上も前のことだったか「百貨店のような形式の大規模小売業には将来はないだろう」と断じて見せていた。その理由を簡単に言ってしまえば「時代の流れに完全に乗り遅れているとしか見えなかったから」だった。即ち、戦後経済の傾向としてアメリカから出てきたスーパーマーケットやコンビニエンスストアに多くの小売業はその規模を問わずに地盤を奪われつつあった。他にも、大都市の繁華街には多くの専門店が軒を連ねるようになったのも、百貨店を苦しめる材料になって行った。

事はそれだけに止まらず、ヨーロッパを主体とするデザイナーブランド等が当初は百貨店内に販売の拠点を置いていたのだった。だが、彼らは次第にそれだけに飽き足らず、銀座等の目抜きの場所に自前の店舗を出して、百貨店の顧客を奪い去って行ったのだった。更に、多くのブランド志向の顧客はヨーロッパやアメリカ等に旅行に出ては、ブランド品を買い漁るようになったことも悪材料になっていたと見ている。

私がウエアーハウザーをリタイアした1990年代には、多くの百貨店は整理統合というか業界再編成の時期に入っていた。そこに見えた現象は完全に時代に取り残された商いの形態だった。その点を解りやすく言えば「店の看板とその包装紙に依存した定価販売に執着し続けている、若者の関心を惹かない営業形態」だった。極言すれば、「百貨店に買いに来てくれるのは古き良き時代の『今日は帝劇、明日は三越』の時代に郷愁を感じている高齢者になってしまっていたのだ」ということ。

私は学生時代に三越の銀座支店で実習生として働かせて貰っていたので、恩義ある三越の不振を嘆いていたので、ここでも三越だけを批判するようなことを言っているが、この例を以て大型小売業の将来性に大いなる疑問を呈していたのだ。それが、2008年の三越伊勢丹となって現れ、多くの老舗百貨店の整理統合が行われたのだと思っている。それでも、百貨店は苦労しながら存在し続けてきた。そこに一昨年から新型コロナウイルスの未だ嘗て無かった大規模な感染が襲ってきたのだから、堪らなかったのだと思う。

このような時の流れと変化の時代にあってスーパーマーケットのイトーヨーカドーを創立した伊藤雅俊氏はアメリカで勢力を拡大していたコンビニエンスストア「セブンイレブン」を導入して小売業界の一大勢力となっていたようだった。因みに、私がアメリカで1975年に初めて“Seven Eleven”を見た時には何の店か解らなかった。その伊藤家の家業だった業態にそごう西武が加わっていたということは、小売のあらゆる規模の業態を集めた総合的なグループを形成したことだろう。

だが、時の流れは益々店舗形式の小売業に不利な方向に向かっていったのだった。私が在職中にシアトル市の南の外れにあった書籍の通販業者かと思わせられていたアマゾンがアメリカ市場のみならず我が国の市場までを席巻するようになり、通販業は一気にその業界の規模が拡大した。私には、そこからEC(=Electronic Commerce)に成長していったのだと見えている。即ち、店舗も置かず、販売員もいない小売業が繁盛する時代になっていたのだった。

そこに一昨年からは、何処かの近隣の国で発生した新型コロナウイルスが襲ってきたのだから、何も大規模小売業だけの問題ではなく、経済そのものが停滞してしまったのだった。しかも、今やオミクロン株の第6波の感染が最悪期に入っているだけではなく、何時になったら収束するのかも不明だ。その時にあっては失礼な言い方になるが、この度のセブン&アイホールデイングスの決断は当然であって、“Better late than never.”と言える程度の事ではなかったかと思っている。

プリンスホテルの31施設の売却:
このニュースに接して先ず思ったことは「売却先が中国資本でなくて良かったな」ということだ。だが、もしかしてシンガポールというだけで実態は「中国では?」という疑いはあった。

その他には「矢張り、そういう結論に至ったのか」と感じていた。そう言う根拠は、先月の11日からある事情で3泊したのが渦中の港区の東京プリンスホテルだったからだ。その後でも触れた事で、COVID-19に痛めつけられていると聞いていたホテル業の惨状を、余すところなく経験して来たからだった。部屋代も非常に(入力を誤ると「異常に」となってしまう)経済的だっただけではなく、余りにも空室が多かったのだった。数多くあるレストランも数カ所が営業していなかった。「なるほど。これでは具合が悪いだろうな」と解った。

また、時代は会社がリモートというのかオンラインという方式になった所為か知らないが、遂に外国人の姿も、スーツ姿のビジネスマン風の人たちを見なかったので、ホテルのようなサービス業は苦難の時代にあるのだろうと理解した。偽らざる感想を言えば「これの状況ではこの業界は遠からぬ将来に立ち行かなくなるだろう」としか考えられなかった。私が実際に経験していた1990年代までの外国人で溢れかえっていた御三家等々のロビーの光景などは「今何処(いずこ)」だと言うことだ。

現在のように、岸田内閣が一部の評論家に批判されている「鎖国状態」を維持し続ければ、ホテル業界のような業種の苦難の時期は続くだろうし、彼らを苦しめているCOVID-19の出口は未だ見えていないのだ。であれば、西武ホールデイングスの決断は止むを得なかっただろうと思う。今後は、近頃テレビのCMに頻繁に登場する「ハウスリースバック」のような形ででも営業を続けるのだろうかと思う。

だが、岸田政権が新資本主義でも何でも、可及的速やかに景気を回復してくれないことには、ホテル業界も大規模小売業界でも、自力では時の流れを止めきれないだろうから、直ぐには夜明けはやって来ないような気がしてならないのだ。



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