我が国の大学では何故英語の論文が少ないのか:
この件では、昨日やや簡単に取り上げてしまったので、我が国の大学の先生たちを及ばずながら擁護しようと思うのだ。昨日引用したST教授が指摘しておられた事は、拡大してみれば「一度日本語で発表された論文を、その都度英語に訳して発表している訳ではないので、海外から見れば論文が少ないことになる」のである。
だが、これだけでは未だ説明不足だろうと思う。論文について、私が何人かの先生方の論文をお手伝いした経験から言えることは「参考文献一覧」が大変な量になっていることを先ず取り上げたい。引用した文献を詳細に記載するこれを怠ると「剽窃」になって大問題になってしまうのだ。これらを間違いなく掲げるだけでも大いなる労力を要する作業になる。それらを英訳せよとなると、別な問題も生じるのだ
即ち、他者の論文か著作の題名から正確に英語にしなければならないのだ。既にそれらの英語訳があるかどうかも調べねばならず、無い場合には自分で正確な英語に訳さなければならないのだ。容易ならざる大変な作業である。言うまでもない事は、英語を母国語にしている人たち並みの英語力が必要になってくると言う点なのである。
論文本体を英語に訳すのであれば、英語の専門語などに誤りがあってはらないのだ。だが、それ以上に重要なことは絶対に文法的に正確であり、如何なる誤りも許されない点なのである。これまでに何度か回顧したことだが、2002年に私がお手伝いした某教授がアメリカの権威ある学術誌に寄稿された論文が「内容は合格だが、時制の一致と定冠詞と不定冠詞の使い方に誤りがある」と訂正を求められ、差し戻されたことが、その内容のみならず文法を疎かにすることは許されないことを実証していた。
この点は、仮令native speakerの学者たちにとっても難しい課題なのだ。念の為に確認しておくと「定冠詞と不定冠詞を正確に誤りなく使うことは、native speakerたちにとっても非常に難しい問題」なのである。「時制の一致」にしたところで、私の経験の範囲内でも、余程注意していないと誤りを指摘されてしまう結果になった。
このような難関があれば、我が国の大学教授や学者の方々が一度日本語で書いて発表された論文を、上述の条件を満たした英語にして発表されないのも無理はない事ではないかと思うのだ。このような事情を知るだけに、私は日本の教授や学者の方々に同情的にならざるを得ないのだ。このように言えば、我が国の先生方を庇い立てしていることになるのかも知れないが、実情を知れば知るほど擁護したくなる次第だ。
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