次のようなニュースが出ていた。
東日本大震災からの復興を支援する東北の学生団体の活動が曲がり角を迎えている。震災発生から5年半以上たってメンバーの代替わりが進み、多くの団体が活動意欲の低下や組織運営の難しさに直面する。被災地では本格復興に向けて若い力への期待が依然大きいが、学生団体を取り巻く環境は厳しさを増している。
とても難しい問題である。確かに被災地が見捨てられたような気持になってはいけない。しかし、やはり5年以上たてば自らの力でなんとかしなければならない時期なのではないかと私は思う。
私は山形県の酒田市で生まれ高校まで過ごした。中学生のとき大火があり、町がすべて焼けてしまった。しばらくは街の姿に失望感があったものの、しばらくたち復興への期待感が生まれた。新しいきれいな町に生まれ変わるのだそんな期待が出てきた。しかし結果はうまくいかなった。ちょうど車社会への変換の時期であり、その対応ができていなかったのである。その後にぎやかな町は帰ってこなかった。
町には歴史があり、その歴史を背負うことができるのはその街の住人だけだ。困ったときに助け合うのは大切なことだ。しかし限度がある。自分の町は自分の力でなければ生まれ変われない。私はそう考える。
東日本大震災からの復興を支援する東北の学生団体の活動が曲がり角を迎えている。震災発生から5年半以上たってメンバーの代替わりが進み、多くの団体が活動意欲の低下や組織運営の難しさに直面する。被災地では本格復興に向けて若い力への期待が依然大きいが、学生団体を取り巻く環境は厳しさを増している。
とても難しい問題である。確かに被災地が見捨てられたような気持になってはいけない。しかし、やはり5年以上たてば自らの力でなんとかしなければならない時期なのではないかと私は思う。
私は山形県の酒田市で生まれ高校まで過ごした。中学生のとき大火があり、町がすべて焼けてしまった。しばらくは街の姿に失望感があったものの、しばらくたち復興への期待感が生まれた。新しいきれいな町に生まれ変わるのだそんな期待が出てきた。しかし結果はうまくいかなった。ちょうど車社会への変換の時期であり、その対応ができていなかったのである。その後にぎやかな町は帰ってこなかった。
町には歴史があり、その歴史を背負うことができるのはその街の住人だけだ。困ったときに助け合うのは大切なことだ。しかし限度がある。自分の町は自分の力でなければ生まれ変われない。私はそう考える。